毘盧遮那仏
毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ、Vairocana[2])は、大乗仏教における信仰対象である如来の一尊。華厳経において中心的な存在として扱われる尊格である[3]。密教においては大日如来と同一視される[3][2]。
毘盧遮那仏 | |
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![]() 東大寺毘盧遮那仏 | |
名 | 毘盧遮那仏 |
梵名 |
「ヴァイローチャナ」 वैरोचन |
別名 |
毘盧舎那仏 盧遮那仏 |
経典 |
『華厳経』 『大日経』 |
信仰 |
華厳宗 密教 |
浄土 | 蓮華蔵世界 |
関連項目 | 大日如来 |



尊名は華厳経では「舎」の字を用いて毘盧舎那仏、大日経では「遮」の字を用いて毘盧遮那仏と表記される。
概要 編集
毘盧遮那とはサンスクリット語のVairocana「ヴァイローチャナ」の音訳で「光明遍照」(こうみょうへんじょう)を意味する。「毘盧舎那仏」とも表記される。略して盧遮那仏(るしゃなぶつ)、遮那仏(しゃなぶつ)とも表される。
史実の人物としてのゴータマ・シッダールタを超えた宇宙仏(法身仏)。宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏。毘盧遮那仏については、『華厳経』に詳しく説かれている。
密教 編集
真言宗などの密教における「摩訶毘盧遮那仏」(大毘盧遮那仏、Mahāvairocana(マハー・ヴァイローチャナ))は、大日如来と呼ばれ、成立の起源を、ゾロアスター教の善の最高神アフラ・マズダーに求める学説がある。仏像では、聖武天皇の発願により造られた東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏、東大寺大仏)が有名。現存しないが、豊臣秀吉の発願した方広寺大仏(京の大仏)も毘盧遮那仏であった。
鑑真が開創した唐招提寺金堂の中尊も、天平時代の脱乾漆像として有名であり、鑑真が中国からもたらした盛唐様式の作風を伝える彫刻[4]として貴重な存在である。
脚注 編集
- ^ ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー『ケンペルと徳川綱吉 ドイツ人医師と将軍との交流』(中央公論社、1994年) p.95
- ^ a b 吉田宏晢「毘盧遮那仏」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)、小学館。
- ^ a b 「毘盧遮那仏」 - 大辞林 第三版、三省堂。
- ^ 平凡社 世界大百科事典 『毘盧遮那仏』