武 (鹿児島市)
武(たけ、英:Take)は鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡鹿児島近在武村、鹿児島郡西武田村大字武、鹿児島市武町の一部。武一丁目から武三丁目まであり、全域で住居表示を実施している。郵便番号は890-0045。人口は7,267人、世帯数は4,158世帯。(2020年4月1日現在)[1]。
武 | |
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北緯31度34分49.3秒 東経130度32分20.5秒 / 北緯31.580361度 東経130.539028度座標: 北緯31度34分49.3秒 東経130度32分20.5秒 / 北緯31.580361度 東経130.539028度 | |
国 |
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都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 中央地域 |
地区 | 武・田上地区 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 7,267人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
890-0045 |
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地理編集
鹿児島市の中心部、新川の下流域に位置している。町域の北方には西田、南方から西方にかけては田上、東方には鹿児島中央駅を挟んで中央町、西方には武岡がそれぞれ接している。
町域の北部を九州新幹線の高架橋が東西に通っており、町域の東端部には鹿児島中央駅がある。中央部には鹿児島県道24号鹿児島東市来線及び国道3号鹿児島バイパスが通り、鹿児島バイパスは武岡トンネルを通り鹿児島ICに至るが、県道24号は武岡トンネルの周辺を南回りに通り、田上の中心部を通り松元方面に至る。また、2013年9月29日に新武岡トンネルが開通し、既存の武岡トンネルは鹿児島市街方面、新武岡トンネルは鹿児島IC方面の一方通行の2車線道路として運用されている。
教育施設は南東端部には鹿児島市立武小学校、西部にある丘陵の上に鹿児島市立武中学校がある。また、鹿児島本線を挟んで田上や上荒田町に接しており、鹿児島車両センターも附近に位置する。
町名の由来編集
「武」という町名は産土神である建部神社に由来するという説と、稲田がこの付近に多く所在していた為それを田毛と呼称されるようになったという説がある[2]。
歴史編集
武の成立と中世編集
武という地名は南北朝期より見え、薩摩国鹿児島郡のうちであった。武は田毛、岳とも書かれている。
建徳3年の禅恵譲状には「さつまのくにかこしまのこほりのうち、たけむらハうハうのかとの事」とあり、村内の門の田地や山野が二郎四郎に譲与されているとある。地内の武岡山上(現在の武岡周辺)や野元原は南北朝期の古戦場跡である[2]。
近世の武編集
江戸期には鹿児島郡鹿児島近在のうちであり、村高は「天保郷帳」では1,657石余、「旧高旧領」では1,135石余であった。武村は天正年間に開発されたとされる。村内の天保山(現在の天保山町)は調所広郷による財政改革の一環として甲突川を埋め立て、幕末からは藩の演習場として利用され、砲台も設置された[2]。
また、明治初期には村域の一部が新屋敷通町(現在の新屋敷町)に分割された[2]。
町村制施行以後編集
1889年(明治22年)には町村制が施行されたのに伴い、西別府村、武村、田上村の3村より西武田村が成立し、江戸期の武村は西武田村の大字「武」となった[2]。1911年(明治44年)9月30日には字域の大半及び飛地となっていた八幡田圃(現在の鹿児島市立甲南中学校付近)及び天保山(現在の天保山町の北半分)の区域が鹿児島市に編入され、八幡田圃の区域が高麗町に、天保山の区域が下荒田町にそれぞれ編入され[3]、その他の区域を以て新たに鹿児島市の町「武町」が設置された[2]。
1913年(大正2年)に字域内に川内線(後の鹿児島本線の一部)の武駅が設置された[4][5]。この武駅は後に西鹿児島駅に改称し、九州新幹線鹿児島ルート開業に伴い鹿児島中央駅に改称している。
1934年(昭和9年)に西武田村が鹿児島市に編入され、大字武の残部を全て武町に編入し[6]、天保山町となった区域を除いた大字武の全域が鹿児島市の町名である「武町」となった[2]。
西鹿児島駅前一帯(中洲工区)において町界町名の変更が実施されることとなり、1970年(昭和45年)に武町の一部より中央町が設置され、一部が上之園町に編入された[7][8]。
1975年(昭和50年)に武町の一部の他に上荒田町、西田町、常盤町の各一部より武一丁目及び武二丁目が成立した。武町は同年に一部が西田二丁目及び西田三丁目に分割され、1980年(昭和55年)に武町の全域より武三丁目が成立した[2]。
町・字域の変遷編集
分割・統合実施後 | 分割・統合実施年 | 分割・統合実施前 |
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鹿児島市下荒田町(一部) | 1911年(明治44年) | 西武田村大字武の一部(天保山) |
鹿児島市高麗町(一部) | 西武田村大字武の一部(八幡田圃) | |
鹿児島市武町(新設) | 西武田村大字武の一部 | |
鹿児島市武町(一部) | 1934年(昭和9年) | 西武田村大字武の全域 |
中央町(新設) | 1970年(昭和45年) | 武町の一部 |
上之園町(一部) | ||
武一丁目及び二丁目 | 1975年(昭和50年) | 武町、上荒田町、西田町、常盤町の各一部 |
西田二丁目及び三丁目 | 武町の一部 | |
武三丁目 | 1980年(昭和55年) | 武町の残余部の全域 |
施設編集
- 郵便局
-
- 鹿児島武郵便局
- 金融機関
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- かんぽ生命鹿児島支店
- 寺社
- 宿泊
-
- JR九州ホテル鹿児島
- ホテルアービック鹿児島
- その他
交通編集
鉄道編集
道路編集
世帯数・人口編集
世帯数 | 人口 | |
---|---|---|
武一丁目 | 1,753 | 2,853 |
武二丁目 | 1,281 | 2,153 |
武三丁目 | 1,124 | 2,261 |
計 | 4,158 | 7,267 |
人口の変遷編集
統計年次〔年〕 | 世帯数〔世帯〕 | 総人口〔人〕 | 出典 |
---|---|---|---|
1882年(明治15年) | 315 | 1,282 | [2] |
1911年(明治44年) | 764 | 5,394 | [2] |
1912年(大正元年) | 156 | 724 | [2] |
1920年(大正9年) | 757 | 3,498 | [2] |
1935年(昭和10年) | 2,400 | 11,580 | [2] |
小・中学校の学区編集
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[11]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
武一丁目 | 全域 | 鹿児島市立武小学校 | 鹿児島市立武中学校 |
武二丁目 | 全域 | ||
武三丁目 | 全域 |
脚注編集
- ^ a b “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.405
- ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 521.
- ^ 『日本鉄道旅行地図帳 12号 九州・沖縄』 p.51 新潮社
- ^ 当時は現在の駅の所在地である中央町の区域は西武田村大字武の一部であった
- ^ 鹿兒島市内大字名廢止町名改稱竝ニ區域變更(昭和9年鹿児島県告示第334号、 原文)
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 127.
- ^ 鹿児島市広報室 (1970年10月1日). “かごしま市民のひろば”. 鹿児島市. p. 2. 2020年12月19日閲覧。
- ^ 古地図に見るかごしまの町 p.106
- ^ 建部神社 - 鹿児島県神社庁 2012年6月2日閲覧。
- ^ “小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年8月16日閲覧。
参考文献編集
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609。
- 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎『鹿児島のおいたち』鹿児島市、1955年。
- 豊増哲雄『古地図に見る かごしまの町』春苑堂出版、1996年。ISBN 4-915-09337-9。