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水野 忠勝(みずの ただかつ)は、戦国時代武将尾張国知多郡の豪族・水野氏の一族。水野信元忠重於大の方は異母兄弟にあたる。

 
水野忠勝
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永禄10年12月22日1568年1月31日
別名 弥平大夫
主君 今川義元氏真
氏族 水野氏
父母 水野忠政
兄弟 近守信元松平家広室、信近忠守於大の方石川清兼室、水野豊信室、忠勝、藤助、中山勝時室、忠分忠重
樽康忠長勝?

東海道一帯に勢力を持つ戦国大名今川氏に属し、今川義元氏真の2代に従った。永禄10年(1567年)今川氏と敵対する武田信玄に内通して密書を送ったことが露見したため、自害した。

子の康忠徳川家康に仕えて樽氏と改姓し、子孫は樽屋と号して代々江戸町年寄を務めた。また通常水野成清の子とされる水野長勝を、康忠の弟とする系譜もあるという。

参考文献編集