メインメニューを開く

水呑百姓(みずのみびゃくしょう)は、貧しくて水しか呑めないような百姓を指す、江戸時代の貧農の呼称。主に江戸時代の年貢の賦課基準となる石高を持たず、田地を持てない農民を指す。

徳川幕府が明治政府に倒されると、新しい農業・私法政策に取り組む明治政府は、1872年に旧来から存在していた「水呑」の呼称の禁止と、身分からの解放等を規定した法令を、大蔵省から発した。これにより、江戸時代から続く水呑に関する身分慣習及び制度は撤廃された。

特徴編集

水呑み百姓は田畑を所有していないため、年貢などの義務が無く、代わりに村の構成員とは認められておらず、発言権も付与されない低い身分となっていた。親族からの身分継承だけでなく、百姓の次男や三男、本百姓から転落した者などもおり、江戸時代の農村の貧農層を形成していた。

又、「水呑み」という呼称は、貧しくて水しか呑めない身分を意味する場合があるが、農地を必要としない生業を営む者も制度上は水呑に含まれるため、必ずしも貧農とは一致しなく、職人商人廻船人なども水呑に含まれている場合もあった。

江戸時代初期には、年貢の他に、各種の賦役を負う家が定められた。賦役の負担する量や種類によって、本役・半役・四(小)半役・水役などに分かれていた。これが、本来の百姓だったと考えられている。17世紀半ば以降、このような制度は崩れていき、石高を所有し入会地・用水管理などの資格を持つ者が百姓と呼ばれた。石高を持たない者は水呑と呼ばれ、江戸時代後期になると、「本百姓」「水呑百姓」などと区分されるようになった。

出典・参考文献編集

関連項目編集