次第司(しだいし)とは、律令制における官職。行幸などに際して車駕の前後に随行し、行列の威儀を整える官職で、行列の整除や進行路の管理にあたった。前後次第司ともいう。

概要編集

宮衛令26条「車駕出入条」によると、「車駕が出入するとき、諸々の駕に従う人の当按・次第(隊列配置)は、鹵簿(儀仗を具備した行幸・行啓の行列)の図のようにしなければならない」となっており、その順序の維持を担当していた役職である。『延喜式』巻11「太政官」116条によると、「御前長官一人、〈三位、〉次官一人、〈五位、〉判官二人、主典二人〈並六位以下、〉御後亦た此に准ず、〈定畢奏聞、〉」となっており、前・後ともに四等官制で構成されていた。

『続日本紀』における実例でも、

壬申、造伊勢国行宮司を任す。丙子、次第司を任す。従四位上塩焼王を御前長官とす。従四位下石川王を御後長官[1]
癸未、詔して曰はく、「朕、近江国甲賀郡紫香楽村に行幸せむ」とのたまふ。(中略)甲午、中務卿正四位上塩焼王、左中弁従五位上阿倍朝臣沙弥麻呂ら六人を前次第司とす。宮内卿従四位上石川王、民部大輔従五位上多治比真人牛養ら六人を後次第司[2]
六月乙丑、天平応真仁正皇太后(=光明皇后)崩りましぬ。(中略)従三位氷上真人塩焼、従三位諱(=白壁王)、正五位下石川朝臣豊成、従五位下大原真人継麻呂らを前後次第司とす[3]
辛未、紀伊国に行幸したまふ。正三位諱(=白壁王)を御前次第司長官とす。従五位下多治比真人乙麻呂を次官。正四位下中臣朝臣清麻呂を御後次第司長官。従五位下藤原朝臣小黒麻呂を次官。各判官二人、主典二人[4]
丙午、高野天皇を大和国添下郡佐貴郷の高野山陵に葬りまつる。従三位藤原朝臣魚名を御前次第司長官とす。従五位下桑原王を次官。判官・主典各二人。従四位下藤原朝臣継縄を御後次第司長官。従五位下大伴不破麻呂を次官。判官・主典各二人[5]

上記のうち、最初のものは藤原広嗣の乱に際する聖武天皇の伊勢行幸で、二番目は紫香楽宮遷都に際しての天皇の行幸、四番目は称徳天皇の紀伊国の行幸、三番目・五番目のものは光明皇太后称徳天皇の葬送に関するものである。最初と四番目のものについては、騎兵将軍が同時に任じられており、軍事的性格の強いものであったことが窺われる。

のち、斎王・斎院の御殿の行列にも任命されている。

脚注編集

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  1. ^ 『続日本紀』巻第十三、聖武天皇 天平12年10月19日条、23日条
  2. ^ 『続日本紀』巻第十四、聖武天皇 天平14年8月11日条、22日条
  3. ^ 『続日本紀』巻第二十二、廃帝 淳仁天皇 天平宝字4年6月7日条
  4. ^ 『続日本紀』巻第二十六、称徳天皇 天平神護元年10月2日条
  5. ^ 『続日本紀』巻第三十、称徳天皇 神護景雲4年8月17日条

参考文献編集

  • 『岩波日本史辞典』p531、監修:永原慶二岩波書店、1999年
  • 『続日本紀』2 新日本古典文学大系13 岩波書店、1990年
  • 『続日本紀』3 新日本古典文学大系14 岩波書店、1992年
  • 『続日本紀』4 新日本古典文学大系15 岩波書店、1995年

関連項目編集