歌川国花女

江戸時代の女流浮世絵師

歌川 国花女(うたがわ くにかめ、文化7年〈1810年〉 - 明治4年2月18日1871年4月7日〉)とは、江戸時代の女流浮世絵師

来歴 編集

初代歌川豊国の娘で名はきん。歌川の画姓を称し一鳥斎と号す。母は、江戸上槇町に住む西宮三次郎の娘その。幼少の頃は殆どを祖父三次郎の家で過ごしたと伝わる。文化13年(1816年)7歳の時、伊勢亀山の大名石川家の江戸屋敷に奉公に出る。当時の藩主石川総佐が浮世絵を好み、父豊国より絵を習っていた縁によるものであった。10歳の頃より、石川家にいる間に豊国より絵手本を貰って絵を学び、11歳で「豊国門人十一歳きん女画」と落款の入った役者絵を版行している。12歳になると豊国より国花女の画名と画号を授けられた。しかし石川家を下がり、文政9年(1826年)に市谷田町の菓子商渡辺家に嫁いだのちは、画業に携わることはなかった。三田村鳶魚によれば、文政11年建立の豊国先生瘞筆之碑に「国花女」の名があるが、これは「いわゆる名取りであるからの取計らい」であったという。享年62。墓所は青山南町二丁目の龍泉寺。

参考文献 編集

  • 『三田村鳶魚全集』(第十七巻) 中央公論社、1976年 ※「歌川豊国の娘」(308頁)
  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※115頁

関連項目 編集