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武左衛門一揆(ぶざえもんいっき)は、江戸時代後期に南予(伊予南部)の伊予吉田藩で発生した百姓一揆である。

経歴編集

一揆の原因編集

寛政2年(1790年)、吉田藩は紙を設けて御用商人の法華津屋に紙の専売権を与えたため、製紙産業に従事する領民の収入は激減した[1]。このため、吉田藩領の日吉村の百姓武左衛門(嘉平)が桁打ち(浄瑠璃語り)に身をやつして3年間にわたり農家を戸別訪問して大一揆を纏め上げ、彼らは法華津屋を打ち壊して専売制を改めさせようとした[1]。一揆衆は吉田藩の宗家である宇和島藩に訴えるために伊吹八幡神社前の河原に集結し、その総勢は7500名を数えた[1]

藩の対応編集

一揆勢に対し、吉田藩は家老の安藤継明(儀太夫)が八幡河原に出向き、責任と解決のために一揆勢の前で切腹した[1]。また宇和島藩は一揆勢の主張を全て認め、一揆の主導者は処罰しない事を約束した[1]。しかしこの約束は吉田藩の裏切りにより破棄され、吉田藩の役人は百姓らに酒を与えて「首謀者を士分に取り立てたいから教えてほしい」と計略をめぐらせて武左衛門の名前と所在を聞き出し、捕縛して斬首した[1]

現在編集

武左衛門の出身日吉村(現在の北宇和郡鬼北町)では、武左衛門ら一揆の主導者を義農として崇敬顕彰している[2]。安藤継明も安藤神社に祀られ、現在も同地の町民には「安藤様」として崇敬されている[2]

関連作品編集

小説編集

脚注編集

注釈編集

引用元編集

  1. ^ a b c d e f 宇神『シリーズ藩物語、宇和島藩』、P130
  2. ^ a b 宇神『シリーズ藩物語、宇和島藩』、P131

参考文献編集

関連文献編集

  • 白方勝『武左衛門一揆考』白水書菴 1999