歌川国輝 (3代目)

明治期の浮世絵師

三代目 歌川国輝(さんだいめ うたがわ くにてる、生没年不詳)とは、明治時代の浮世絵師

「近世史略 武田耕雲斎筑波山之図」 明治24年9月、三代目国輝画。

来歴 編集

はじめは二代目歌川国輝の門人だったと見られ、のちに豊原国周の門人となっている[1]。本姓は岡田、名は藤四郎。一雄斎、昇旭斎、旭斎と号す。明治7年(1874年)に二代目国輝が没してのち三代目国輝を称した。神田に住み、後に深川に移る。また霊岸島に住したともいわれる。作画期は明治19年(1886年)頃から明治29年(1896年)の頃にかけてで、国周に絵を学び、明治23年(1890年)からは豊原姓を称した。作品は「東京名所」のシリーズや3枚続の「浅草観世音」、「帝国国会議事堂之図」などのほか相撲絵を残しているが数は少ない。

作品 編集

脚注 編集

  1. ^ 『浮世絵の見方事典』は三代目歌川豊国の門人であったとする。また同著148頁に記載の略系譜では二代目国輝の門人としている。

参考文献 編集

関連項目 編集