武蔵中央電気鉄道

かつて日本の東京府にあった鉄道事業者、軌道路線

武蔵中央電気鉄道(むさしちゅうおうでんきてつどう)は、1929年から1939年まで東京府(現・東京都八王子市内を通っていた軌道路線およびその運営会社である。甲州街道沿いに路面電車を走らせ「武中電車」の愛称で親しまれた。

武蔵中央電気鉄道
横山町付近
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
東京府南多摩郡横山村散田540[1]
設立 1929年昭和4年)3月26日[1]
業種 鉄軌道業
事業内容 旅客鉄道事業[1]
代表者 社長 藤山愛一郎[1]
資本金 4,900,000円[1]
700,000円(払込額)[1]
特記事項:上記データは1937年(昭和12年)4月1日現在[1]
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停留場・施設・接続路線
STR
中央本線
STR+l STRq KRZo
京王電気軌道京王線
KRZu STRq ABZg+r
八高線
STR ABZg+l
横浜線
KBHFe STR
uexKBHFa STR
0.0 東八王子駅
uexHST STR
0.1 京王駅前(仮)* -1930
uexBHF STR
0.2 新町
uexTBHFxaq uexKBHFeq BHF
0.4
0.0#
横山町
uexSTR STR
0.4# 八王子駅
uexBHF STR
郵便局前
uexBHF STR
八日町一丁目*
uexBHF STR
八日町三丁目*
uexBHF STR
大横町
uexBHF STR
電気館前*
uexBHF STR
八幡町
uexBHF STR
八木町*
uexBHF STR
2.2 追分
uexBHF STR
千人町
uexBHF STR
地蔵堂
uexSTR POINTERg@f STR
-1938
uexBHF STR
3.8 横山車庫前
uexSTR POINTERf@g STR
-1939
uexmKRZu exBHFq eKRZu
京王御陵線
uexBHF STR
4.0 横山駅
uexBHF STRc2 STR3
浅川新地
uexBHF STR+1 STRc4
御陵前
uexBHF STR
浅川原
uexBHF BHF
6.2 浅川駅
uexBHF STR
川原宿
uxmKRZ STRr
uexBHF
小名路
uexBHF
落合
uexKBHFe
8.0 高尾橋
KHSTa
清滝駅
STR
高尾登山電鉄

*: 路線廃止前の廃止停留場
名称・距離は今尾 (2008) による

折からの世界恐慌による八王子市の繊維産業の不振に加え、並行する中央本線での電化京王御陵線の開通などにより乗客数が伸びず、1938年に一部区間を廃止のうえ京王電気軌道(現・京王電鉄)に吸収合併され、のち全線が廃止された。

路線データ 編集

一部廃止・京王合併直前

  • 路線距離(営業キロ):8.4km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:18駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:全線単線
  • 電化区間:全線電化(直流600V)
  • 閉塞方式:(軌道のため閉塞はなし)

運行形態 編集

八王子駅前 - 高尾橋間は6:30 - 21時台まで8-16分間隔、東八王子駅前 - 横山町間は7時台から20時台まで7分間隔の運転であった。

歴史 編集

高尾山電気軌道の計画を前身とする。高尾山電気軌道は1923年(大正12年)1月30日に設立(資本金10万円)され、紅林七五郎[注釈 1]という素封家が社長であった。当初の計画(浅川駅前 - 高尾橋)では東京市民の行楽地であり信仰の山である高尾山への輸送を目的としていたが[注釈 2]、やがて八王子市内への延長計画を立てたあと、八王子から所沢を経由して大宮へ至る路線と、砂川から分岐して田無を経由して目白に至るという長大な路線を計画した。そして1923年(大正12年)8月に特許出願したが、この長大な路線はあえなく却下されてしまう[注釈 3]。かろうじて八王子市内への延長線は1925年(大正14年)9月に敷設特許が下付されることになったが1926年(大正15年)3月になると経営陣の異動があり、紅林は社長を退いた。

4月に八王子電気鉄道[3]に商号変更し、資本金を100万円に増額すると、6月の株主総会において藤山愛一郎が取締役に、父親の藤山雷太が顧問に就任した。この年の藤山親子の持株は総株数の4割をしめており、会社が藤山家の支配下におかれたことになる[注釈 4]。この体制のもと9月に八王子から所沢に至る鉄道の敷設免許を申請し、つづいて1927年(昭和2年)1月には所沢より大宮に至る鉄道の敷設免許を申請した。

この八王子 - 大宮間の敷設免許は1927年(昭和2年)12月に下付された[注釈 5]。さらに1928年(昭和3年)4月には大宮から与野町鳩ヶ谷町草加町流山町を経由して常磐線柏駅に至る路線と鳩ヶ谷から分岐して舎人村西新井村綾瀬村を経由して常磐線北千住駅に至る路線の敷設免許の申請をした。しかしこの路線の免許を得ることはできなかった。

ところで大宮への路線の建設費であるが、概算415万円であり資本の増強が求められた。そこで新たに1929年(昭和4年)3月資本金700万円の武蔵中央電気鉄道株式会社を設立し、社長に藤山雷太が就任した。7月になると八王子電気鉄道は軌道及び鉄道の敷設権を武蔵中央電気鉄道に譲渡し解散することになった。

一方、これと前後して工事が始められていた路線は11月より一部開業し、徐々に道路の拡幅工事を進めながら、1932年(昭和7年)4月までに全線開通した。また開通時に、八王子 - 高尾山麓間で乗合バスを運行していた八王子市街自動車を傘下に収め、関連会社とした。だが1930年(昭和5年)12月に中央線が浅川まで電化され都心から直通するようになり、さらに1931年(昭和6年)3月には京王電気軌道御陵線が開通したことにより乗客は伸び悩んだ。また昭和金融恐慌の影響で株式の払込が不調で八王子-大宮間に建設工事にはいることができなかった。会社は資本金を490万円に減資することにし、社長も藤山愛一郎に変わった。

結局業績は上向かず遂に路線を一部廃止の上、新宿-八王子-高尾間の交通一元化を考えていた[5]京王電気軌道に売却することに決定した。価格は50万円(八王子-大宮間の敷設権[注釈 6]も含む)であった。京王八王子線となり横山駅から高尾山までの輸送用になったがそれも長くはなく1939年(昭和14年)6月に休止され年内に廃線となった。車両は単車を除きすべて他の鉄軌道に引き取られた。丁度鉄価が高騰しており撤去した軌条や架線等の売却価格は20万円とも30万円ともいわれており[6]400形の資金になったという[7]

現在は国道20号上に敷設された軌道ゆえ見るべき遺構もないが曹洞宗祥雲山長安寺の参道は軌道に使われた敷石が再利用されている[8]

また高尾山方面へは1945年(昭和20年)に休止された御陵線を一部利用して1967年(昭和42年)10月1日に京王帝都電鉄(京王電気軌道の後身、現・京王電鉄)が高尾線北野 - 高尾山口間)を開業した。

年表 編集

  • 1922年(大正11年)1月31日 高尾山電気軌道に対し浅川駅前 - 高尾橋の電気軌道敷設の特許が下付される[9]
  • 1925年(大正14年)9月25日 八王子駅前-浅川、横山町-明神町の電気軌道敷設の特許が下付される[10]
  • 1926年(大正15年)4月21日 八王子電気鉄道株式会社に商号を変更する[11]
  • 1927年(昭和2年)12月20日 八王子 - 大宮間(40.04km)の電気鉄道敷設の免許が下付される[12]
  • 1929年(昭和4年)
    • 3月26日 武蔵中央電気鉄道を設立
    • 7月1日 八王子電気鉄道より電気鉄道の敷設免許及び電気軌道敷設の特許を譲受[13]
    • 11月23日 追分 - 浅川駅前間開通
    • 12月23日 追分 - 京王前間開通(京王前は仮設電停)
  • 1930年(昭和5年)
    • 3月29日 浅川駅前 - 高尾橋間開通
    • 10月3日 京王前 - 東八王子駅前間開通(同時に京王前電停は廃止)
  • 1931年(昭和6年)8月17日 起業廃止許可[14]
  • 1932年(昭和7年)4月10日 横山町 - 八王子駅前間開通
  • 1938年(昭和13年)6月1日 八王子駅前 - 横山車庫前間および東八王子駅前 - 横山町間を廃止[15]。武蔵中央電気鉄道が京王電気軌道に吸収され、残った区間の横山車庫前 - 高尾橋間が京王八王子線(後に京王高尾線に改称)となる。
  • 1939年(昭和14年)

輸送・収支実績 編集

年度 人員(人) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) 雑収入(円) 雑支出(円) 支払利子(円)
1929(昭和4)年 6,234 604 215 389
1930(昭和5)年 817,033 73,069 50,102 22,967 13,824
1931(昭和6)年 833,802 66,720 47,345 19,375 19,494
1932(昭和7)年 875,212 65,781 47,097 18,684 償却金201,000 30,178
1933(昭和8)年 988,988 70,318 43,522 26,796 40,468
1934(昭和9)年 1,064,580 73,689 65,305 8,384 償却金4,500 13,798
1935(昭和10)年 1,105,649 76,287 66,452 9,835 償却金8,800 796
1936(昭和11)年 1,051,871 75,369 66,881 8,488 償却金8,488
1937(昭和12)年 1,196,000 83,701 72,348 11,353 償却金9,291、自動車2,304
  • 鉄道統計資料 各年度版より

車両 編集

1929年11月日本車輌製の半鋼製ボギー車9両(1-11、4と9は欠番)を新製し、翌年2両(12,13)を増備した。この車両は最大幅2,118mmの細身の車体であった。これは軌道建設規程第8条[16]により車体外幅員各幅3.64mが必要とされており、軌道が敷設されている道路の幅員が10mしかなく、これとは別に両側に電柱を設置する幅が各1尺(30.3cm)ずつ必要となるためこの寸法になった。また支線用に元京都市電の木造単車1両(51)を1932年に西武鉄道から購入し、計12両が在籍していた。1937年に1両を譲渡し、支線用の単車を廃車した。1938年の路線短縮時に5両を譲渡し、廃線時に残りの5両は北京へいった。

駅一覧 編集

一部廃止・京王合併直前

接続路線 編集

呼称は営業当時

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 紅林七五郎は北多摩郡郷地村(昭島市)出身。東京府会議員、事業家であり、高尾索道(現在の高尾登山電鉄)社長、五日市鉄道取締役、村山軽便鉄道発起人、多摩川砂利の採取事業、養蚕事業も手がけている。
  2. ^ 高尾山頂へ行くケーブルカーの高尾索道はすでに1921年(大正10年)に設立されており紅林が社長だった。
  3. ^ 現在の八高線西武新宿線の計画が既に存在していた。
  4. ^ 藤山家がこの会社に関与した理由として「砂糖は第一次大戦終了以降生産過剰による価格低下が続き、製糖業界は長期不況にあえいでいた。そのため藤山コンツェルンの中核企業である大日本製糖は多角経営を目論み電鉄経営に乗り出した」ことが考えられる[4]
  5. ^ 鉄道大臣は小川平吉
  6. ^ 1941年(昭和16年)5月8日失効。

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和12年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 『管内電気事業要覧. 第11回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『地方鉄道軌道営業年鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 「八王子発まぼろしの電車」p42
  5. ^ 『京王帝都電鉄30年史』p37
  6. ^ 『遠い日の鉄道風景』p107
  7. ^ 「武蔵中央電気鉄道と御陵線について」p129
  8. ^ 『廃線跡を行く』pp.59-60
  9. ^ 「軌道敷設特許状下付」『官報』1922年2月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1925年9月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 『鉄道統計資料. 昭和元年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1927年12月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 「軌道敷設権譲渡」「鉄道敷設権譲渡」『官報』1929年7月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 「軌道起業廃止許可」『官報』1931年8月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 「軌道運輸営業廃止実施」『官報』1938年7月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ 鉄道軌道法令集(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 1号電車形式図『最新電動客車明細表及型式図集』(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献 編集

  • 飯島正資「失われた鉄道・軌道を訪ねて〔10〕武蔵中央電気鉄道」『鉄道ピクトリアル』第147号、電気車研究会、1963年7月、pp. 27-30。 
  • 清水正之「武蔵中央電気鉄道と御陵線」『鉄道ピクトリアル』第422号、電気車研究会、1983年9月、pp. 109-112。 
  • 飯島正資「武蔵中央電気鉄道と御陵線について」『鉄道ピクトリアル』第734号、電気車研究会、2003年7月、pp. 127-133。 
  • 宮田憲誠『遠い日の鉄道風景 - 明治のある日 人車や馬車鉄道が走り始めた』径草社、2001年。 
  • 山田俊明『多摩 幻の鉄道 廃線跡を行く』のんぶる舎、1999年。 
  • 山田俊明「八王子発まぼろしの電車」『多摩のあゆみ』第97号、たましん地域文化財団、2000年、pp. 34-44。 
  • 吉川文夫『譲渡車両今昔』JTB、2003年、pp. 80-83頁。 
  • 和久田康雄『日本の市内電車-1895-1945-』成山堂、2009年、pp. 97-99頁。 
  • 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 4 関東2、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790022-7 

関連項目 編集

外部リンク 編集