武井廃寺塔跡(たけいはいじとうあと)は、群馬県桐生市新里町武井にある古墳火葬墓)。形状は八角墳。国の史跡に指定されている。

武井廃寺塔跡

墳丘(基壇)
所在地 群馬県桐生市新里町武井598
位置 北緯36度25分25.90秒 東経139度14分34.55秒 / 北緯36.4238611度 東経139.2429306度 / 36.4238611; 139.2429306座標: 北緯36度25分25.90秒 東経139度14分34.55秒 / 北緯36.4238611度 東経139.2429306度 / 36.4238611; 139.2429306
形状 八角墳
規模 直径18m
高さ2m
埋葬施設 石製骨蔵器?
築造時期 8世紀
史跡 国の史跡「武井廃寺塔跡」
地図
武井廃寺 塔跡の位置(群馬県内)
武井廃寺 塔跡
武井廃寺
塔跡
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指定名称は「武井廃寺塔跡」であるが、現在では奈良時代火葬墓とする説が有力視される。

概要 編集

 
墳頂の石造物(石製骨蔵器か)

群馬県東部、赤城山南東麓の鏑木川左岸丘陵上(標高210メートル)に築造された火葬墓である。かつては白鳳寺院の塔跡と推定されたが、1969年昭和44年)の発掘調査後は火葬墓とする説が有力視される。

墳丘(基壇)の形は正八角形で、直径約18メートル・高さ約2メートルを測る[1]。墳丘は南側で4段築成、北側で3段築成[1]。墳丘外表には石積み(化粧石)が認められる。墳丘頂部には安山岩製の石造物(石製骨蔵器か:かつては塔心礎と認識)が据えられる。自然石の上半を円錐台形に加工したうえで、円錐台中央に丸底状の孔を穿った形状であり、円錐台部は下位直径123センチメートル・上面直径105センチメートル・高さ17.5センチメートル、中央孔は直径43センチメートル・深さ44センチメートルを測る[1]。副葬品等の出土は認められていない。

築造時期は、奈良時代8世紀代と推定される。八角墳は段ノ塚古墳奈良県桜井市舒明天皇陵)・御廟野古墳京都府京都市天智天皇陵)・野口王墓古墳(奈良県明日香村天武持統天皇合葬陵)など当時の天皇陵クラスの古墳で採用される墳丘形態になり、当地の豪族の特異性が示唆される。また南東に所在する中塚古墳の後代首長墓として関連性がうかがえるほか、上毛地区における仏教の様相を知る上でも重要視される遺跡になる。

墓域は1941年(昭和16年)に「武井廃寺塔跡」として国の史跡に指定されている[2]

遺跡歴 編集

文化財 編集

国の史跡 編集

  • 武井廃寺塔跡 - 1941年(昭和16年)1月27日指定[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 武井廃寺塔跡(桐生市ホームページ)。
  2. ^ a b c 武井廃寺塔跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁

参考文献 編集

  • 「武井廃寺塔跡」『日本歴史地名大系 10 群馬県の地名』平凡社、1987年。ISBN 4582490107 
  • 武井廃寺塔跡」『国指定史跡ガイド』講談社  - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。

関連項目 編集

外部リンク 編集