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武田 豊信(たけだ とよのぶ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。上総武田氏当主。庁南城主。武田清信養子とされている。一説には甲斐武田氏の武田信玄の三男信之が養子として入ってきたとも言われている[1]

永禄3年(1560年)、上総笠森寺に十六善神画像を寄進している[2]

元亀3年(1572年)2月8日、武田信玄から里見・北条の和睦を斡旋して欲しいという内容の書状を送られている[2]

天正4年(1576年)、豊信は里見氏を離れ古河公方足利義氏の傘下に入った[2]

天正18年(1590年)に行われた豊臣秀吉小田原征伐には後北条氏に味方したが小田原城に籠城したかどうかは不明である[2]。このため、7月に秀吉の討伐軍に攻められて、徳川家康の旗本本多忠勝らと戦い敗戦。切腹したとされているが、一説には信濃国松代に逃亡し蟄居したと言われている。長南町の大林寺に豊信の墓があり、天正18年に戦死の後葬ると伝われる[3]。落城後、嫡男氏信は西村(現在の茂原市永吉)に土着した[4]

諸系図には天正18年7月7日に死去とある[2]

脚注編集

  1. ^ 近年では上総武田氏庶流出身説や上総多賀氏出身説なども唱えられてはいるが、現存の上総武田氏関連文献は少なく、かつそのほとんどが甲斐武田氏出身説を採っている
  2. ^ a b c d e 川名登「上総武田氏について―その発給文書を中心にして―」『千葉経済論叢』1号、1989年。
  3. ^ 千葉県誌 巻下 第3巻、856頁。
  4. ^ 千葉県誌 巻下 第3巻、855頁。