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死んでもいい』は、1992年公開の石井隆監督による日本映画西村望による1980年の小説『火の蛾』を原作とした映画化作品。英語タイトルは”Original Sin"=「原罪」。R-15指定作品。

死んでもいい
監督 石井隆
脚本 石井隆
原作 西村望『火の蛾』
製作 伊地智啓
出演者 大竹しのぶ
永瀬正敏
室田日出男
音楽 安川午朗
撮影 佐々木原保志
編集 菅野善雄
製作会社 アルゴプロジェクト
サントリー
配給 アルゴプロジェクト
公開 日本の旗 1992年10月10日
上映時間 117分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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目次

ストーリー編集

出演編集

スタッフ編集

  • 製作者:伊地智啓
  • 企画協力:佐々木志郎、宮坂進
  • プロデューサー:榎本靖
  • 原作:西村望『火の蛾』(立風書房 1980年3月 のち徳間文庫)
  • 監督・脚本:石井隆
  • 撮影:佐々木原保志
  • 照明:金沢正夫
  • 録音:本田孜
  • 美術:細石照美
  • 音楽:安川午朗
  • 編集:菅野善雄
  • 助監督:横山浩幸
  • 制作担当:市川隆治
  • 宣伝プロデューサー:関根房江

製作編集

本作は2度の頓挫を経て、10年の時空を超え、3度目の正直でようやく映画化された[1]

1982年編集

最初は1982年東映セントラルフィルムにっかつ撮影所が組んで「何かやろう」ということから始まった企画だった[2]。企画は東映が持っており[3]東映サイドから「女性に見てもらうポルノ映画」という意向が出され[4]関根恵子主演、池田敏春監督など、キャスティングは東映が決めた[3]

にっかつの佐々木志郎が『火の蛾』を選び[2]、にっかつ企画営業部の山田耕大が「『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を彷彿とさせる話で、脚本を石井隆に頼むことにした」と話しているが[2]、石井は「先に誰かがシナリオを書き...監督を予定していた池田さんが自分に脚本を発注した」と話している[5]。佐々木は前年の『ラブレター』で関根恵子と仕事をしており、監督の池田は山田の近所に引っ越して来る熱の入れようだったという[6]

西村望の原作『火の蛾』は、事件記者だった西村が東大阪で実際に起きた殺人事件を取材して書いたもので[7]、タイル職人の親方の許に出入りしていた青年が子持ちの奥さんといい仲になり、深夜奥さんの手筈で忍び込み、酔って寝ていた親方を殺害するという焼け死ぬのが分かっていながらどうしようもなく燃え盛る炎に飛び込んでしまう蛾の習性を男と女の性に喩えたもの[7]

東映から「若干ファッショナブルなものにして欲しい」との要望が出されたため、原作の東大阪を東京に、タイル職人の妻の設定を不動産会社の社長夫人に変更した[2][7]。石井の脚本は難航したが[2]、子供絡みの愁嘆場は避けて、陰画のラブストーリーとして完成させた[7]。夫役でキャスティングされていた映画監督転身前の伊丹十三が脚本に感心し、石井に強い関心を寄せていたという[2]。関根も脚本を読み、やる気満々で「ヒロインは情念の女ですから、この役は私しかないと思い、お引き受けしました。濡れ場も重要な設置の一つ、新婚ですから関係者以外シャットアウトして撮影にのぞみます」と話していた[4][8]。関根のハードなファックシーンがふんだんにあるのではと期待された[8]

どちらが先かは不明だが同じ頃、高橋伴明もにっかつの企画営業部に『TATTOO<刺青>あり』を持ち込んでいて、こちらもヒロインは関根恵子で行きたいとの要望で、同作は当初はにっかつでの製作が予定され『TATTOO<刺青>あり』『火の蛾』の順番で撮影に入る予定にしていた[2]。当初は『火の蛾』のクランクインは1982年7月中旬と報道された[8] 『TATTOO<刺青>あり』のシナリオはにっかつで印刷した[2]。佐々木志郎が『ラブレター』で関根と仕事をしていたので、高橋伴明、関根恵子、佐々木、山田耕大とで一席持とうと当時のライターの定宿だった中野の旅館で会食した。すると初めて会った高橋と関根が意気投合し、恋の炎を燃え上がらせた[2]。しかし『TATTOO<刺青>あり』がにっかつで正式に製作が決定せず[2]、業を煮やした高橋はATGに企画を持っていった[2]。高橋はそれまでほとんど無名で、関根との結婚報道で名前が売れた[8]。逃げ隠ればかりしていた関根が自分から電撃婚約、新婚旅行の出発、帰国、入籍披露宴の期日をマスコミに通知してくるサービスで、報道陣の前で愛嬌を振りまいた[8]

夫役に伊丹十三、若者に古尾谷雅人、ジャパン・フィルム・カンパニー製作、東映セントラルフィルム配給、プロデューサー・佐々木志郎、監督は池田敏春で製作が決まり[1][4][9]、夫と年下の青年の愛に溺れていく三角関係を描くという企画で、原作と同じタイトル『火の蛾』で1982年9月公開を決定していた[4][9]

しかし1982年6月に『TATTOO<刺青>あり』が公開され、関根の演技が高い評価を受けると、高橋との新婚旅行から帰った関根が突然「裸はイヤ」とゴネ病が再発し降板した[4]。池田がピンク映画の監督と結婚するぐらいだから何でもやってくれるだろと甘く考え高橋と揉めた[9]、或いはそこまで脱ぐなら自分の作品で脱げばいいなど[9]、高橋が後ろで糸を引いていると噂された[9]。山田耕大は「関根さんから出演の意向は変わらないしラブシーンもするが、露出は許して欲しいとの申し入れがあり、我々も東映セントラルフィルムもそれでいいと関根に返事したが、池田が『それでは撮れない』と拒否をして『火の蛾』は分解した」と話している[2][6]。東映が関根と池田を交えて再三話し合いを持ったが決裂したとする文献もある[3]。関根の所属事務所IFプロダクションは東映に申し訳ないと関根を解雇した[9]。監督の池田はにっかつを退社し、これから羽ばたくという大事な時期だった[5]。この決定は撮入寸前で、製作発表の前日だった[1]。2、3日して池田が「やっぱり『火の蛾』やらせてくれよ。あれからコンテばんばん浮かんできてさあ」などと泣きそうな顔で訴えたというが、スタッフをバラした後でダメだった[6]。池田は悪い足で歩き回りながらコンテを考えるので、真下の住人が「うるさい」と大家に訴え、アパートを追われたという[6]

一旦延期し、監督・キャストを白紙に戻し年内クランクインを目途に再検討されてたが延期された[4][5]。池田と高橋はディレクターズ・カンパニーの結成に参加し、企画はディレクターズ・カンパニーに移った。

1989年編集

二度目は石井隆の友人である相米慎二の肝煎りで[7]、相米と西崎義展のプロデュース、石井監督で別の女優主演で、タイトルを『死んでもいい』に変更[7]。脚本をかなり直し、舞台も青年が子供の頃、母と来た富士急ハイランドの近くの大月市に変えクランクインしたが[5][7]、今度はクランクイン2日目に女優主演が「演出についていけない」と降板した[5][7]。石井がスタッフに土下座した日は松田優作が死んだ翌日[7]

1992年編集

二年後、唐突に「大竹しのぶ永瀬正敏で撮らないか」と石井に声が掛かり[7]、10年越しの企画がようやく映画化されることになった。大竹は「こういう役はあと5年ぐらいしか年齢的にできないかもしれない」とオファーを受けた[10]。マスコミにハードなラブシーンのみ過度に取り上げられた[1][10]

撮影編集

製作は当初、ディレクターズ・カンパニーであったが、クランクイン10数日後に「ディレクターズ・カンパニーが倒産した」とアルゴプロジェクト伊地智啓と岡田裕から現場に「製作はアルゴに変わるが、心配せずに完成させて欲しい」と説明があった[1]。キャスト、スタッフ一同、いい映画を作ろうという気合が凄く、7日間の完全徹夜を含む撮影実数25日で映画を完成させた[1][10]

撮影記録編集

受賞歴編集

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h 佐々木原保志「撮影報告『死んでもいい』」、『映画撮影』No.117 1982年平成4年)8月31日発行 28-31頁、日本映画撮影監督協会
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 山田耕大「撮影報告『死んでもいい』」、『シナリオ2009年平成21年)10月号 8-9頁、日本シナリオ作家協会
  3. ^ a b c 「NEWS ofNEWS 『裸を売りものにする時代は終わった』 関根恵子の"心変わり"」、『週刊現代』、講談社、1982年7月25日号、 33頁。
  4. ^ a b c d e f 「邦画新作情報 高橋伴明監督の次回作が進行中」、『キネマ旬報1982年昭和57年)8月下旬号 185頁、キネマ旬報社
  5. ^ a b c d e 桂千穂〈作家訪問インタビュー〉クローズアップトーク ゲスト・石井隆」、『シナリオ』、日本シナリオ作家協会、1992年10月号、 11-13頁。
  6. ^ a b c d 山田耕大「連載 にっかつロマンポルノの頃 『にっかつの話(40)』」、『シナリオ2011年平成23年)4月号 110-111頁、日本シナリオ作家協会
  7. ^ a b c d e f g h i j 東京新聞編集局編 「石井隆 怨念か!?頓挫の末に実現 『死んでもいい』〈大月市〉」『映画監督50人 自作を歩く』 東京新聞出版局、2001年、275 - 277頁。ISBN 978-4808307325
  8. ^ a b c d e 「LOOK 今週の話題・人と事件 〔芸能』 新婦は映画に 新郎は会社を 関根恵子夫婦のマスコミ利用術」、『週刊現代』、講談社、1982年7月7号、 53頁。
  9. ^ a b c d e f 「雑談えいが情報 "もう脱ぐのはイヤ"の関根恵子やら新作の話題を追って...」、『映画情報』、国際情報社、1982年9月号、 24頁。
  10. ^ a b c 加藤千代「話題の人・訪問インタビュー 大竹しのぶ 女優賞 『復活の朝』・他」、『映画撮影』No.197 1993年平成5年)5月発行 17-19頁、日本映画撮影監督協会。

外部リンク編集