水内猛

日本のサッカー選手

水内 猛(みずうち たけし、1972年11月19日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロサッカー選手スポーツキャスター。現役時代のポジションはフォワード

水内 猛
名前
カタカナ ミズウチ タケシ
ラテン文字 MIZUUCHI Takeshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1972-11-19) 1972年11月19日(52歳)
出身地 神奈川県横浜市
身長 170cm
体重 66kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1988-1990 日本の旗 旭高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1995 日本の旗 三菱/浦和レッズ 50 (10)
1996-1997 日本の旗 ブランメル仙台 43 (18)
通算 93 (28)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
水内 猛
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年1月15日 -
ジャンル サッカー
登録者数 約1.46万人
総再生回数 約325万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2020年10月19日時点。
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来歴

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小学生の時はサッカー野球をやっていた。横浜市立汲沢中学校、神奈川県立旭高等学校3年次に高校選手権に出場し、ベスト8進出。2回戦では強豪の清水東高校を破る決勝点を決める活躍を見せ、大会優秀選手に選出された。

卒業後の1991年三菱自動車工業へ入社。1992年からは社員選手として浦和レッドダイヤモンズに入団。Jリーグ開幕後の1993年柱谷幸一福田正博といった主力選手の負傷などもあって、NICOSシリーズ(2ndステージ)からレギュラーに定着し、7点を挙げ、93年のチーム得点王となる。1994年からはプロ契約に移行する。

後に、旧JFLのブランメル仙台(現ベガルタ仙台)へ移籍。1996年は活躍したが、1997年に現役を引退。スペイン移籍は叶わなかった。現役引退後はホリプロに所属し、『REDS TV GGR』のキャスターを務める等、スポーツ番組を中心にテレビ出演を行っている。

TBSの改編期特番『オールスター感謝祭』では、毎回赤坂5丁目ミニマラソンで上位争いをしており(10位以下着外は現段階で1回だけ)、2003年春には優勝している。また、クイズのほうでも2012年秋に優勝しており、クイズ・マラソン両方の優勝経験がある数少ない1人である。しかし、この2012年秋を最後に以後は出演していない(2013年よりレギュラー出演している『すくすく子育て』(NHK Eテレ)が裏番組になるため)。

2005年4月14日TBSアナウンサーの小倉弘子と結婚[1]2006年1月7日、結婚式を挙げる[2]2008年3月8日午前0時13分、第1子となる女児が誕生。2011年12月29日に自身のブログにて弘子夫人が「(発信時点で)妊娠4ヶ月であり、2012年6月下旬にも第2子出産予定」である事を報告した。同年5月22日午前8時40分、第2子となる次女が誕生。2017年11月1日、自身のブログを更新し「我が家のお話ですが…第三子を授かりました」と報告。「今日、TBSラジオの生放送で奥様からもご報告があったかと思いますので、このタイミングで 予定日は来年の1月下旬頃かと」と明かした[3]2018年1月17日、第3子男児の出産を報告[4]

人物

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利き足は右だが、足以外は左利きである。

家族

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叔父は、ミュンヘン夏季五輪1972年男子バレーボール金メダリストの大古誠司

妻はTBSテレビアナウンサーの小倉弘子[2]。娘が2人と、息子が1人いる。

エピソード

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本人曰く、「(現役時代は)ドリブルはほとんどしたことがなく、ワンタッチゴールが多かった」とのことで、「福田さんに『お前が一生でドリブルした距離より永井雄一郎が1試合でドリブルする距離の方が長い』と言われたことがある」という[5]

スポーツマンNo.1決定戦

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  • プロ引退後にスポーツマンNo.1決定戦の第7回芸能人サバイバルバトルに参戦。BEACH FLAGS 3回戦進出、QUICK MUSCLE 4位、そしてTAIL IMPOSSIBLEでは元プロサッカー選手の意地を見せ、種目別No.1を獲得し、最終的に総合3位入賞を果たす。
  • 第10回大会に久々の参戦となり、前回No.1だったTAIL IMPOSSIBLEでは飯沼誠司なかやまきんに君永井大の猛攻によって第3レースの4位で脱落となるも、MONSTER BOXで自己記録を3段更新して16段、QUICK MUSCLE 2位に入り、最終的に総合4位入賞を果たす。
  • 最後の出場となった第12回大会ではMONSTER BOXで、またも自己記録を更新する17段、BEACH FLAGS 3回戦進出となるも、BURN OUT GUYSでは雲梯から落下し、失格が大きく響き、総合10位と初めて脱落の憂き目にあった。
芸能人サバイバルバトル
大会 放送日 総合順位
第7回大会 2000年10月10日・14日 3位
第10回大会 2002年9月27日 4位
第12回大会 2003年9月26日 10位

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 三菱 28 JSL1部 1 0 0 0 - 1 0
1991-92 1 0 0 0 0 0 1 0
1992 浦和 - J - 0 0 0 0 0 0
1993 18 7 4 1 2 3 24 11
1994 20 2 2 1 3 2 25 5
1995 10 1 - 0 0 10 1
1996 B仙台 13 旧JFL 21 15 - 3 3 24 18
1997 9 22 3 3 0 2 3 27 6
通算 日本 J 48 10 6 2 5 5 59 17
日本 JSL1部 2 0 0 0 0 0 2 0
日本 旧JFL 43 18 3 0 5 6 51 24
総通算 93 28 9 2 10 11 112 41

その他の公式戦

引退後の出演番組

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テレビ番組

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テレビドラマ

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ラジオ

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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