永田 隆三郎(ながた りゅうざぶろう、? - 嘉永2年11月25日1849年2月2日[1]))は、江戸時代後期の一揆指導者。

経歴・人物 編集

肥後天草郡古江村(現:熊本県天草市栖本町古江)の庄屋[2]

弘化4年(1847年)に同志と共に世直し大一揆を計画[2]。翌年の弘化5年(1848年)1月27日から6日間で農民15000人余りを動員し、銀主宅を多数打ちこわし、平等思想を訴えたが、のち首謀者として処刑された[1]

同地には郷土史家の鶴田文史撰文の法界平等碑が建てられている[2]。また、永田隆三郎宅跡は、昭和51年(1976年1月10日に天草市指定文化財に指定された[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c 永田隆三郎役宅跡 - 天草市、2018年10月30日閲覧。
  2. ^ a b c 永田隆三郎、2018年10月30日閲覧。