沈 金鑑(しん きんかん)は中華民国の政治家。叔詹叙詹

沈金鑑
プロフィール
出生: 1875年光緒元年) 
死去: 1924年民国13年)
中華民国の旗 中華民国
出身地: 浙江省湖州府(現在の呉興区
職業: 政治家
各種表記
繁体字 沈金鑑
簡体字 沈金鉴
拼音 Shěn Jīnjiàn
ラテン字 Shen Chin-chien
和名表記: しん きんかん
発音転記: シェン ジンジエン
テンプレートを表示

事跡 編集

光緒年間に武挙に及第し、以後、直隷海運局会弁、天津河防同知、天津保甲総弁、北洋巡警学堂総弁、奉天新民府知府、京師審判庭推事、安徽高等審判庁庁長を歴任した。1909年宣統元年)、安徽提法使となる。

中華民国成立後は京師地方行政講習所所長に任命された。1914年民国3年)3月、順天府尹に昇格し、同年10月、順天府が京兆府に改められると、そのまま沈金鑑が京兆尹となる。翌年9月、湖南巡按使に異動し、湖南都督湯薌銘につく。12月に袁世凱が皇帝に即位すると一等男に封じられた。

しかし、護国戦争で反袁独立が遅かった湯薌銘は省内の反発・蜂起を招き、1916年(民国5年)に下野に追い込まれた。沈金鑑もまたやはり下野させられている。1920年(民国9年)6月、浙江省省長に任ぜられ、1922年(民国11年)10月まで在任した。

1924年(民国13年)、病没。享年50。

参考文献 編集

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
   中華民国北京政府
先代
王治馨
順天府尹
1914年3月 - 10月
次代
(京兆尹に改組)
先代
(京兆尹から改組)
京兆尹
1914年10月 - 1915年9月
次代
王達