橘川 司亮(きっかわ しりょう/もりあき、1873年明治6年)10月15日 - 1937年(昭和12年)1月2日)は、日本明治 - 昭和初期の官吏。 度量衡(どりょうこう/計量単位)の専門家。「我國メートル法の創始者」[1]「日本のメートル法の創始者」[2]と称される。欧文表記はSHIRIO KIKKAWA[3][注 1]

橘川 司亮
(きっかわ しりょう/もりあき)
生誕 1873年10月15日明治6年10月15日
日本の旗 日本 宮城県仙台市
死没 (1937-01-02) 1937年1月2日(63歳没)
国籍 日本の旗 日本
研究分野 物理学 度量衡
研究機関 農商務省商工省
中央度量衡器検定所
中央度量衡検定所
日本度量衡協会
出身校 東京帝國大學理科大學物理学科(現・東京大学理学部物理学科)
主な業績 日本のメートル法化の促進、法整備
プロジェクト:人物伝
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経歴 編集

明治6年(1873年)現在の宮城県仙台市に宮城縣士族として生まれる。父は第一回仙台市議会議員橘川鋿[4]。明治34年(1901年) 東京帝国大学理科大学(現東京大学理学部物理学科)で度量衡田中館愛橘に学び卒業[5]。引き続き大学院にて度量衡の研究を続ける。後輩に寺田寅彦がいる [6]

明治36年(1903年)8月17日農商務省のちに商工省に入省[7] 。明治37年(1904年)中央度量衡器検定所所長(のちに、勅任待遇[8])を兼任[9]。明治40年(1907年)パリ国際度量衡総会(第4回)に日本政府代表として田中館愛橘とともに出席[10]。さらに 帝国議会 貴族院衆議院において政府委員として参画、1921年大正10年)法律第七十一號『度量衡法中改正法律』(メートル法度量衡法)政府担当者[11]。また中央度量衡器検定所初代所長としてメートル法による計量器の検定や普及、新聞や書籍、公演等に於いてメートル法の紹介や解説、 日本のメートル法の推進に尽力した[12]。主な役職として日本度量衡協会理事、計量器工業組合理事長などを歴任。昭和8年(1933年)退官。昭和12年(1937年)1月2日福島県飯坂温泉の火事により逝去[13][14]。戒名は高樹院殿司亮道永居士[4]

最終栄典は従三位勲三等[15]

その生涯を日本のメートル法の推進と度量衡の計量技師を育てることに捧げた。度量衡法中改正法律において政府委員・直接担当者としてメートル法専用へと舵を切り、中央度量衡器検定所所長として度量衡技師を育て、日本全国の度量衡技師・計量専門家はいずれも橘川の薫陶を受けた[2]。その功績から『我國メートル法の創始者』『日本のメートル法の創始者』『わが国メートル法の創始者』[16]と称されている。

家系・親族 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 欧文表記について、SHIRIO KIKKAWAは第四回萬国度量衡総会の会議録における表記であり、長岡半太郎が紹介人となり入会した東京数学物理学会 本会記事(1902年9巻2号・1902.8.8発行)によると、明治34年(1901年)9月28日の記事においてKikkawa-Siryo と表記されている。さらに曾孫の橘川琢はKITSUKAWA Migakuの表記であり、姓の読みも違う。読みに関しては司亮の子の代でKITSUKAWAとなった。(参照:季刊音楽の世界2020年春号 4月1日 日本音楽舞踊会議発行)

出典 編集

  1. ^ 『日本人名大事典(新撰大人名辭典)』第二巻(1937 年/復刻版 平凡社)
  2. ^ a b 『20 世紀日本人名事典』(2004 年 日外アソシエーツ)
  3. ^ 第四回萬国度量衡総会会議録においては、以下のように紹介されている。M. SHIRIO KIKKAWA, Chef du Bureau d'inspection des Poids et Mesures au Ministère de l'Agriculture et du Commerce à Tokyo.(国際度量衡局のサイトhttps://www.bipm.org/utils/common/pdf/CGPM/CGPM4.pdf(2020年4月11日閲覧)
  4. ^ a b 『ある武士の一族の記録』(橘川眞弓,橘川光義監修,橘川孚,橘川敦子 著./2007年丸善仙台出版サービスセンター,/国立国会図書館蔵書)
  5. ^ 「東京大学百年史 部局史ニ」東京大学出版会 1987.3
  6. ^ 『官報』第5406号「東京帝國大學卒業生氏名録」宮城縣士族 橘川司亮。同「特待生選定」ページに寺田寅彦三年生 明治34年7月11日
  7. ^ 『官報』第6040号「辞令」明治36年8月19日
  8. ^ 農商務省名簿 大正12年7月 国立国会図書館デジタルアーカイブ
  9. ^ 『官報』第6162号「叙任及辞令」明治37年1月19日
  10. ^ 『官報』第7469号「第四回萬国度量衡総会議事及状況」明治41年5月22日
  11. ^ 『官報』第1975号「叙任及辞令」大正8年3月6日
  12. ^ (神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 度量衡(2-005)報知新聞 大正11年(1922年)4月13日「ハカリの革命 十進法で簡易なメートル制度 従来の複雑すぎた度量衡制が全廃」農商務省度量衡検査所々長 橘川司亮氏談))
  13. ^ 「門松の蔭にもこの悲劇 元商工官吏が焼死 飯坂火事・4名負傷<写>」朝日新聞 1937年1月3日(昭和12年)朝刊13頁 東京
  14. ^ 「(広告)橘川司亮」朝日新聞 1937年(昭和12年) 1月6日 朝刊5頁 東京 広告
  15. ^ 「叙位裁可書・昭和八年・叙位巻十一」内閣 叙01150100 国立公文書館1933年(昭和8年) 4月7日
  16. ^ 『人物物故大年表 日本人編Ⅰ(古代 - 1945 年)』(2005 年/日外アソシエーツ)
  17. ^ 仙台人名大辞典/菊田定郷著・仙台人名大辞典刊行会/昭和8年

関連項目 編集