江府名勝志』(ごうふめいしょうし)は江戸時代中期に編纂された江戸地誌幕臣藤原之廉著、享保18年(1733年)稲村儀右衛門刊。著者は南陽子とも号するが詳細不明。

概要 編集

江戸市谷八幡町の書肆稲村儀右衛門の提案により菊岡沾涼江戸砂子』と同時期に企画され、1年遅れの享保18年(1733年)に刊行された。しかし、次巻の刊行準備中、著者之廉が10月中旬に大阪城へ赴任を命じられ、12月までに稲村が単独で巻之中、巻之下を刊行したが、その体裁は之廉の意向に沿わず、不服を訴えている。実際、巻之上で麹町について「糀町ハ俗字也」としているにもかかわらず「糀町」表記を用い、末寺の末を全て「末寺」とするなど、誤りが散見される。

巻之中の『江戸砂子』を難じる箇所は著者沾涼門下の目にも触れ波紋を呼んだが、沾涼は誤りを認め、続編においてこれを反映させた。

その後も再校が行われ版を重ねた『江戸砂子』に対し普及度の面では及ばなかったが、独自の考証は後世にも参照され、『江戸名所図会』にもしばしば引用されている。

構成 編集

巻之上

武蔵国江戸城の歴史を述べた後、32の広域地名別に600余りの条目を掲げる。また、挿入する地図には遠近道印、児玉寿昌による分間絵図を用いる。

巻之中

32地名別に神社を記す「神社略記」と「附録」から成り、順序は版により異なる。『江戸鹿子』『江戸砂子』の誤謬を正す「考異弁正」、年表、年中行事一覧のほか、江戸と直接関係ない雑事も含まれる。

巻之下

「寺社略記部」から成る。「神社略記」と同様の地域別で、その各部は宗旨により配列される。

版歴 編集

3種類の異本があり、全て外題、巻次が異なる。

参考文献 編集

  • 横関英一「『江府名勝志』解説」『江府名勝志』有峰書店、1972年

外部リンク 編集