永山 止米郎(ながやま とめお、1882年明治15年)4月 - 1940年昭和15年)12月25日[1])は、台湾総督府官僚

永山止米郎

経歴 編集

茨城県出身。1904年(明治37年)に東京帝国大学農科大学実科を卒業し、1907年(明治40年)には法政大学英法科を卒業した[2]。同年、高等文官試験に合格し、山林事務官補、山林事務官、鴨緑江採木公司参事・営業部長を務めたのち台湾総督府に転じ、阿里山作業所事務官、営林局事務官、専売局参事を歴任[2][3]1927年(昭和2年)、新竹州知事に就任し、その後台南州知事に転じた[2][3]

退官後は、嘉南大圳組合理事長を務め、さらに京王電気軌道株式会社取締役を務めた[2]

脚注 編集

  1. ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1940年12月26日朝刊、3頁。
  2. ^ a b c d 人事興信録 1939.
  3. ^ a b 人事興信録 1928.

参考文献 編集

  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。