タカアンドトシ

日本のお笑いコンビ(1994-)
欧米か!から転送)

タカアンドトシは、吉本興業に所属するタカトシからなる日本お笑いコンビ。略称は「タカトシ」。共に北海道出身で、吉本興業札幌事務所(札幌吉本)からデビュー。札幌で活動後、2002年に上京して吉本興業東京本社(東京吉本)へ所属。M-1グランプリ2004ファイナリスト、爆笑オンエアバトル第7・8代チャンピオン。

タカアンドトシ
メンバー タカ
トシ
別名 タカトシ
結成年 1994年
事務所 吉本興業
活動時期 1995年4月 -
師匠 志村けん
出身 札幌吉本のオーディション
出会い 札幌市立西岡北中学校
旧コンビ名 タカ&トシ
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 漫才コント
ネタ作成者 両者
現在の代表番組 レギュラー番組
有吉ぃぃeeeee!そうだ!今からお前んチでゲームしない?
今夜はナゾトレ
ジンギス談!
帰れマンデーなど
スペシャル番組
エンタの神様
初詣!爆笑ヒットパレードなど
過去の代表番組 レギュラー番組
タカトシの空飛ぶチェリーパイ
タカアンドトシのケチャケチャラジオ
森田一義アワー 笑っていいとも!
お試しかっ!
いきなり!黄金伝説。
ペケ×ポン
天才!志村どうぶつ園など
スペシャル番組
爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル
同期 長谷川雅紀(錦鯉
ブラックマヨネーズ
アンタッチャブルなど
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
1997年 テレビ静岡主催 全国吉本若手漫才 優勝
2005年 爆笑オンエアバトル 第7代チャンピオン
2006年 爆笑オンエアバトル 第8代チャンピオン
2008年 ゴールデン・アロー賞 バラエティー部門 放送賞
2008年 ビートたけしのエンターテインメント賞 日本芸能大賞
2010年 S-1バトル 月間チャンピオン(1月)
テンプレートを表示

メンバー

タカ( (1976-04-03) 1976年4月3日(48歳) - )[1]
ボケ担当。
北海道札幌市出身(出生地は釧路市[2])、北海高等学校卒業。身長175 cm、体重85 kg[1]。本名、鈴木 崇大(すずき たかひろ)[3]
肥満体型
以前はライオンのキャラクター(通称「タカトシライオン」)が正面に描かれた服をトレードマークとしていたが、現在は一部の番組を除いて着ていない。ただし、胸ポケットにライオンを模したワッペンを着用する機会はある。
妻は元芸能リポーターの鈴木奈津子(2012年8月結婚)で、2児の父。
トシ( (1976-07-17) 1976年7月17日(47歳) - )[1]
ツッコミ担当。
北海道旭川市出身、北海道札幌南陵高等学校卒業。身長176 cm、体重65 kg[1]。本名、三浦 敏和(みうら としかず)。
坊主頭
妻は高校の同級生だった一般人女性(2010年5月に結婚)で、3児の父。

経歴

  • 1990年 - 札幌市立西岡北中学校にて2年時にコンビ結成、学園祭漫才を披露する。当時のネタは「今何時?」「ゴジラ!」などだった。
  • 1992年 - タカは北海高等学校、トシは北海道札幌南陵高等学校とそれぞれ別々の高校へ進学。
  • 1994年5月 - 高校3年時、吉本興業札幌事務所主催のオーディション番組『トミーズのよしもとのもと』を受けるも落選。ネタは「レスキュー隊隊員」、太平サブローなどが審査員を務めた。同時期に、札幌吉本主催の素人勝ち抜き型お笑いライブ「吉本特選 空飛ぶイクラ SPECIAL」にも参加(このライブにまさまさきのりは初舞台として参加していた)。
  • 1994年12月 - 12月24日放送分で、オーディションに合格。同収録にてアップダウン(当時高校2年)も合格していた。
  • 1995年4月 - 高校卒業後、吉本興業札幌事務所に入りプロとして活動を始め、札幌吉本の1期生となる。芸歴はNSCにて大阪校13期出身の次長課長らとほぼ同期にあたるがトシは「4日後輩」と謙遜しており、基本的に13期出身には敬語を使っている。同時期に笑ハンティングらと共に、地方ローカル深夜番組にてコントなど披露した他、その年の『オールザッツ漫才』にも札幌吉本の代表として出場した。当時は3分の予定だったネタを、時間の都合で急遽1分に縮めざるを得なかったため構成そのものがグダグダになってしまい、西川のりおから「お前らもう辞めろ」とこき下ろされる羽目に遭った。
  • 1998年 - 吉本所属の若手コンビ4組からなるお笑いユニット・newsに後輩のアップダウンが抜擢され、東京進出を先に越される。これは「初めての挫折」と度々言及するほどショックだったという[4]
  • 2001年6月 - 占い師に画数が悪いと指摘され、コンビ名を「タカ&トシ」から「&」をカタカナ表記に変えた現在のものに改名。
  • 2002年4月 - 活動の拠点を札幌から東京へ移す。
  • 2004年 - M-1グランプリにおいて、ラストイヤーで決勝進出を果たす。最終結果は4位。
  • 2005年 - 『爆笑オンエアバトル』チャンピオン大会で優勝を成し遂げる。当時より『笑いの金メダル』などでトシによる「○○か!」のツッコミが世間に知れ渡り、テレビ出演も増え始める。
  • 2006年 - 爆笑オンエアバトルのチャンピオン大会で連覇を達成。東京進出後の初冠番組であるラジオ番組『火曜JUNK2 タカアンドトシのケチャケチャラジオ』が放送開始(TBSラジオより全国ネット放送)。
  • 2007年 - 『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ』(TBS)にてトシが先輩の松本人志ダウンタウン)と即興コンビを組み演じた漫才が絶賛され[5]、ゴールデン番組へのオファーが急増。『サッカーアース』(日本テレビ)でキー局にて初MCを務める。
テレビにおける初の冠番組『タカアンドトシの音楽魂か!』(東海テレビ、4月-9月)、『タカアンドトシのどぉーだ!』(北海道文化放送、4月-2009年3月)が放送開始。この頃が全国的な大ブレイク期とされている。

芸風

  • デビュー当初は正統派のしゃべくり漫才を演じていたが、2004年頃からタカのボケに対してトシが連続で「欧米か!」などとツッコみながらタカの頭を叩くパターンを生み出し(通称「○○か!漫才」)、定着する。ネタ作りにおいてベースはタカが担っているが、そもそも台本にてツッコむ部分は細かく作らずその辺のみトシが手直ししていた。その場合にタカの書いた台本のツッコミが全て「○○か!」と書かれており、トシが舞台で試してみたところ先輩などから高評価を受け、その中でも「欧米か!」とツッコむネタがヒットしてメディア出演が増えた[9]。元々はネタ時間の短いM-1グランプリ対策として考案されていた。
  • 中盤から終盤までは捩ったツッコミボケをやる(「うっかり…」を受けて「八兵衛か!」など)。このパターンでのネタを作る際は、ツッコミのフレーズ(「○○か!」の○○の部分)を先に作ってからそれに合ったボケを後付けする形をとっている[10]
  • また、タカが逆にトシの頭を叩いて「○○か!」とツッコむくだりもあり、その際はタカがボケた後に自らトシにツッコんだりトシのツッコミに被せる形でツッコむなどのパターンがある。

概説

  • 東京進出後も地元の北海道を大事にしており、2007年開始の『タカアンドトシのどぉーだ!』以降、北海道ローカル番組のレギュラーを切れ目なく持ち続けている他、道内各市町村を他の吉本芸人と共に周るライブ「タカトシ寄席」を主宰していた。2人とも北海道に本拠地を置くプロ野球北海道日本ハムファイターズJリーグ北海道コンサドーレ札幌のファン。
  • タカはとんねるずが芸人を目指すきっかけとなっているが、「とんねるず」がコンビ名に「ん」が付いているため「自分たちも『ん』が付くコンビ名にしたい」と思い、「タカア“ン”ドトシ(当初は『タカ&トシ』)」をコンビ名に命名した[11]。そしてデビュー当初は、「カタカナの2人組」かつ「名前の間に&(アンド)がつく」ことからテツandトモと混同されることが多かった。地方では未だに間違われるのをトーク番組などでネタにすることがある。逆にテツトモはタカトシに間違えられるのをネタにすることもある。初期のオンバトでは鈴木崇大・三浦敏和と本名で併記されることもあったが、後にタカ・トシ名義に一本化されている。
  • 2人の出会いは、中学2年時にトシが西岡北中学に転校してきたのがきっかけ。タカがトシを相方に選んだ理由は「トシが『面白い』と思うところが、自分と一緒だったから」。また、タカが学園祭で一緒に漫才をやる予定だった友人がネタ合わせをサボるなど不真面目で、保健だよりを立ったまま熟読するトシの真面目さに惹かれたからとも語っている[12]。学生時代はタカの実家の和室でタカの両親にネタを披露したり[13]、ビデオに撮影して2人だけで視聴したりしていた。
  • タカのホラ話もネタになってきている。島田紳助からロシア人っぽいとイジられて実父がロシア人と答えたこと、高倉健が友人、昔は『めちゃ×2イケてるッ!』にエキストラとして出演していた、幼少期に父と漁に出て海に落ち死にかけたことなどはいずれも嘘である。その嘘はいずれも具体性があり実際にあったかのようなもので、トシがツッコむまでは真に受ける共演者もいる[14]
  • 同級生からの縁でコンビ愛は深く、『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』での解散ドッキリの中でトシが「休業したい」と宣言した際も、タカは涙ながらに「俺はお前とじゃないとできないから」と説得していた。トシは同番組の最後で「(タカが自分とじゃないと漫才はできないと言ってくれたことに)感動した」と話している[15]
  • 先輩として河本準一(次長課長)を慕っているが、実際はほぼ同期(年齢は河本が1つ上)。だが同じく同期のスピードワゴンや、フットボールアワーにはタメ口で話す。長州小力に至っては初対面から後輩扱いして以来、本当は先輩と判明した後も「今さら変えられない」という理由で後輩扱いのままで、ガレッジセールは初対面から先輩扱いして以来、ほぼ同期と判明した後も小力と同じ理由で先輩扱いのまま。そして、後輩にあたる富澤たけしサンドウィッチマン)には、何故か『富澤さん』とさん付けするが、相方の伊達みきおには『伊達ちゃん』とちゃん付けする[16]。ただし年齢はサンドの方が上(タカトシは76年でサンドは74年生まれ)。
  • 東京進出して間もなかった頃、当時タカが細身・金髪・髭と近寄りがたい出で立ちだったのもあり、爆笑オンエアバトル収録中の楽屋に馴染めず肩身の狭い思いをしていたが、そんな中でもホーム・チームが親しくしてくれた数少ないコンビであったことを度々テレビで公言している。その縁から与座よしあきの生誕40周年ライブにコンビで携わるなど、現在も交流が続いている[17]
  • 吉本には珍しく、「バラ売り」をせず常に2人で出演するコンビとして知られている(『全力!脱力タイムズ』など基本的にピンで出演する番組でもコンビで出演している)。これはタカが極度の人見知りであるためと言われている[18]。他にも『そんなコト考えた事なかったクイズ!トリニクって何の肉!?』をタカの母親が見て「なんでミウラ(※トシの名字)ひとりで出てんの!? うちの息子が誘って、こいつ入ったくせに。なんでひとりで出てんの!? おかしいじゃん、あんたなんで出ないの!? ミウラひとりで出て」とタカに連絡してきたのもきっかけとされる[19]
  • 出囃子The Valves英語版の『For adolfs only』。

爆笑オンエアバトル

  • かつてNHK総合テレビで放送されていたネタ番組『爆笑オンエアバトル』には2001年から2006年まで出場、様々な功績(後述)を残してきた[20]。数多くの人気芸人を輩出してきた番組であるが、その中でも代表するコンビとして挙げられ、卒業後も特番で司会を務めたりするなど番組に大きく貢献した(後述)。
  • 初出場及び初オンエアは2001年6月23日放送回。2人の地元である札幌収録であり、「地元枠」での出演だった。469KBという高得点だったが、比較的球の入りやすい地方収録だった影響もありアンタッチャブルと同率の4位であった。因みにこの収録には当時まだ高校生であったトム・ブラウンの布川ひろき(タカトシと同じく北海道出身)が一般審査員として参加しており、タカアンドトシへボールを入れていた事が後に明らかとなっている。このため、タカトシの2人は2019年に行われたインタビューで布川へ感謝の弁を述べている[21]
  • その後は満を持して東京収録にも参加、この頃から勝ち星を重ねていく。しかし2001年9月8日放送回から2002年4月20日放送回まで4連勝を達成するも、全ての回が300KB台でギリギリの5位通過という珍記録を残している。このように2001~2002年までは連勝はするものの、KB数は思うように伸びず3位~5位で終わってしまうことが多かった。このような状況から当時2人はネタ披露後のフリートーク内で「オンエアバトル史上最も地味な連勝記録」と呼ばれていると自虐混じりに語った事もある。このため2001・2002年度はチャンピオン大会の出場条件である年間4勝を達成しているが、いずれもKB数が足らず出場を逃していた。
  • 2003年度から成績が安定していき、この頃から徐々に高得点を叩き出していく。2003年10月17日放送回では初のオーバー500となる529KBを記録(自己最高KB)、初のトップ通過も果たした(なお、この回から2005年10月15日放送回まで6戦連続トップ通過という番組タイ記録を樹立[注 1])。勢いに乗り同年のチャンピオン大会にも出場を果たすが、初出場ということもあってかファイナル11組中10位(578KB)に終わってしまう(タカは「力が入りすぎて、本番空回りしてしまった」と述懐している)。
  • 2004年度は3戦連続オーバー500及び3戦連続トップ通過、更に史上初の年間ランキング1位を獲得するなど2人にとってまさしく飛躍の年となった。同年のチャンピオン大会では、セミファイナルで当時の大会最高KBとなる1034KB[注 2]を叩き出しトップ通過を果たすと、ファイナルでは986KB[注 3]を獲得して7代目チャンピオンに輝いた。
    • ちなみにこの年は通常回・年間ランキング・セミファイナル・ファイナルの全てにおいて1位を記録しているが、これは番組内でタカアンドトシしか成し遂げていない唯一の記録となっている。また、年間ランキング1位の王者もハリガネロック以来2組目の快挙となっている。
    • 更にこの年は出場した全ての通常回においてオーバー500を記録した他、上記の通りセミファイナルでは史上初のオーバー1000も記録しているが、これでファイナルにおいてもオーバー1000を記録していれば、番組内で史上初となる1年を通してオーバー500とオーバー1000のみしか記録したことのないコンビとなっていた[注 4]
  • 2005年度の第8回チャンピオン大会ではシードでファイナルに出場。後にチャンピオンとなるNON STYLEトータルテンボスなどといった強豪が揃う中、946KBを獲得して8代目チャンピオンとなり、ルート33以来の2連覇を達成。なお、この年のファイナルで900KB台を記録したのはタカアンドトシのみであった[注 5]
  • 2006年11月3日放送回にて、それまでますだおかだが保持していた番組記録の17連勝(全勝)を塗り替える18連勝(全勝)を達成し、当時の番組新記録を樹立した[注 6]。更に同回では6戦連続オーバー500という番組新記録も達成しており、これは番組終了まで一度も破られていない。
  • 2006年度の第9回チャンピオン大会に再びシードでファイナルに出場。番組史上初の3連覇を狙うも、ネタ順がトップバッターだったことも災いしたのか[注 7]、958KB[注 8]という高得点ながらも3位敗退[注 9]に終わり、9代目チャンピオンの座はNON STYLEに明け渡すこととなった。敗退が決定後、タカは相当悔しがっていたようで最後の全員で行う「あなたたちです!」の時まで、終始俯き涙しながら落ち込んでいた。
  • 上記のように7・8代目チャンピオン(2連覇)、18戦全勝、6戦連続オーバー500、6戦連続トップ通過(番組タイ記録)、オーバー500獲得回数7回(歴代4位)など様々な番組記録を残し、2000年代半ばの同番組を支えたコンビとして番組に大きく貢献した。また、ゴールドバトラープラチナバトラーの両方を獲得している数少ないコンビである[注 10]
  • 出場者としては第9回チャンピオン大会ファイナルを以て卒業したが、以降も特番である「オンエアバトルDX」に司会として2回出演するなど卒業後も貢献していた。2014年3月15日に放送された「オンバト最終章 チャンピオン大会直前 15年間ありがとうスペシャル」では、数多くの芸人を代表して司会に抜擢された。更に同年3月22日放送の「オンバト+ 第4回チャンピオン大会」でも司会を務めた。
  • 2014年3月6日に行われた「オンバト最終章」の記者取材会にて、タカは「無名のときに札幌大会で初めて出させていただき、ギリギリ5位で通過してオンエアされた。オンバトがなかったら東京に出るきっかけもなかった」と語り、トシも「我々はオンバトなくして今ここにいない、というくらいお世話になった番組。最後にMCを手伝わせていただくのは感慨深くてありがたい」と語るなど、各々番組に対して感謝の弁を述べていた[22]
  • 2019年3月23日深夜に放送された特番「爆笑オンエアバトル20年SPECIAL ~平成最後の年に一夜限りの大復活!~」においても番組OBを代表して司会を担当した[23]。なお、同回においてはごく一部[注 11]を除いてタカトシ以外の吉本所属の芸人(番組OB)が全く出演していない形となった[注 12]

賞レース成績・受賞歴など

M-1グランプリ

結果 エントリーNo. 決勝戦キャッチコピー 備考
2001年 準決勝敗退 513[24] 当時は敗者復活戦なし
2002年 準決勝敗退 1745[注 13]
2003年 準決勝敗退 1884[25]
2004年 決勝4位[26] 2584 直球勝負 ラストイヤー

その他

出演

テレビ

レギュラー番組

現在の出演番組

過去の出演番組

特別番組

*MCもしくはメインキャスト

現在

過去

ラジオ

ネット番組

ドラマ

映画

舞台

  • スーパー銭湯LIVE「ユーラン・ルージュ~笑いの源泉かけ流し!~」(2022年6月3日・4日〈予定〉、よみうりホール)- トシのみ[39]

CM

音楽

  • 私たちの道 - One Hokkaido Project(参加作品、WESS RECORDS、デジタル配信2019年2月20日、CDシングル2019年3月6日)

MV

  • 私たちの道 - One Hokkaido Project[42]

DVD

  • 「タカアンドトシ20年目の単独ライブ~2020年東京五輪の正式種目に漫才を!~」(2015年2月18日)
    結成20年目の節目である2014年11月2日・3日に行われた単独ライブの模様を収録。
  • 「タカアンドトシ単独ライブ in 日本青年館 勝手にM-1グランプリ」(2009年9月9日)
    2009年5月2日・3日に行われた、M-1グランプリをパロディした単独ライブの模様を収録(DVDは5月3日分)。決勝へ進出した架空の漫才コンビ(「タカアンドトシ」も含む)8+1組を全てタカアンドトシが演じ分けている。司会は今田耕二に代わりあべこうじが担当し、タカ・トシそれぞれの両親が採点しているという設定。またネタだけでなく、オートバックスのCMパロディや、敗者復活戦の架空レポートなども含まれている。なお、この5月3日分公演については当日WOWOWで生中継された[43]
  • 「タカアンドトシ新作単独ライブ タカトシ寄席 欧米ツアー2006」(2006年10月25日)
    2006年6月に6都市(6月3日:札幌、4日:広島、10日:福岡、11日:名古屋、24日:大阪、25日東京)で行われた単独ライブツアーの模様を収録(DVDは6月25日東京ファイナル公演分)。最終的によしもとのDVDでは史上最高の10万枚以上のセールスを記録した。
  • 「新宿南口連続殺人事件」
  • 「月刊DVDよしもと本物流」Vol. 8(2006年2月号青版)
  • M-1グランプリ2004
  • M-1グランプリへの道 起の1」
  • 「M-1グランプリへの道 転の2」
  • 「漫服」
  • 「新宿南口連続殺人事件」
  • 「タカトシ・くりぃむのペケ×ポン」
  • 「爆笑オンエアバトル タカアンドトシ」(2009年3月31日)
  • 「少年タカトシ」(2009年11月18日)
  • 「フットンダ タカアンドトシが選ぶゴールドモジりベスト10」(2009年12月23日)
  • 「フットンダ タカアンドトシが選ぶゴールドモジりベスト10 第2弾」(2010年9月22日)

著書

  • +メガネ 01(キッズレーベル、2006年11月)
  • タカアンドトシ 本音か!!(ワニブックス、2007年8月9日)

単独ライブ

  • 2000年
    • 11月2日 - 「短パンアレルギー」(電車通り8丁目スタジオ/北海道)
  • 2002年
    • 9月13日 - 「博士とレスラー」(シアターD/東京)
    • 11月28日 - 「赤鬼と牛」(シアターD/東京)
  • 2003年
    • 1月26日 - 「チャゴリ」(シアターD/東京)
    • 3月20日 - 「稲童丸」(シアターD/東京)
    • 5月20日 - 「女子プロレス」(新宿シアターモリエール/東京)
    • 8月18日 - 「サブタイトル未定」(新宿シアターモリエール/東京)
  • 2004年
    • 3月9日 - 「ひよこふぁ〜」(新宿シアターモリエール/東京)
  • 2005年
    • 3月5日 - 「ゴリラのじゅうたん」(ルミネtheよしもと/東京)
    • 8月13日 - 「ペガサス幻想」(ルミネtheよしもと/東京)
  • 2006年
    • 6月3日 - 新作単独ライブ タカトシ寄席「欧米ツアー2006 〜つゆなのに、やる。〜」(五番館赤れんがホール/北海道)
    • 6月4日 - 新作単独ライブ タカトシ寄席「欧米ツアー2006 〜つゆなのに、やる。〜」(よしもと紙屋町劇場/広島)
    • 6月10日 - 新作単独ライブ タカトシ寄席「欧米ツアー2006 〜つゆなのに、やる。〜」(ラフォーレミュージアム小倉/福岡)
    • 6月11日 - 新作単独ライブ タカトシ寄席「欧米ツアー2006 〜つゆなのに、やる。〜」(ASUNAL HALL/愛知)
    • 6月24日 - 新作単独ライブ タカトシ寄席「欧米ツアー2006 〜つゆなのに、やる。〜」(baseよしもと/大阪)
    • 6月25日 - 新作単独ライブ タカトシ寄席「欧米ツアー2006 〜つゆなのに、やる。〜」(ルミネtheよしもと/東京)
  • 2009年
    • 2月7日 - 「タカアンドトシ漫才セレクション 1995〜2008」(ルミネtheよしもと/東京)タカの怪我により延期となった2008年12月13日公演の振替公演
    • 5月2日 - 3日 - 「タカトシの勝手に!M-1グランプリ」(日本青年館/東京)

主催ライブ

芸人として売れっ子になってもなお、新ネタを作りつつライブにかけることに強いこだわりを持つ。2012年から、新ネタを下ろす機会がすっかり減ってしまった芸人たちによる新ネタオンリーライブを主催している。

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ アメリカザリガニと並んで番組タイ記録。
  2. ^ 後に第10回チャンピオン大会セミファイナルにて超新塾が1046KBを記録して更新する。
  3. ^ 当時のファイナル最高KB。後に第10回チャンピオン大会ファイナルにてトータルテンボスが1026KBを記録して更新する。
  4. ^ ファイナルでは上記の通り986KBを記録しており、あとボールが4個入っていればオーバー1000を記録していた。
  5. ^ 2位のハマカーンでさえも894KBに終わり、僅かに届かなかった。
  6. ^ 後に2008年10月30日放送回にて、流れ星☆が19戦全勝を記録し更新する(最終的に彼らは20戦全勝を記録した)。
  7. ^ チャンピオン大会のファイナルにて暫定チャンピオンがトップバッターでネタを披露したのはタカアンドトシが初めてかつ唯一である。
  8. ^ この数字は第4回チャンピオン大会以降のファイナルにおいて、トップバッターの最高KBとなっている。
  9. ^ ちなみに2位のタイムマシーン3号とは966KBでボール2個差、1位のNON STYLEとは974KBでボール4個差とかなりの僅差での敗退となった。またこの年のファイナルにおいては上位5組が900KB台を記録する(ファイナルではこの年が唯一)という、歴代のチャンピオン大会の中でも稀に見る激戦回となった。またタカアンドトシが今回記録したKB数は、数字上では昨年のファイナルに記録したKB数よりも上回っていた(昨年のファイナルでは946KBを記録)。
  10. ^ 彼らを含めてアンジャッシュ、アンタッチャブル、トータルテンボスの4組しか達成していない。
  11. ^ 番組ナレーションを担当した陣内智則や、「爆笑オンエアバトル2019」にて出場芸人を選出したユウキロック(元ハリガネロック)及び「爆笑オンエアバトル2019」で審査員を担当した吉本所属の番組OBなど。
  12. ^ 上述のようにタカトシを倒して9代目チャンピオンとなったNON STYLEや、番組史上初の3連覇を達成したトータルテンボスなども一切出演しなかった。
  13. ^ 番組内のオープニングVTRより。

出典

  1. ^ a b c d タカアンドトシ プロフィール 吉本興業株式会社
  2. ^ 北海道新聞、2014年7月4日夕刊釧路版11頁「9月にタカトシ寄席」
  3. ^ 事務所の後輩である村上マヂカルラブリー)の本名(鈴木崇)と読みが同じの一字違い。
  4. ^ 日本テレビ放送網株式会社. “「欧米か!」が生まれるまで タカアンドトシは挫折をどのように乗り越えたのか”. 日本テレビ. 2021年10月14日閲覧。
  5. ^ 一方、タカが組んでいたのは蛍原徹(当時雨上がり決死隊)。
  6. ^ “タカアンドトシ「一番欲しかったタイトル」に就任”. スポーツ報知. (2016年5月24日). オリジナルの2016年5月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160526141752/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160524-OHT1T50054.html 2016年5月24日閲覧。 
  7. ^ 北海道の歌、参加歌手|One Hokkaido project”. one-hokkaido.jp. 2020年7月11日閲覧。
  8. ^ a b 6局同時生放送「みんなで道フェス!2019」番組内容発表!|One Hokkaido project”. one-hokkaido.jp. 2020年7月11日閲覧。
  9. ^ 「タカアンドトシ 本音か!!」55ページ等より
  10. ^ 「タカアンドトシ 本音か!!」202ページより
  11. ^ 「タカアンドトシ 本音か!!」32ページ、小学館小学五年生」2007年6月号でのインタビューより
  12. ^ 『誰だって波瀾爆笑』2018年10月7日放送分。
  13. ^ 「タカアンドトシ 本音か!!」22ページより
  14. ^ 「タカアンドトシ 本音か!!」179ページ~180ページより
  15. ^ 「リアル芸人交換日記」(ヨシモトブックス)51ページより
  16. ^ 「タカアンドトシ 本音か!!」108ページなどより
  17. ^ 与座よしあき生誕40周年ライブ、ホーム・チーム時代の漫才再現に会場沸く”. お笑いナタリー (2016年10月5日). 2021年8月21日閲覧。
  18. ^ タカアンドトシ「上半期番組出演本数」は20位でもコンビ愛はNO1!? なお、トシは『ナカイの窓』などでピン出演をする機会はある。
  19. ^ https://www.narinari.com/Nd/20201061994.html
  20. ^ 「タカアンドトシ」と「オンエアバトル」”. JanJan (2004年4月5日). 2022年7月19日閲覧。
  21. ^ タカトシ語る漫才への思い、トムブラ布川がボール入れた「オンバト」初オンエア回想”. お笑いナタリー. ナターシャ (2019-0s8-13). 2021年10月8日閲覧。
  22. ^ 「オンバト」終了に感慨、タカトシら番組への思い明かす
  23. ^ 「爆笑オンエアバトル」20年SP放送決定!初期メンバートーク&新世代ネタ合戦”. お笑いナタリー (2019年3月11日). 2019年10月19日閲覧。
  24. ^ 第3回戦 11/24(土)東京 ルミネ the よしもと合格者 - ウェイバックマシン(2001年12月1日アーカイブ分)
  25. ^ タカアンドトシ”. M-1GPアーカイブ - M-1GP2003. 2024年1月7日閲覧。
  26. ^ 大会の歴史”. M-1グランプリ 公式サイト. 2024年1月7日閲覧。
  27. ^ <帰れま10>テレ朝の人気企画が激戦の日曜朝に復活 新たなロケバラエティー2番組に MANTANWEB
  28. ^ “フジ改編でくりぃむ、タカトシ、柳原可奈子の新番組、又吉の冠特番も明らかに”. お笑いナタリー. (2016年9月5日). https://natalie.mu/owarai/news/200627 2016年9月5日閲覧。 
  29. ^ a b (日本語) 【冒頭のみ】タカアンドトシさんと水曜どうでしょうD陣がまさかの対面, https://www.youtube.com/watch?v=yuFhi9J9zkw 2021年7月4日閲覧。 
  30. ^ “新火7バラエティーのビジュアル初公開!人気者の成功の秘訣をどんどんホメまくる!”. とれたてフジテレビ. (2016年4月18日). https://web.archive.org/web/20160421091952/http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2016/160418-152.html 2016年4月20日閲覧。 
  31. ^ “タカトシ「笑いが優先」新バラエティ、芸人がフリップで独自情報プレゼン”. お笑いナタリー. (2016年9月2日). https://natalie.mu/owarai/news/200290 2016年9月2日閲覧。 
  32. ^ タカトシの日本ゆるツボスポット”. テレビ東京 (2013年1月). 2023年11月29日閲覧。
  33. ^ 外国人バイト図鑑”. webザテレビジョン (2018年12月). 2023年1月8日閲覧。
  34. ^ タカアンドトシin静岡on〜!おもてなしツアー”. webザテレビジョン (2021年10月). 2023年1月8日閲覧。
  35. ^ 日曜ビッグバラエティ”. テレビ東京 (2022年9月). 2023年1月8日閲覧。
  36. ^ タカアンドトシの新春!秒で里帰り”. webザテレビジョン (2023年1月). 2023年1月8日閲覧。
  37. ^ 地元じゃ負け知らず”. webザテレビジョン (2023年3月). 2023年4月2日閲覧。
  38. ^ タカトシ・遠藤・ライオンのゴルフ王は俺だ!俺だ!!俺だ!!!”. BSよしもと (2023年12月). 2024年1月6日閲覧。
  39. ^ スーパー銭湯を舞台にした“ノンストップコメディLIVE”、主演は田村心・新内眞衣”. ステージナタリー. ナターシャ (2022年4月12日). 2022年4月13日閲覧。
  40. ^ 【ファイトリーグ】開幕宣言イベントに先駆けて主要ブランドのメインビジュアルを公開”. ファミ通App (2017年6月20日). 2017年6月20日閲覧。
  41. ^ XFLAG、新作「ファイトリーグ」の最新情報を公開”. GAME Watch (2017年6月20日). 2017年6月20日閲覧。
  42. ^ YouTube”. www.youtube.com. One Hokkaido Project公式チャンネル. 2020年7月11日閲覧。
  43. ^ タカアンドトシがWOWOW本社を突撃訪問!「欧米か!」もさく裂|株式会社WOWOWのニュースリリース”. 2013年5月22日閲覧。
  44. ^ 発見!タカトシランド』(2023年6月9日)でのタカの発言による。

外部リンク