棋書 (将棋)
棋書(きしょ)とは、将棋に関する書籍のことである。ジャンルとしては定跡集、棋譜集、詰将棋問題集、次の一手問題集等がある。
著名な書籍 編集
江戸時代の書籍 編集
本項では、江戸時代(1603年 - 1867年)に刊行された将棋についての書籍、あるいは同時代に筆写された写本をあつかう。内容は、将棋の定跡について述べたもの、対局の棋譜を集めたもの、詰将棋集などを含む。将棋の他には、中将棋・大将棋などの将棋類についての記述が含まれているものもある。主に幕府将棋所関係者の執筆したものを中心としている。
特に著名なのは、伊藤宗看・伊藤看寿兄弟の『将棋図巧』『将棋無双』の2つの詰将棋である。合わせて「詰むや詰まざるや百番」とも言われ、宗看が当時将棋盤に並べて「詰むや?詰まざるや?」(さあ、詰むでしょうか、詰まないでしょうか?)と弟子や知友に解かせた所ほとんど解けなかった為、江戸で評判になったという[1]。当時の将棋名人は江戸幕府の禄を食んでいたために「献上図式」といって百番の詰将棋を献上していたが、既に「煙詰」などの長手数かつ趣向を凝らした詰将棋を完成させており、「献上図式」の中でも屈指の内容と言われる。昭和に成ってからも米長邦雄は『将棋図巧』『将棋無双』の重要性を力説し、「プロ四段になるためには必ず全問正解することが必要」(要約)と主張し、実際に羽生善治は6、7年かかって解き「あれをすべて自力で解ければ、理論が身につくこともあるが、それより難解な詰将棋200題を何年もかけて解く情熱とか熱意がプロになる原動力になる。自分も毎日毎日考えつづけて途中でもう嫌だと思って止めてしまい、全問正解まで6、7年もかかった。米長の言うプロ四段になるため全問正解が必要というのはそういうことだろう」(要約)と述べた[2]、藤井聡太も小学生の頃から読んでいるという[3]。
また定跡書としては大橋宗英の『将棋歩式』、福島順喜の『将棋絹篩』、天野宗歩の『将棋精選』を特に三大定跡書といい、『将棋精選』の掲載された「精選定跡」の一部は現在のプロ棋戦でも指されている手順である。例えば相掛かり、横歩取りはこの頃既に細かい手順が研究され、横歩取り後手2三歩戦法で飛車を捨てて先手優勢になる有名な手順は、既に載っている。また鳥刺しは香落ち下手定跡として掲載されている。
ここには挙げないが、阪田流向かい飛車や穴熊などの定跡を考えていた人が民間にすでに存在していたことも分かっている。
書籍名 | 刊行年 | 著者・編者 | 内容 | |
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和暦 | 西暦 | |||
象戯造物 | 慶長7 | 1602 | 大橋宗桂 (初代) | 初代宗桂の詰将棋50番 現存する最古の詰将棋集 |
象戯馬法并作物 | 元和2 | 1616 | 大橋宗桂 (初代) | 『象戯造物』の増補再刊、詰将棋80番 |
象戯図式 (将棋智実) |
寛永13 | 1636 | 大橋宗古 | 宗古の詰将棋100番 |
象戯作物 (将棋衆妙) |
正保3 | 1646 | 大橋宗桂 (3代) | 3代宗桂の詰将棋100番 献上図式として準備したが果たせず |
象戯図式 (将棋駒競) |
慶安2 | 1649 | 伊藤宗看 (初代) | 初代宗看の詰将棋100番 |
仲古将棋記 | 承応2 | 1653 | 加藤盤齋 | 最古の実戦集 |
象戯鏡 | 寛文3 | 1663 | 加藤盤齋 | 実戦集、現存する最古の棋譜を収録 |
中象戯圖式 | 寛文3 | 1663 | 伊藤宗看 (初代) | 中将棋の詰め物集 |
象戯図式 (将棋手鑑) |
寛文9 | 1669 | 大橋宗桂 (5代) | 5代宗桂の詰将棋100番 |
諸象戯図式 | 元禄7 | 1694 | 西沢貞陳 | 全4巻。1巻は各種将棋類の解説 2巻以降は詰将棋集(中将棋も含む) |
近来象戯記大全 | 元禄8 | 1695 | 青木善兵衛 | 上中下3巻 『象戯鏡』に漏れた手合い集、詰将棋10番 |
作物象戯大矢数 | 元禄10 | 1697 | 无住僊良 | 詰将棋集 |
中象戯初心抄 | 元禄10 | 1697 | 中将棋の指し方、詰め物 | |
将棋指覚大成 | 元禄11 | 1698 | 西沢貞陳 | |
象戯図式 (将棋勇略) |
元禄13 | 1700 | 伊藤宗印 (2代) | 2代宗印の詰将棋100番 |
術知象戯カ草宗桂指南抄 | 元禄16 | 1703 | 大橋宗桂 (初代) 西沢貞陳 |
『象戯造物』の増補再刊、詰将棋100番 |
古今象戯評判 | 元禄16 | 1703 | 『象戯鏡』に評をつけたもの | |
中将棊指南抄 | 元禄16 | 1703 | 中将棋の指し方、詰め物 | |
象戯洗濯作物集 | 宝永3 | 1706 | 洗濯周詠 | 詰将棋集 |
象戯綱目 | 宝永4 | 1707 | 赤懸敦庵 | 全5巻。定跡1巻、実戦2巻、詰将棋2巻 |
象戯亀鑑 | 正徳3 | 1713 | 山崎勾当 | 実戦集 |
象戯作物 (将棋養真図式) |
享保元 | 1716 | 大橋宗与 (3代) | 3代宗与の詰将棋100番 |
象戯図彙考鑑 | 享保2 | 1717 | 原喜右衛門 | 全6巻。序盤の駒組みの解説および実戦集 |
象戯勇士鑑 | 享保14 | 1729 | 宥鏡 | 詰将棋集 |
象戯作物 (将棋無双) |
享保19 | 1734 | 伊藤宗看 (3代) | 3代宗看の詰将棋100番 『将棋図巧』と並び詰将棋集の最高峰 |
観手象戯経 | 寛保3 | 1743 | 鈴木玄将 | |
中将棊作物 | 延享3 | 1746 | 伊藤宗看 (3代) | 中将棋の詰め物集 |
将棋妙案 | 宝暦年間 | 久留島喜内 | 詰将棋100番 | |
橘仙貼璧 | 宝暦年間 | 久留島喜内 | 詰将棋集 | |
象戯秘曲集 | 宝暦2 | 1752 | 添田宗太夫 | 詰将棋101番 |
象戯図式 (将棋図巧) |
宝暦5 | 1755 | 伊藤看寿 | 看寿の詰将棋100番 『将棋無双』と並び詰将棋集の最高峰 |
将棋独稽古 | 宝暦8 | 1758 | 福島順喜 | 定跡書 |
象戯図式 (将棋大綱) |
明和2 | 1765 | 大橋宗桂 (8代) | 8代宗桂の詰将棋100番 |
広象棋譜 | 明和7 | 1770 | 荻生徂徠 | |
中象戯補録集 | 安永7 | 1778 | 山形屋八郎右衛門 | 史上唯一の中将棋の実戦集 |
象棊攻格 | 天明5 | 1785 | 徳川家治 | 将軍家治の詰将棋100番 |
象戯図式 (将棋舞玉) |
天明6 | 1786 | 大橋宗桂 (9代) | 9代宗桂の詰将棋100番 最後の献上図式 |
将棋玉手箱 | 寛政2 | 1790 | 岡文器 | 定跡、および民間の棋士の実戦集 |
象戯指南車 | 寛政3 | 1791 | 永楽屋板 | 定跡書 |
象戯奇正図 (将棋玉図) |
寛政4 | 1792 | 桑原君仲 | 詰将棋100番 |
唐山象棋譜 | 寛政8 | 1796 | 草加定環 | |
将棋絹篩 | 文化元 | 1804 | 福島順喜 | 江戸三大定跡書の一つ |
将棋歩式 | 文化7 | 1810 | 大橋宗英 | 江戸三大定跡書の一つ |
将棋奇戦 | 文化8 | 1811 | 大橋宗英 | 実戦集 |
将棋粹金 | 文化9 | 1812 | 夢華道人 | 実戦集 |
将棋明玉 | 文化11 | 1814 | 大橋宗桂 (10代) | 実戦集 |
平手相懸定跡集 | 文化13 | 1816 | 大橋宗英 | 相掛かりの定跡書 |
中将棊絹篩 | 文政元 | 1818 | 鶴峰戊申 | 中将棋の指し方、詰め物 |
温故知新棊録 | 文政2 | 1819 | 服部因徹 | |
将棋絶妙 | 文政6 | 1823 | 伊藤宗看 (6代) | 実戦集 |
象戯童翫集 | 文政11 | 1828 | 和中氏 | 詰将棋集 |
将棋精妙 | 天保3 | 1832 | 生島英造 田中幸次郎 |
実戦集 |
将棋早指南 | 天保10 | 1839 | 大橋宗英 大橋柳雪 大橋宗珉 |
宗英の遺稿を弟子がまとめた定跡書 |
将棋極妙 | 嘉永2 | 1849 | 桑原君仲 | 詰将棋集 |
将棋輝光 | 嘉永2 | 1849 | 大橋宗与 (7代) | 実戦集 |
将棋精選 | 嘉永6 | 1853 | 天野宗歩 | 江戸三大定跡書の一つ |
将棋精妙 (不成百番) |
安政5 | 1858 | 伊藤宗印 (2代) | 2代宗印の詰将棋100番 8代宗印による出版 |
将棋手鑑 | 明治10 | 1877 | 伊藤宗印 (8代) | 天野宗歩の実戦集 |
象棋六種之図式 | 不明 | 不明 | 各種将棋類の解説 | |
象戯図式 | 不明 | 不明 | 筆写本。各種将棋類の解説 | |
大橋家家元秘傳記 | 大橋家秘伝の定跡書 大正期の大橋家断絶により公開 | |||
伊藤家将棋印可厳秘録 | 伊藤家秘伝の定跡書 大正期の伊藤家断絶により公開 | |||
平手相懸集奥義 | 大橋柳雪 | 大橋家秘伝の相掛かり定跡書 |
注解 編集
明治以降の書籍 編集
家元制度が衰退したため、明治時代は江戸時代の定跡書の復刻が主となったが、昭和3年に十四世名人木村義雄の将棋定跡書『将棋大観』が出たのが近代の棋書の始まりである。木村の回想によれば、当時の将棋ファンから「将棋の本というのは分かりにくい、実際対局を出来るまでになるのは容易ではない」と言われ、「分かりやすいこと、出来るだけ親切に面白く学べること」をモットーに執筆し、好評を得たという[4]。木村以前の定跡書はただ指し手が書いてあり、最後に「これで先手よし」などと書いてあるだけのものであったが、木村は1手1手の指し手の解説を細かく行った最初の人である。この定跡を特に「大観定跡」といい、現在でも駒落ち将棋の基本定跡になっている。
昭和戦後は大量の棋書が出版された。その中で棋士のゴーストライターが書いたものも多く、例えば人気棋士の升田幸三はアマ名人の関則可にゴーストを行わせ、サインをするときだけ自著と関の本を分けていたという。名著として名高い『升田式石田流』も実際は関の執筆だと雑誌『将棋ジャーナル』で関本人が明かしている。(詳しくは関の項目参照)
夭逝した山田道美は若手のころの1957年から晩年の1967年に至るまでの10年に渡り、将棋雑誌『近代将棋』で連載を任される。連載のテーマは序盤作戦に精通し「序盤の金子」とも称された師匠の金子金五郎に倣ったもので、序盤研究の発表や定跡講座の連載などはこれ以降珍しいことではないのであるが、山田が開始した当時は実戦記や観戦記、簡単な戦法の解説以外はないので、この雑誌連載の定跡講座が初である[5]。
山田は「近代戦法の実戦研究」と銘打って戦型別に最新の実戦研究を連載し、多くの研究手順や新手法が紹介される。「振り飛車の再認識」、「続・振り飛車の再認識」で、大野源一の三間飛車や大山康晴の四間飛車対策をメインに研究を誌上で発表、連載は「四間飛車新対策の功罪」「四間飛車の研究」などと長期にわたり続き、棋士たちまでが多く愛読したことも知られる[6]。当時研究とは自分一人だけでのことで、その成果は自分だけにするのが普通であったため、連載の内容は本来棋士にとって機密事項ともいえる情報であり、それを惜しみなく公表している状態は得策ではないと、あまり自身の研究を外部に正直に発表するのことはやめるよう忠告した人もいたという。しかし、この山田が続けた連載により、山田が呼んでいた▲4六銀対策、▲3七銀対策などが山田定跡や4六銀左戦法、対振り飛車用棒銀へと結実し、四間飛車対策は飛躍的に進歩を遂げる。そして、連載の成果である代表作のひとつ『現代将棋の急所』(1969年に文藝春秋刊、1990年に復刻)が刊行される。当時最新の相矢倉戦や山田定跡などが元となっており、当時四段であった野本虎次が加藤一二三相手に本書通りの局面となったことで一手ずつ本を読みながら指して勝利したというエピソードもある[7]。
こうして山田が多くの著作を残して亡くなって10年後、1980年から1981年にかけて、中原誠の編集により『山田道美将棋著作集』全8巻が大修館書店から出版された。
また筑摩書房から1978年から1980年にかけて、1世名人初代大橋宗桂から木村義雄十四世名人までの代表棋譜をとりあげた「日本将棋大系」全15巻と別冊3巻が刊行される。
昭和期1980年代までの棋書で名著としては、升田や山田のものを除くと加藤治郎『将棋は歩から』・『将棋の公式』や、米長邦雄『米長の将棋』・加藤一二三「初段を目指す将棋シリーズ」や『逆転の将棋』などがあるが、加藤の著書『一二三の玉手箱』(光文社知恵の森文庫、2019年)によると、加藤の「逆転」は、自分の自戦記を解説した初めての定跡書で好評を得たという。加藤は棋譜をモーツァルトの演奏にたとえ、「芸術は解説がないと分かりにくい。将棋も芸術なのだから棋譜の解説も重要だ」と述べている。友人の米長の本も加藤と同じ自戦記定跡解説形式である。
早くに観戦記者としても活動した加藤治郎の著『将棋は歩から』は、1970年に東京書店から上・中・下巻の3巻で刊行される。それまで加藤は連盟機関紙『将棋世界』で連載していた「歩の使用法」を1949年に旧版『将棋は歩から スピード上達法』を唯人社から、1956年には小型サイズの『将棋・歩の道場』を大阪屋號書店(1972年に集文館から再販)から出版。加藤は1969年からは日本経済新聞に「新講・将棋は歩から」を連載していた。『将棋は歩から』はそれら過去の書で割愛した分も解説に加えたほか、大半の棋譜を当時の最新版に取り替える、そして歩の手筋で名称が無いものにも名づけているる。例えば焦点の歩やダンスの歩、連打の歩などは、加藤に命名されている。1982年には箱入り豪華本で『愛蔵版 将棋は歩から』(上・中・下巻)が出版され、1990年に価格改定、1992年には再版される。2011年には森けい二と羽生善治によって全面改訂された『新 将棋は歩から』が発行された。
加藤一二三も山田同様に1973年から10年間かけて、大泉書店から戦法書として初段をめざす将棋シリーズと加藤のプロ将棋シリーズを刊行。初段をめざす将棋シリーズでは『将棋の初歩入門』、『振り飛車破り』(対中飛車の3八飛戦法、四間飛車の5七銀右、三間飛車の4五歩早仕掛け、対向かい飛車ほか)『続振り飛車破り』(加藤流袖飛車や4六金戦法など)『力戦振り飛車』(中飛車:5五歩交換型と5筋位取り中飛車、石田流早石田、ツノ銀中飛車対4五歩早仕掛けなど)『矢倉の戦い』(矢倉3七桂・総矢倉、矢倉3七銀、端攻め、金矢倉対銀矢倉など)『中終盤の戦い』(急戦矢倉、矢倉端攻め、振り飛車に継ぎ歩攻め、次の一手など)『棒銀の戦い』を、加藤のプロ将棋シリーズでは『プロの三間飛車破り』(三歩突き捨て戦法など)『プロの四間飛車破り』(棒銀、矢倉棒銀、居飛車穴熊など)『プロの中飛車破り』(加藤流袖飛車など)『プロの矢倉3七桂』(スズメ刺し、対△7五歩交換型他)『プロの矢倉3七銀』(矢倉3七銀の基本、▲3七銀1五歩型など)を出版している。
1980年に刊行の『米長の将棋』(全6巻)は米長邦雄が1970年代末ごろまでの自身の実践譜を解説。居飛車対振飛車の対抗型戦や矢倉戦法、ひねり飛車・横歩取り、棒銀・腰掛銀から奇襲戦法までを網羅。その後もMYCOM将棋文庫から文庫版が、2013年には日本将棋連盟・マイナビから完全版が復刻出版されている。
1985年に、加藤治郎は木村義徳と真部一男とともに、大修館書店からそれまでの将棋の戦法を分類して総ページ数1000ページ超にわたる『将棋戦法大事典』を刊行[8]。相懸など居飛車編は加藤、矢倉編は木村、振飛車編は真部が担当した。内容は基本定跡と基本手筋のほか、実戦の手順引用を多くした解説となっている。居飛車編は現在の棋書には載っていない旧型の相掛かり戦法(相浮き飛車、5筋歩対抗、新旧対抗など6種)腰掛銀(ガッチャン銀など相掛かり型、木村定跡など角換わりなど24種)鎖鎌銀(6種)筋違い角(8種)横歩取り(相居飛車や対中飛車など4種)縦歩取り(ひねり飛車や純粋縦歩取りなど10種)棒銀(角換わり型や原始棒銀など8種)角換わり早繰り銀、5七角戦法(2種)、3三金戦法、袖飛車戦法、2四歩先攻戦法(5手爆弾)、角頭歩突き戦法(3種)、鬼殺し、金開き、居飛車穴熊(対中飛車、対四間飛車、対三間飛車の3種)で、また、凹凸戦(一方が5筋の位を取った居飛車戦)や7三玉型の珍玉戦法などが掲載。振り飛車編は角道を止めるノーマル振り飛車を中心に、居飛車側の戦法別にも分類して中飛車(平目や原始中飛車もあって8種)四間飛車(居飛車対策別に6種)三間飛車(石田流や7筋位取りもあって8種)向かい飛車(升田式や阪田流向かい飛車、△3二金型の3種)相振り飛車(6種)振り飛車穴熊(中飛車、四間飛車、三間飛車の3種)が掲載。矢倉編は急戦矢倉から飛車先不突矢倉まで7種が掲載された。
同時期、1984年に週刊将棋が創刊。同紙を基礎に週将ブックスシリーズが発足。特に定跡書として、定跡百科シリーズ全11巻、四間飛車(1と2)、三間飛車、中飛車、穴熊、横歩取り(1と2)、相掛かり(1と2)、角換わり、矢倉の各ガイドが刊行。また定跡ワークブック全8巻、基本定跡から、穴熊、横歩取り、角換わり、三間飛車、相掛かりマスター、中飛車、矢倉の各マスターブックといった棋戦で多く指されていた戦法の各定跡の解説書を刊行している。
平成に入ってからは羽生善治『羽生の頭脳』が名著として名高い[9][10]。 1992年から1994年にかけて、全10巻が刊行された本書は、刊行当時までに有名な主だった重要戦型の最新定跡を網羅し、それをわかりやすく解説することをシリーズのテーマとして、それまでの戦法の基本的な定跡と著者の研究を詳しく述べていった。のちに文庫版としても刊行されるが、「羽生の結論」と題して、その定跡の手順について検討を重ね、そして章の最初ページに有利か不利か優劣不明か、先にはっきりと判定し記述している。また各巻で戦型に対する実践編を掲載し、解説を加えている。
1巻から4巻までは対抗形を解説。1巻と2巻が四間飛車破り(文庫版での1巻)で、1巻が先手4六銀(右銀)戦法(後手4三銀型、後手5二金左型)、先手4六銀(左銀)戦法(後手6四歩型に▲3四歩△同銀▲3八飛、後手6四歩型に先に▲2四歩突き捨て策 ほか)、先手4五歩早仕掛け(▲2四歩突き捨てに後手の応手2四同歩型、後手2四同角型 ほか)、鷺宮定跡(後手6四歩型に先手3八飛型、後手1二香に先手3八飛~先手6六歩型)、2巻が四間飛車破り Part2と題して、鷺宮定跡の新変化、棒銀戦法、後手の急戦策(1.△6四銀(右銀)戦法、2.棒銀戦法、3.△6四銀(左銀)戦法、4.△6五歩早仕掛け、5.鷺宮定跡)、3巻が中飛車・三間飛車破りで、対三間飛車が急戦・三間飛車破り(先手3七桂早仕掛け、先手3五歩早仕掛け)と急戦・先手三間飛車破り(先手三間飛車VS後手7三桂早仕掛け、先手三間飛車VS後手7五歩早仕掛け ほか)で、対中飛車が急戦・中飛車破りその1とその2(先手3八飛戦法 中飛車側の対策、先手4六金戦法 ほか)で、当時のテーマである振り飛車に居飛車舟囲い急戦策の定跡が有効なのか、後手番でも成立するのかを解説。
4巻からは居飛車穴熊と左美濃で、居飛車穴熊のVS三間飛車(対石田流、対▲4五歩位取り、対▲6七銀型)、VS四間飛車(対▲5六銀型四間飛車、対▲5六歩型四間飛車、対四間飛車の△4五歩挑戦型)、VS中飛車(対▲4六銀型中飛車、対風車戦法)、VS向い飛車(穴熊に組む展開、穴熊を捨てる展開)と、左美濃のVS三間飛車(△7三銀型左美濃VS先手三間飛車、四枚美濃VS先手三間飛車)、VS四間飛車(左美濃・▲4六銀戦法、四枚美濃VS先手四間飛車)を取り上げている。文庫では3巻とあわせて 2巻に当たる。
5巻以降は相居飛車戦の解説。5巻と6巻では相矢倉戦について(文庫版での3巻)で、5巻では、最強矢倉・後手急戦と3七銀戦法と題して、超急戦・序盤の常識:先手3五歩戦法、先手矢倉3七銀戦法・後手4三金型、先手3七銀戦法・後手6四角の攻防、先手3七銀戦法・先手6八角定跡など、6巻では最強矢倉・森下システムと題して、刊行当時最新となった先手3七銀戦法や、森下システムに対するVS雀刺し、VS後手7三銀、VS後手6四角、さらに刊行時最新の森下システムを取り上げている。7巻は角換わり最前線と題して、当時流行していた角換わりを、棒銀(後手7三銀型、後手1四歩型に分類 と、後手棒銀:後手3二金型、、後手3二玉型ほか)と、腰掛け銀(腰掛け銀の常識:腰掛け銀の入口、後手4三歩型、受けに回る3四銀、後手7三歩型 と同形腰掛け銀:コースの入口、同形腰掛け銀の常識ほか)に分類して解説。8巻はヒネリ飛車で、最新の先手9六歩型、先手1六歩型のほか、相掛かり3七銀戦法や相掛かり型腰掛銀などを網羅。文庫ではあわせて4巻に当たる。9巻と10巻が横歩取り戦法の古典型から最新型までの検討(文庫版での5巻)で、横歩取り後手2三歩型(2三歩型、決断の先手3二飛成、見直された先手3六飛)、相横歩取り戦法(急戦定跡、持久戦定跡)などから横歩取り4五角、横歩取り3三桂、横歩取り3三角の3つについて解説していた。
脚注 編集
- ^ 平凡社版『詰むや詰まざるや 将棋無双・将棋図巧』、門脇芳雄解説より
- ^ 米長・羽生『勉強の仕方―頭がよくなる秘密』祥伝社文庫、1999
- ^ 河北新報『河北春秋』2020年7月17日付 https://www.kahoku.co.jp/column/kahokusyunju/20200717_01.html
- ^ 木村『将棋大観』マイナビ、2018
- ^ 将棋講座 (NHK) でも1962年の「趣味講座」からである。
- ^ 『山田道美著作集』第一巻の「あとがき」に中原誠は「中でも、本巻に採録した一連の四間飛車対策は、つとに有名なものであり、『近代将棋』誌に連載中、多くの棋士や奨励会員がこぞって愛読したものである」と記している。
- ^ コラム「棋士達の話」『将棋マガジン』1987年1月号
- ^ 『将棋戦法大事典』 - コトバンク
- ^ Facebook日本将棋連盟 2017年6月13日
- ^ 売れてます!将棋書籍の重版決定 将棋書籍編集部 2013.03.28