段楊爾(だんように、生没年不詳)は、継体天皇の在位中である西暦513年に、朝鮮半島の百済から来日したとされる古墳時代後期の五経博士である。穂積押山が百済から帰国するときに同行したとされる[1]

前年12月、穂積押山は百済への「任那四県割譲」問題で大連大伴金村の賛同を得て、四県への百済の進出を許している[2]。さらに、大和政権は段楊爾来日の同年11月に己汶(こもん)・帯沙(たさ)を百済に賜与している[3]。これらに対する返礼の結果として段楊爾の来日が実現しており、帰化ではなく、貢上・交替制度であったところに特色がある。また、高句麗や新羅に対抗する百済の外交政策のひとつであったともとれる。

西暦516年(継体天皇10年)、百済からの要請により、漢高安茂と交替させられて、帰国している[4]

脚注編集

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  1. ^ 『日本書紀』巻第十七、継体天皇7年6月条
  2. ^ 『日本書紀』巻第十七、継体天皇7年6月条
  3. ^ 『日本書紀』巻第十七、継体天皇7年11月5日条
  4. ^ 『日本書紀』巻第十七、継体天皇10年9月

参考文献編集