武藤 幸司(むとう こうじ、1972年12月6日 - )は、大阪府枚方市出身の元プロ野球選手投手)。

武藤 幸司
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府枚方市
生年月日 (1972-12-06) 1972年12月6日(51歳)
身長
体重
174 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴 編集

枚方市立第三中学校卒業後、長崎県島原中央高等学校に野球留学。2年生からエースとなった[1]。同校卒業後、社会人野球西濃運輸に進んだものの3年で退部[1]藤田宗一は高校、社会人を通じて同期。

その後は社業に専念していたが、高校野球の指導者を目指すべく九州産業大学に入学[1]福岡六大学野球連盟に所属する野球部に入部すると、3年時の秋には最優秀防御率、4年時の春には最優秀選手、最優秀防御率を獲得、1999年には日米大学野球選手権大会に出場するなど、主戦投手として大活躍。一躍ドラフト候補になる[1]

しかし当時27歳という年齢からか指名はなく、台湾大聯盟台中金剛に入団。2年目の2001年には13勝を挙げ、総冠軍途中に帰国し、福岡ダイエーホークスのテストを受けるが不合格。2002年のシーズン途中に台中金剛に再入団し、同年は8勝、防御率2.26で投手成績2位をマークし、総冠軍賽で優秀選手賞を獲得、年間優勝に貢献した[2]。2002年までの3年間で27勝を記録。

2003年西武ライオンズ打撃投手に採用された[1]。打撃投手以外に査定担当も兼務していたが、2022年限りで打撃投手を引退し、査定担当専任となった[3]

詳細情報 編集

背番号 編集

  • 15 (2000年 - 2002年)
  • 02 (2003年 - 2022年)

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 獅子おどし打線を支える埼玉西武の打撃投手が持つプロ意識とは?/ライオンズ「チームスタッフ物語」Vol.02 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2022年11月13日閲覧。
  2. ^ 進路先 | 島原中央高校野球部OB会|【普賢望球会】”. 島原中央高校野球部OB会|【普賢望球会】 | SHIMABARA CHUO High School baseball (2013年1月13日). 2022年11月13日閲覧。
  3. ^ (日本語) 【チーム舞台裏】20年間、選手のために投げ続けた打撃投手のラストピッチ!, https://www.youtube.com/watch?v=AQ8BAJQ-G_U 2022年11月13日閲覧。 

関連項目 編集

外部リンク 編集