檜枝岐村
檜枝岐村(ひのえまたむら)は、福島県会津地方南西部に位置し、南会津郡に属する村。
ひのえまたむら ![]() 檜枝岐村 | |||||
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国 |
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地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 福島県 | ||||
郡 | 南会津郡 | ||||
市町村コード | 07364-4 | ||||
法人番号 |
1000020073644 ![]() | ||||
面積 |
390.46km2 | ||||
総人口 |
505人 [編集] (推計人口、2022年6月1日) | ||||
人口密度 | 1.29人/km2 | ||||
隣接自治体 |
南会津郡只見町、南会津町 群馬県利根郡片品村 新潟県魚沼市 栃木県日光市 | ||||
村の木 | ヒノキ | ||||
村の花 | ミズバショウ | ||||
村の鳥 | コマドリ | ||||
檜枝岐村役場 | |||||
村長 | 星明彦 | ||||
所在地 |
〒967-0525 福島県南会津郡檜枝岐村字下ノ原880番地 北緯37度1分26.9秒 東経139度23分20.2秒 / 北緯37.024139度 東経139.388944度座標: 北緯37度1分26.9秒 東経139度23分20.2秒 / 北緯37.024139度 東経139.388944度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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ウィキプロジェクト |
概要編集
高度経済成長期を迎えるまでは焼畑が夏の風物詩であり、山菜採りを主要な収入源とした他、木地加工や狩猟も行われてきた。「星」姓は、平安遷都に伴う権力闘争に敗れてこの地に隠れ住んだ藤原氏の落人の系譜につながるとされ、「平野」姓は源平合戦に敗れた平家の落人の系譜につながるとされ、「橘」姓は織田信長に追われた伊勢治田城主・楠木正具(七郎左衛門)の一統に由来するとされている。
後述の通り、標高の高い山々に四方を囲まれた地域であるが、1960年代のダム開発と1970年代の尾瀬の観光地化によって、1980年代より農家の民宿業への転身が進んだ。1986年(昭和61年)の野岩線の東京・浅草直結に伴う振興計画により、観光地にもなっている。1979年(昭和54年)には景観保全のため、家々の屋根を赤錆色に統一。山人(やもーど)料理や年3回開催される檜枝岐歌舞伎、スキー場も観光客を集めている[1]。山人料理は山村ならではの食材を鍋料理などに仕立てることで知られ、山菜やキノコ、イワナなどの川魚、熊やウサギ、カモなどの肉、豆腐、裁ち蕎麦などを使う。珍しい料理としては、ハコネサンショウウオの唐揚げや、トウガラシを塩漬けした「山人漬」がある[2]。
地理編集
檜枝岐村は、会津駒ケ岳と、燧ケ岳、帝釈山に囲まれ、それらの間を通る檜枝岐川(伊南川上流部の名称)と沿線の国道352号沿いに位置する標高920 - 1000 m(メートル)の地帯。特に燧ケ岳 (2,356 m) は、東北地方で最も標高が高い山である。村役場に隣接した集落の他は、村の面積のうち約98 %を林野が占めている[3]。福島県内で人口が最も少ない市町村であり、日本一人口密度の低い市町村となっている。
面積の390.46 km2(平方キロメートル)の内、可住地面積は82.72 km2である。
隣接している自治体編集
- 福島県
- 群馬県
- 利根郡:片品村
- 片品村との境は尾瀬国立公園に指定されており、自然保護の観点から歩行者のみ通行可(福島・群馬両県境は陸続きの県境で唯一車両通行不可)。片品村まで車両で移動する場合は南会津町や栃木県日光市(国道352号、飯豊檜枝岐大規模林道、国道121号、国道119号、国道120号、栃木県道・福島県道350号栗山舘岩線、栃木県道249号黒部西川線、栃木県道23号川俣温泉川治線、栃木県道169号栗山日光線、栃木県道245号栗山今市線、栃木県道247号日光今市線など)を経由し、最も近い金精峠まででも125 kmを要する(金精峠区間は冬期閉鎖)。
- 利根郡:片品村
- 新潟県
- 魚沼市
- 唯一の一般通行可能な連絡路である国道352号は(七入駐車場以西が)11月 - 翌年6月まで冬期閉鎖される。
- 魚沼市
- 栃木県
人口編集
檜枝岐村(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
歴史編集
年表編集
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、檜枝岐村が単独で村制度施行し、南会津郡檜枝岐村が発足。[6][7]
- 1922年(大正11年) - 発電所新設、全村に電灯がつく。
- 1950年(昭和25年) - 檜枝岐小中学校校舎新築。
- 1975年(昭和50年)4月1日 - 国道352号が制定。
- 1981年(昭和56年) - 国道401号が制定。
- 1987年(昭和62年) - 村民体育館完成。
- 2021年(令和3年)5月13日 - 村役場新庁舎が開庁[8]
変遷表編集
檜枝岐村村域の変遷表 | |||||
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1868年 以前 |
明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |
檜枝岐村 | 檜枝岐村 | 檜枝岐村 | 檜枝岐村 | 檜枝岐村 |
行政編集
村長選挙・村議会編集
1963年(昭和38年)の村長選挙は立候補した二人が義理の兄弟で、親族を巻き込んで村を二分した激戦になり、しこりが残ったという。それ以降は、その様になることを嫌って、1967年(昭和42年)から2003年(平成15年)までは10回連続で村長は無投票当選となっていた。2007年(平成19年)には候補者が2人出現したため、無投票とはならずに村長選挙が行われたが、ポスターや演説が行われない選挙活動であった。また、村議会議員は民宿などの宿泊施設の経営者で占められている。
郵便編集
- 檜枝岐郵便局(無集配局)。尚、檜枝岐村内の集配業務は隣の南会津町にある伊南郵便局が行う。
教育編集
- 檜枝岐村立檜枝岐小学校
- 檜枝岐村立檜枝岐中学校
- 新潟県北魚沼郡湯之谷村立東湯之谷小学校鷹巣分校(廃校時の名称。1928年から1967年まで)
- 新潟県北魚沼郡湯之谷村立第二湯之谷中学校鷹巣分校(廃校時の名称。1947年から1967年まで)
- 新潟県北魚沼郡湯之谷村立井口小学校鷹巣夏季分校(1967年から1974年まで)
鷹巣地区の学校については、魚沼市を参照のこと。
交通編集
鉄道編集
村内を鉄道路線は走っていない。鉄道でアクセスする場合は、会津鉄道会津線会津田島駅および会津高原尾瀬口駅から路線バスが出ている。
路線バス編集
道路編集
警察編集
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事編集
名品編集
関連書籍・映像編集
- 書籍
- TV
- NHK BSプレミアム『新日本風土記』「奥会津檜枝岐」2017年2月3日放送[11]
関連項目編集
- 尾瀬国立公園
- 奥会津
- 農村歌舞伎
- 当初から廃置分合を行った事のない市町村の一覧 - 当村も該当する。
- 平野長蔵
出典編集
- ^ 『日本の地誌4 東北』488頁
- ^ “サンショウウオ・山菜…福島の秘境に「山人料理」主食はソバ、村人の知恵”. 『日本経済新聞』夕刊(食ナビ). (2017年2月28日)
- ^ 檜枝岐村役場 公式ホームページ
- ^ 『わたしのまちが「日本一」事典 市町村でくらべて新発見』(PHP研究所)51頁
- ^ 『日本の地誌4 東北』498頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 7 福島県』、角川書店、1981年 ISBN 4040010701より。
- ^ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180より。
- ^ 檜枝岐村役場新庁舎が開庁 星村長らテープカット 福島民報、2021年6月2日閲覧。
- ^ 2006年までは枝折峠区間において「午前は魚沼市街→銀山平方向への、午後は銀山平→魚沼市街方向への各一方通行&二輪車終日通行禁止」とする規制が行われていた。
- ^ 東北地方と関東地方を結ぶ車両通行が可能な一般道の最西端は「栃木県道・福島県道350号栗山舘岩線」となる(但し県境部は未舗装で冬期閉鎖)。
- ^ 新日本風土記>「奥会津檜枝岐」