武内維積
明治期の検察官、内務官僚
武内 維積(たけうち いせき、1846年3月22日(弘化3年2月25日) - 1903年(明治36年)11月7日[1])は、明治期の日本の検察官、内務官僚。官選佐賀県知事。位階および勲等は従四位・勲四等。幼名は検一郎[1]。
経歴
編集播磨国揖西郡龍野(現兵庫県たつの市)出身[1]。武内宇三郎の二男として生まれる[1]。林田藩儒・河野鉄兜に学んだ[1]。
1883年12月27日、検事に任官[2]。その後、内務省に転じ、内務権少書記官、大阪府少書記官、同書記官、大分県書記官、愛媛県書記官、宮城県書記官などを歴任。1892年2月、第2回衆議院議員総選挙に兵庫県第8区から出馬するが落選[3]。
1897年4月、第2次松方内閣により佐賀県知事に任じられた[4]。1898年6月、知事を非職となるが、後任の平山靖彦知事が一月もたたずに免官となったため、同年7月、佐賀県知事に再任[4]。五か月後の同年12月21日に知事を非職となった[4][5]。
その後、安田家顧問となった[1]。
栄典
編集- 位階
- 勲章
脚注
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『兵庫県人物事典 下巻』のじぎく文庫、1968年。