江森 月居(えもり げっきょ、1756年宝暦6年)- 1824年11月5日文政7年9月15日[1])は、江戸時代後期の俳人である。名は史一[1]。別号に竹巣[1]、些庵[1]、三巣園[1]、桂川等がある。

経歴・人物 編集

京都の生まれ[1]安永の頃、荒木田久老及び村田春門の門人として国学を学び[1]、あわせて与謝蕪村の門人となる[1]。俳諧は入門後に頭角を現し、1776年(安永5年)高井几董と共に入集する[1]。蕪村からは「月居、夜半亭門人、俳諧の好士なり」と評された[1]。蕪村の死後、几董からも「風流なる哉三巣園、達者なる哉月居」と賞賛された[1]。その後は宗匠として畿内を中心にその勢力を広めた[1]1790年寛政2年)二条家俳諧において右方宗匠に就き、「俳諧之達者中興之器」の称を許された[1]。この時、二条家に30両の賄金を奉納したという[1]。大阪に移った後は摂北・両丹・若狭地方に勢力を拡大するが[1]、月居の密通を告発する捨文によって一時身を隠すこともあった[1]

当初は蕪村の影響を受けた格調高さが見られたが[1]、寛政文化期には当時流行した俳風へと変化した[1]。ただし、当時の主流にはならなかった[1]。一方で「発句はともかく、日本の宗匠は月居」と江戸で評判となり[1]鈴木道彦、尾張の士朗と共に大宗匠として名を馳せた[1]。付合の技量に優れ、擬古文調の俳文にも優れた[1]

主な著作物 編集

句集 編集

  • 『月居七部集』- 没後の1828年(文政11年)刊行。

著書 編集

  • 『夜明かし』

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第2巻』岩波書店、1984年1月、379-380頁。 

出典 編集