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池田 政済(いけだ まさなり、寛永18年(1641年) - 元禄10年11月11日1697年12月23日))は、江戸時代前期の旗本。3千石の寄合池田輝澄の七男。母は生駒正俊の娘。妻は小出有棟の娘。子に池田政因、勝吉郎(早世)、娘(宮城和堅の妻)、娘(酒井忠穏妻)、娘(駒井政周の妻)、娘(兄・池田政因の養女となり松下重長の妻となったが、離縁し池田政職の妻となった)がいる。

人物編集

寛永18年(1641年)、池田輝澄の七男として生まれる。寛文6年(1666年3月15日、兄・池田政直の遺領1万石のうち、播磨国神崎郡において3千石を分与され寄合に列する。元禄10年(1697年)11月11日、死去。57歳。跡を子の政因が継いだ。

先代:
屋形池田家当主
初代
1666年 - 1697年
次代:
池田政因