武衛 市郎左衛門(ぶえ いちろうざえもん、生年不詳 - 1696年3月19日元禄9年2月16日))は、江戸時代前期の砲術家である[1][2]。名は義樹[1]

経歴・人物 編集

但馬竹野(現在の兵庫県豊岡市)の出身[2]。若くして鳥居正教の門人となり[2]三木茂太夫が創始した三木流等多くの砲術を学んだ[2]。後に当時遠江浜松藩主であった太田資次に仕え[1]島原の乱の時に使用した松平信綱の砲術を工夫した[2]

これにより、信綱に仕えた松永里之助から学んだ中川流短筒[1][2]増島清定から学んだ縄術[1]を融合させた大筒火術の特色を持った[2]「武衛流」と呼ばれる新しい砲術を創始した[1]。なお、この砲術は後に一流を生み出し[2]、実子で豊後岡藩に仕えた武衛茂兵衛義純がその流を継いだ[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『武衛市郎左衛門』- コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『武衛市郎左衛門』- コトバンク