武蔵 (スループ)

大日本帝国海軍の葛城型スループ

武蔵(むさし)は、日本海軍スループ[4]。 艦名は、旧国名武蔵国にちなんで名づけられた[5]。 この名を持つ日本海軍の艦船としては2代目[5]

武蔵
神戸港での「武蔵」(推定1897年から1901年頃)[1]
神戸港での「武蔵」(推定1897年から1901年頃)[1]
基本情報
建造所 横須賀海軍造船所[2](横須賀造船所[3])
運用者  大日本帝国海軍
艦種 スループ[4](巡洋艦[5])
→ 三等海防艦 → 二等海防艦[5]
建造費 592,861円[6]
母港 横須賀(1915年4月1日時点)[7]
艦歴
起工 1884年10月4日[5]
進水 1886年3月30日[5][2]
竣工 1888年2月9日[5]
除籍 1923年4月1日軍艦籍
その後 特務艦(測量艦)籍に編入
要目(竣工時)
排水量 計画:1,476英トン[6][3]
公試:1,502英トン[8][4][9]
垂線間長 201 ftin (61.265 m)[6]
最大幅 35 ft 0 in (10.668 m)[6]
深さ 21 ft 6 in (6.553 m)[6]
吃水 計画:平均15 ft 3 in (4.648 m)[3][6]
ボイラー円缶 6基[3][10]
主機 横置還働2気筒2段膨張レシプロ 1基[10]
推進 2翼スクリュープロペラ1軸 x 90rpm[10]
直径5.040m、ピッチ3.858m[10]
出力 計画:自然通風1,600馬力[10][11]、1,622馬力[6]
公試:1,855馬力(実馬力)[10]、1,412馬力[8]
帆装 帆面積:7,927平方フィート[6]
速力 計画 11ノット[6]、または13ノット[11][10]
公試:12.43ノット[10]、または11.9ノット[8]
燃料 石炭:定量150トン[6]
1904年:石炭151トン(満載)[12][8]
乗員 1885年12月定員:250名[13]
兵装 竣工時[6]
17cm砲 2門
12cm砲 5門
7.5cm砲 1門
1インチ機砲 4基
小口径機砲 2基
魚雷発射管 2門
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艦型

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3本マストのスループ[2]。 船体、機関共に艦政局で計画された[2]

要目

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1902年(明治35年)時点での要目は以下の通り[2]

  • 排水量:1,664英トン
  • 垂線間長:61.264m
  • 最大幅:10.668m
  • 深さ:3.853m(中甲板下板下部より)
  • 吃水:前部4.685m、後部5.300m
  • 主機:2気筒ホリゾンタル・コンパウンド・エンジン。気筒直径は高圧1,238mm、低圧1,030mm、行程762mm。表面復水器。
  • ボイラー:円缶(直径2.972m、長さ2.667m、炉筒3基、受熱面積80.3495平方メートル) 6基。蒸気圧力70psi
  • 推進:2翼グリフィス型推進器、直径4.570m、ピッチ4.949m。回転数90.5rpm
  • 出力:1,781.88馬力
  • 速力:全力12.43ノット、3/4全力9ノット
  • 燃料:石炭庫容積173.744立方メートル
  • 石炭消費量:全力42.753仏トン/日、3/4全力35,000ポンド/日
  • 装帆:3檣、帆面積927.884平方メートル。
  • 定員:将校12名、准将校8名、准士官10名、下士49名、卒115名、傭夫2名、計196名。
  • 砲熕兵装
    • 25口径17cmクルップ砲 2門(甲鉄榴弾45発、通常榴弾80発)
    • 25口径12cmクルップ砲 5門(甲鉄榴弾102発、通常榴弾198発)
    • 1インチ4連諾典砲 4基(鋼鉄弾薬1,500発、鋼鉄鉛弾薬960発)
    • 小銃口径3連諾典砲 2基(小銃口径弾薬10,000発)
    • 野砲:7.5cmクルップ砲 1門(花環榴弾100発)
  • 水雷兵装:空欄(項目はあるが欄内に記入がない)
  • 搭載艇

船体は鉄骨木皮、甲板3層、単底。煙突は楕円形1本、面積2.6347平方メートル。面積5.649平方メートル。

艦歴

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建造

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横須賀海軍造船所[2](後の横須賀海軍工廠)で1884年(明治17年)10月4日起工[5]、 (船体は1884年2月25日起工[2]、) 1886年(明治19年)3月30日午後2時に進水した[14]。 「武蔵」の進水に際して新造艦船命名式が制定されて、その後の命名式のやり方がほぼ確立し、進水に際しては船上には錦が多数立てられ、艦首ではくす玉を開きハトや五色の紙片を散らした[14]。 「武蔵」の命名式には明治天皇が参列の予定だったが、体調が優れないために代わって皇后が参列した[14]。 機関も横須賀海軍造船所で製造され1883年(明治16年)3月9日起工、1888年(明治21年)1月26日竣工[2]。 船体は1888年1月26日竣工[2]1888年(明治21年)2月9日に「武蔵」は竣工した[5]

巡洋艦

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初めは巡洋艦と呼称されていた[5]1890年8月23日に第一種と定められた。 日清戦争には、仁川方面警備や僚艦とともに大連旅順威海衛攻略作戦等に参加。 1896年からは東北地方北海道および千島列島の警備等にあたった[15]

海防艦

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武蔵
基本情報
母港 横須賀(1920年時)[16]
艦歴
要目(1920年調[16]
常備排水量 1,502英トン
垂線間長 201 ft 4 in (61.366 m)
最大幅 35 ft 0 in (10.668 m)
吃水 15 ft 3 in (4.648 m)
ボイラー 円缶 6基
主機 横置2気筒2段レシプロ
出力 1,622馬力
速力 13ノット
燃料 石炭:149トン
乗員 133名
兵装 四一式8cm砲 4門
山内短5cm砲 4門
探照灯 1基
搭載艇 5隻
その他 船体:鉄骨木皮
二等海防艦[16]
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1898年(明治31年)3月21日、三等海防艦に類別された。 1897年(明治30年)からは海防艦籍のまま測量任務に従事し[17]1925年(大正14年)にかけて日本近海の水路測量に従事した。 1902年(明治35年)5月1日、暴風のため根室湾口で座礁し、7月17日から10月6日まで横須賀造船廠で修理を行った。 1904年(明治37年)5月に、大修理(大改造)を施行した[16]日露戦争に際しては、津軽海峡警備に従事した。 1912年(大正元年)8月28日、等級改定で三等が廃され二等海防艦に類別変更された。

1917年にロシアが十月革命後の内戦に入る。「武蔵」は1918年の夏の間、漁業者保護のためカムチャツカ半島周辺で行動し、またペトロパブロフスク(現在のペトロパブロフスク・カムチャツキー)で「温和派」(内戦中の反革命派)に対する物資支援も行った[18]

測量艦

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武蔵
基本情報
艦種 測量艦[5]
艦歴
就役 1923年4月1日類別変更[5]
除籍 1928年4月1日特務艦籍
その後 少年刑務所停泊船
1935年4月1日廃船
要目(1928年2月時[19]
基準排水量 1,330英トン
常備排水量 1,478英トン
垂線間長 61.37m
最大幅 10.67m
吃水 平均:4.65m
ボイラー 円缶 6基
主機 横置二段膨張式 1基
推進 1軸
速力 14ノット
乗員 110名
兵装 8cm砲 2門
探照灯 1基
ルーカス式探信儀[17]
搭載艇 5隻
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1922年(大正11年)4月1日に軍艦籍より除かれ、姉妹艦「大和」と共に特務艦(測量艦)となった[5]関東大震災後には海底の地形変化の調査を行った[20]1925年(大正14年)に発見された武蔵堆と、同年に本艦が測量した天売島-焼尻島間の武蔵水道は、いずれも本艦の名にちなんだもの[21][22]

1928年(昭和3年)4月1日除籍[5]、 7月6日に廃艦第5号と仮称。 10月3日司法省に移管し、小田原少年刑務所三崎繋留宿泊船として使用された。 1935年(昭和10年)に廃船となった。

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。

艦長

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  • (心得)有馬新一 少佐:1887年10月27日 - 1889年5月15日
  • (心得)松永雄樹 少佐:1889年5月15日 - 1890年5月13日
  • 千住成貞 大佐:1890年5月13日 - 1891年6月17日
  • 日高壮之丞 大佐:1891年6月17日 - 1892年6月3日
  • 横尾道昱 大佐:1892年6月3日 - 1892年12月23日
  • 沢良煥 大佐:1892年12月23日 - 1893年10月12日
  • (心得)伊藤常作 少佐:1893年10月12日 - 1894年12月9日
  • 伊藤常作 大佐:1894年12月9日 - 1895年6月18日
  • 鹿野勇之進 大佐:1895年6月18日 - 1895年12月24日
  • 東郷正路 大佐:1895年12月24日 - 1896年12月4日
  • 遠藤増蔵 大佐:1896年12月4日 - 1897年12月27日
  • 友野雄介 中佐:1897年12月27日 - 1898年3月1日
  • 武井久成 大佐:1898年3月1日 - 1898年10月1日
  • 永峰光孚 大佐:1898年10月1日 - 1898年12月3日
  • 矢島功 大佐:1898年12月3日 - 1899年3月22日
  • 松枝新一 大佐:1899年3月22日 - 1899年10月27日
  • 加藤重成 大佐:1899年12月25日 - 1900年2月12日
  • 滝川具和 大佐:1900年5月9日 - 1900年5月20日
  • 井手麟六 中佐:1900年5月20日 - 1900年9月25日
  • 徳久武宣 大佐:1900年12月8日 - 1901年4月23日
  • 伊地知季珍 中佐:1901年4月23日 - 1901年7月5日
  • 佐々木広勝 中佐:1901年7月5日 - 1902年3月13日
  • 横尾純正 中佐:1902年3月13日 - 1902年8月11日
  • 栃内曽次郎 中佐:1904年5月16日 - 1905年1月12日
  • 花房祐四郎 中佐:1905年6月14日 - 1905年11月21日
  • 山田猶之助 中佐:1905年11月21日 - 1906年11月5日
  • 井内金太郎 中佐:1907年2月28日 - 1907年11月22日
  • 水町元 中佐:1908年1月10日 - 1908年9月25日
  • (兼)吉岡良一 中佐:1908年9月25日 - 1908年12月10日
  • 川浪安勝 中佐:1908年12月10日 - 1909年10月11日
  • 関重孝 中佐:1910年2月16日 - 1911年2月7日
  • 松永光敬 中佐:1911年2月7日 - 1911年12月1日
  • 平田得三郎 中佐:1912年3月16日 - 1912年12月1日
  • 松村豊記 中佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
  • 真田権太郎 中佐:1913年12月1日 -
  • 海老原啓一 中佐:1914年12月1日 - 1915年12月13日
  • 大見丙子郎 中佐:1915年12月13日 - 1916年12月1日
  • 中桐啓太 中佐:1916年12月1日 -
  • 東条政二 中佐:1917年12月1日[23] -
  • 前川義一 中佐:1918年12月1日[24] -
  • 水谷耕喜 中佐:1919年12月1日[25] - 1920年12月1日[26]
  • 日高寛 中佐:1920年12月1日[26] - 1921年9月14日[27]
  • 吉田茂明 中佐:1921年9月14日[27] - 1922年4月1日

特務艦長

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  • 吉田茂明 中佐:1922年4月1日[28] - 1922年11月1日[29]
  • 隅田益吉 中佐:1922年11月1日[29] - 1923年1月15日[30]
  • 安藤良治 中佐:1923年1月20日[31] - 1923年11月10日[32]
  • 吉武純蔵 中佐:1923年11月10日 - 1924年3月8日
  • (兼)梅田文鹿 中佐:1924年3月8日[33] - 1924年4月10日[34]
  • 鳥野団一 中佐:1924年4月10日[34] - 1924年12月1日[35]
  • 松山為麿 中佐:1924年12月1日[35] - 1925年7月1日[36]
  • 毛内効 中佐:1925年7月1日 - 12月1日

姉妹艦

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脚注

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出典

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  1. ^ #海軍艦艇史2巡洋艦(1980)p.26、写真No.2024の写真解説。
  2. ^ a b c d e f g h i 平賀アーカイブ/武蔵要目表.
  3. ^ a b c d #日本近世造船史明治(1973)428-433頁、「内国製艦艇表(試運転成績)」
  4. ^ a b c #海軍軍備沿革p.49
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n 日本海軍艦船名考 1928, pp. 9–108 武蔵 ムサシ Musasi.
  6. ^ a b c d e f g h i j k #日本近世造船史明治(1973)352-355頁、「艦艇表(計画要領)」
  7. ^ #内令提要7版/艦船(1)画像1-3、艦艇本籍別一覧表 大正四年四月一日調。
  8. ^ a b c d #帝国海軍機関史(1975)下巻p.282、戦役従軍艦艇及其の最近高力運転成績。
  9. ^ 『大日本帝国軍艦帖』
  10. ^ a b c d e f g h #帝国海軍機関史(1975)上巻p.373(第二巻三一頁)
  11. ^ a b #日本近世造船史明治(1973)368頁。
  12. ^ #帝国海軍機関史(1975)下巻p.263、戦役中艦艇石炭搭載成績表
  13. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.170、明治18年12月25日(丙73)大和艦武蔵艦定員
  14. ^ a b c #海軍艦艇史2巡洋艦(1980)p.26、写真No.2025の写真解説。
  15. ^ 明治29年8月27日付 武蔵艦長東郷正路作成「明治29年8月 軍艦武蔵北海道警備に関する第二回報告」、アジア歴史資料センター ref: C06091055700。
  16. ^ a b c d #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その一「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦」
  17. ^ a b 日本海軍特務艦船史 1997, p. 38.
  18. ^ 麻田雅文『シベリア出兵』172-173ページ
  19. ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1084-1085、昭和3年2月24日(内令第43号)艦船要目公表範囲。
  20. ^ #日本海軍全艦艇史(1994)p.872、写真No.2759の写真解説。
  21. ^ マイペディア 武蔵堆の項。
  22. ^ 羽幌町観光協会ホームページ [1]
  23. ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  24. ^ 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
  25. ^ 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  26. ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  27. ^ a b 『官報』第2738号、大正10年9月15日。
  28. ^ 『官報』第2898号、大正11年4月4日。
  29. ^ a b 『官報』第3077号、大正11年11月2日。
  30. ^ 『官報』第3136号、大正12年1月17日。
  31. ^ 『官報』第3140号、大正12年1月22日。
  32. ^ 『官報』第3367号、大正12年11月12日。
  33. ^ 『官報』第3461号、大正13年3月10日。
  34. ^ a b 『官報』第3487号、大正13年4月11日。
  35. ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  36. ^ 『官報』第3857号、大正14年7月2日。

参考文献

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  • 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。 
  • アジア歴史資料センター [2]
    • 『北海密漁警備軍艦武蔵派遣の件及報告書』、ref: C06091055700。
    • 『北海密漁警備軍艦武蔵派遣の件及報告書』、ref: C06091100000。
    • 『第72号 7版 内令提要 完/第3類 艦船(1)』。Ref.C13072068600。 
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。 
  • 「海軍軍備沿革」、海軍大臣官房、1921年10月。 
  • 海軍文庫『大日本帝国軍艦帖』 - 国立国会図書館デジタルコレクション海軍文庫、1894年。NDLJP:845238
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。
  • 造船協会『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書、原書房、1973年(原著1911年)。 
  • 『日本海軍特務艦船史』 世界の艦船 増刊第47集、海人社、1997年。ISBN 4-905551-59-5 
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 平賀譲デジタルアーカイブ
  • 福井静夫『海軍艦艇史 2 巡洋艦コルベット・スループ』KKベストセラーズ、1980年6月。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 麻田雅文『シベリア出兵 近代日本の忘れられた七年戦争』中央公論新社、2016年、ISBN 978-4-12-102393-3
  • 官報

関連項目

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