法務長官 (イギリス)

イングランドおよびウェールズのための国王陛下の法務長官(イングランドおよびウェールズのためのじょおうへいかのほうむちょうかん、英語: His Majesty's Attorney General for England and Wales)は、イギリス法務官英語版の1つであり、一般的には単に法務長官 (A-G) として知られる。法務長官は、イングランドおよびウェールズにおいて、国王と政府への法的助言者として仕える。法務長官府を有するものの、内閣レベルの司法大臣英語版大法官)の下位にある[1]。法務長官の直下に法務次官英語版が仕える。

イングランドおよびウェールズのための国王陛下の法務長官
His Majesty's Attorney General for England and Wales
Royal Coat of Arms of the United Kingdom (HM Government).svg
Official portrait of Rt Hon Michael Ellis MP.jpg
現職者
マイケル・エリス英語版

就任日 2022年9月6日 (2022-09-06)
法務長官府
上官首相
任命君主
首相の助言に基づく)
創設1277年
初代ウィリアム・ド・ボーンヴィル
職務代行者法務次官英語版
ウェブサイトwww.gov.uk

法務長官の地位は、遅くとも、法廷で王を代理する職業法律家を雇用していた記録がある1243年には存在していた。1461年には、法的問題に関する助言のために、法務長官が初めて貴族院に召喚され、その地位が政治的役割を有するようになった。1673年、法務長官は、公式に法的問題に関する国王の助言者かつ代理人となった。もっとも、当時はその役割は助言よりも訴訟に特化していた。20世紀初頭になり、その役割は訴訟から法的助言へと変化していった。今日では、検察庁英語版が訴追を、政府内法律サービス (Government Legal Service) が政府の各部門への法的助言を、いずれも法務長官の指揮監督下で行っている。

法務長官の職務は多忙なものであり、パトリック・ヘイスティングス英語版は在任中、「法務官であるというのは、地獄にいるということだ」と記している[2]。職務には、検察庁や重大不正捜査局、訴追権限を有する他の政府内法律家の監督が含まれる。さらに、法務長官は、政府法務局英語版(旧大蔵省法律顧問局)、検察サービス監察総監英語版、軍事訴追局の監督も担う。法務長官は、政府や、政府内各部局に対し、法的問題に関する助言を行い、議会での答弁、「不当に軽い」判決や法律上の問題の控訴院への上訴も行う。1997年法務官法英語版の成立以降、職務の法務次官への委任が可能となった[3]

歴史編集

当該役職の起源 は不明だが、最も古い「国王の代理人」の記録は、ローレンス・デル・ブロックなる職業弁護士が、王が関心を持っているものの法廷に立てない事件において、王に代わって訴追を行うために雇われていたという1243年である[2]。初期には、法務長官は訴訟において国王を代理することが主たる任務であり、政治的な役割や義務は有していなかった[4]。法務長官は高貴な地位であったが、信じがたいほどに身を粉にして働くことが求められていた。現に、フランシス・ノース英語版(1637年 - 1685年)は、法務長官として年間7000ポンドを支給されていたが、その役職を退き、給与は大きく減るものの業務負担の軽い民事訴訟裁判所首席判事英語版になるということを喜んだほどである[4]。法務長官の役職は、1461年に初めて政治的要素が加わり、法的問題に関して政府に助言を与えるため、貴族院に令状で召喚されるようになった。また、このとき初めて、この役職が「法務長官」(Attorney General)と呼ばれるようになった[2]。法務長官の任命時、貴族院に令状で召喚するという慣習は、今日まで破られることなく継続している。もっとも、1999年にモスティンのウィリアムズ閣下が任命されるまで、1700年以降、法務長官は貴族院に議席を有しておらず、1742年以降は、令状にも従っていなかった[5]

16世紀には、法務長官は貴族院と庶民院との間でメッセージを伝えていたものの、庶民院からは、貴族院や王の手先として見られ、疑いの目を向けられていた[5]。1673年、法務長官は庶民院に議席を有するようになり、以来、絶対条件ではないものの、法務長官は庶民院または貴族院の議員とすることが慣例となった[6]。1672年から1673年の信仰自由宣言を中心とする憲法上の闘争の間、法務長官は、公式に、法的問題に関する国王の代理人となった。

1890年、法務長官は、国王を私的に代理する能力を公式に剥奪され、政府の専門の代理人とされた[7]。20世紀初頭以来、法務長官の役割は、法廷で国王や政府を直接代理することではなくなった。法務長官は、より政治的、行政的な地位となり、政府全体と個々の政府部門の両方に対して法的助言を与えるようになった[8]。もっとも、1957年殺人法英語版の成立までは、法務長官は、毒を盛った全ての事件の訴追をする義務を有していた[9]

しかしながら、近年、政府がテロリスト被疑者をベルマーシュで拘禁したことの適法性が問題とされたA対内務大臣英語版事件[10]のように、法務長官が例外的に法廷で訴訟を直接担当することがあった。

役割と職務編集

法務長官は、法務長官府を率いる閣外大臣である。法務長官は閣内大臣であってはならないという決まりは、法律ではなく政治的慣習英語版であり、現に、1915年のバーケンヘッド卿英語版から1928年のダグラス・ホッグ英語版[11]まで、法務長官が短期間閣内にいたこともある[12]。法務長官が閣議に出席することを禁じているものはなく、折に触れて、法務長官は閣議に出席し、政府に対し、行為の最適な方向性に関して法的助言を行っている[12]。特に、EU離脱交渉の間を通じて、ジェフリー・コックスは複数回閣議に出席して助言を行った。もっとも、法務長官と、法的助言を与えた先の政治的な決定との間に明確な線引きをするため、法務長官は閣議から除外することが望ましいと考えられている[12]。法務長官は、政府の大臣として、議会に対して直接答弁を行うことができる[13]

法務長官は、国王とその政府の主たる法的助言者でもあり、会議における口頭のものと書面によるものとを問わず、政府の行為への法的な対抗に関して政府に助言を与えることにつき、一次的な役割を有している。政府全体だけでなく、政府の各部門にも助言を与える[12][14]。現在では訴訟は主たる役割ではなくなったが、今でも、法務長官は、少数の特に重要な事件においては法務長官が国王や政府を代理し、また、大半の政府の法的事件を扱う法律家 (Treasury Counsel) を選任する[9]。慣習により、国際司法裁判所においては、全ての事件で法務長官が政府を代理する[9]。法務長官は、検察庁英語版の監督と、その長である検事総長 (Director of Public Prosecutions) の任命を行う。訴追に関する判断は、例外的な事件(法令により、または国家安全保障に関連する場合に、法務長官の同意が必要とされる事件)を除き、検察庁が行う[15]。法務長官の同意があった事件の例として、1924年の初の労働党政権の崩壊につながったキャンベル事件英語版がある[16]

法務長官は、政府法務局英語版および重大不正捜査局の監督も行う[14][17]。また、法務長官は、「不当に軽い」判決や法律上の論点を控訴院に上訴したり、刑事訴追を中止するための「告訴取下げ(ラテン語: nolle prosequi)」の令状を発給したり、他の訴追機関(環境・食糧・農村地域省等)を監督したり、公務の結果として法的手段をとられた大臣個人への助言を行ったりする権限も有する[18]。法務長官は、嫌がらせ訴訟を制限するための裁判所への申請を行う責任を有し、また、民間公益団体の利害を代表するために訴訟に介入することもできる[19]。法務長官は、公的にはイングランドおよびウェールズの法曹界の指導者でもある。もっとも、これは単なる慣例であり、それに伴う権利義務はない[18]

法務長官の一覧編集

13世紀編集

  • ウィリアム・オブ・ボーンヴィル(1277年 - 1278年)
  • ウィリアム・ド・ジズルハム(1278年 - 1279年)
  • ギルバート・ド・ソーントン(1279年 - 1280年)
  • アラナス・オブ・ウォーキンガム(1280年 - 1281年)
  • ジョン・ル・フォーコナー(1281年 - 1284年)
  • ウィリアム・オブ・セルビー(1284年 - 1286年)
  • ギルバート・ド・ソーントン(1286年 - 1286年)
  • ウィリアム・イング英語版(1286年 - 1289年)
  • ジョン・ド・ボスコ(1289年 - 1290年)
  • ウィリアム・イングおよびヒューゴ・ド・ラウザー(1291年 - 1293年)[20]
  • ジョン・ド・マトフォード(1293年 - 1299年)[20]
  • ニコラス・ド・ウォリック(1299年)[20]

14世紀編集

  • ジョン・ド・セストリア(1300年 - 1301年)[20]
  • ジョン・ド・マトフォード(1301年 - 1308年)[20]
  • マシュー・ド・スカカリオ(1308年 - 1312年)[21]
  • ジョン・ド・ノートン(1312年 - 1315年)[21]
  • ウィリアム・ド・ラングレー(1315年 - 1318年)[21]
  • アダム・ド・ファイナム(1318年 - 1320年)[21]
  • ガルフリダス・ド・スクロープ(1320年 - 1322年)[21]
  • ガルフリダス・ド・フィンゲール(1322年 - 1324年)[21]
  • アダム・ド・ファイナム(1324年 - 1327年)[21]
  • ウィリアム・オブ・マーストン(1327年2月26日 - 1327年)[21]
  • アレクサンダー・ド・ヘーデナムおよびアダム・ド・ファイナム(1327年 - 1328年)
  • リチャード・オブ・アルデバラ(1329年 - 1334年)
  • サイモン・オブ・トレウィソーサ(1334年頃)
  • ウィリアム・オブ・ヘプトン(1334年 - 1338年)
  • ジョン・オブ・リンカーン(1338年5月28日 - 1338年8月4日)
  • ジョン・オブ・クローン(1338年8月4日 - 1338年)
  • ウィリアム・オブ・メリントン(1338年 - 1339年)
  • ジョン・オブ・クローン(1339年 - 1342年)
  • ウィリアム・オブ・ソープ(1342年 - 1343年)
  • ジョン・オブ・リンカーン(1343年 - 1343年)
  • ジョン・オブ・クローン(1343年 - 1349年)
  • サイモン・オブ・ケグワース(1349年 - 1353年)
  • ヘンリー・オブ・グレイストック(1353年 - 1356年)
  • ジョン・オブ・ゴーント(1356年 - 1360年5月4日)
  • リチャード・オブ・フリスビー(1360年5月4日 - 1362年)
  • ウィリアム(ロバートの可能性あり)・オブ・プレスト(1362年 - 1363年)
  • ウィリアム・オブ・ネスフィールド(1363年 - 1366年11月9日)
  • トーマス・オブ・シャードロウ(1366年11月9日- 1367年5月20日)
  • ジョン・オブ・アシュウェル(1367年5月20日 - 1367年)
  • マイケル・スキリング(1367年 - 1368年)
  • トーマス・オブ・シャードロウ(1378年 - 1381年)
  • ウィリアム・エリス(1381年 - 1381年)
  • ローレンス・ドゥル(1381年 - 1384年)
  • ウィリアム・オブ・ホーンビー(1384年 - 1386年)
  • エドマンド・ブルードネル(1386年 - 1398年)
  • トーマス・コーブリー(1398年 - 1399年9月30日)
  • ウィリアム・オブ・ローディントン(1399年9月30日 - 1401年)

15世紀編集

16世紀編集

17世紀編集

18世紀編集

19世紀編集

1900年から2001年まで編集

      保守党       労働党       自由党       自由統一党       国家労働機構英語版       アルスター統一党

名前 在任期間 政党 首相
サー・ロバート・フィンレイ英語版 1900年5月7日 1905年12月4日 自由統一党 ソールズベリー侯爵
(保守党・自由統一党連立内閣)
バルフォア
(保守党・自由統一党連立内閣)
サー・ジョン・ローソン・ウォルトン英語版 1905年12月12日 1908年1月28日 自由党 キャンベル=バナマン
サー・ウィリアム・ロブソン英語版 1908年1月28日 1910年10月7日 自由党
アスキス
(第一次内閣)
サー・ルーファス・アイザックス 1910年10月7日 1913年10月19日 自由党
サー・ジョン・サイモン 1913年10月19日 1915年5月25日 自由党
サー・エドワード・カーソン英語版 1915年5月25日 1915年10月19日 アルスター統一党 アスキス
(第二次・挙国一致内閣)
サー・F・E・スミス英語版 1915年11月3日 1919年1月10日 保守党
ロイド・ジョージ
挙国一致内閣英語版
サー・ゴードン・ヘワート英語版 1919年1月10日 1922年3月6日 自由党
サー・アーネスト・ポロック英語版 1922年3月6日 1922年10月19日 保守党
サー・ダグラス・ホッグ英語版 1922年10月24日 1924年1月22日 保守党 ボナー・ロー
ボールドウィン
サー・パトリック・ヘイスティングス英語版 1924年1月23日 1924年11月3日 労働党 マクドナルド
サー・ダグラス・ホッグ 1924年11月6日 1928年3月28日 保守党 ボールドウィン
サー・トーマス・インスキップ英語版 1928年3月28日 1929年6月4日 保守党
サー・ウィリアム・ジョウィット英語版 1929年6月7日 1932年1月26日 労働党 マクドナルド
(第二次内閣)
マクドナルド
(第三次・挙国一致内閣)
マクドナルド
(第四次・挙国一致内閣)
サー・トーマス・インスキップ 1932年1月26日 1936年3月18日 保守党
ボールドウィン
(第三次・挙国一致内閣)
サー・ドナルド・ソマーヴェル英語版 1936年3月18日 1945年5月25日 保守党
チェンバレン
(第一次・挙国一致内閣)
チェンバレン
(第二次・挙国一致内閣)
チャーチル
第一次・挙国一致内閣
サー・デイヴィッド・マクスウェル・ファイフ 1945年5月25日 1945年7月26日 保守党 チャーチル
(改造・挙国一致内閣)
サー・ハートリー・ショークロス英語版 1945年8月4日 1951年4月24日 労働党 アトリー
サー・フランク・ソスキス英語版 1951年4月24日 1951年10月26日 労働党
サー・ライオネル・ヒールド英語版 1951年11月3日 1954年10月18日 保守党 チャーチル
サー・レジナルド・マニンガム=ブラー 1954年10月18日 1962年7月16日 保守党
イーデン
マクミラン
サー・ジョン・ホブソン英語版 1962年7月16日 1964年10月16日 保守党
ダグラス=ヒューム
サー・エルウィン・ジョーンズ英語版 1964年10月18日 1970年6月19日 労働党 ウィルソン
サー・ピーター・ローリンソン英語版 1970年6月23日 1974年3月4日 保守党 ヒース
サミュエル・シルキン英語版 1974年3月7日 1979年5月4日 労働党 ウィルソン
キャラハン
サー・マイケル・ヘイヴァース英語版 1979年5月6日 1987年6月13日 保守党 サッチャー
サー・パトリック・メイヒュー英語版 1987年6月13日 1992年4月10日 保守党
メージャー
サー・ニコラス・ライエル英語版 1992年4月10日 1997年5月2日 保守党
サー・ジョン・モリス英語版 1997年5月6日 1999年7月29日 労働党 ブレア
モスティンのウィリアムズ閣下英語版 1999年7月29日 2001年6月11日 労働党

2001年から現在編集

      保守党       労働党

名前 在任期間 政党 首相
ゴールドスミス閣下英語版 2001年6月11日 2007年6月27日 労働党 ブレア
アストールのスコットランド女男爵英語版 2007年6月27日 2010年5月11日 労働党 ブラウン
ドミニク・グリーブ英語版 2010年5月12日 2014年7月15日 保守党 キャメロン
ジェレミー・ライト 2014年7月15日 2018年7月9日 保守党
メイ
ジェフリー・コックス英語版 2018年7月9日 2020年2月13日 保守党
ジョンソン
スエラ・ブレイヴァーマン英語版 2020年2月13日[22] 2022年9月9日 保守党
マイケル・エリス英語版 2022年9月9日 在任中 保守党 トラス

脚注編集

  1. ^ The Attorney General of England and the Attorney General of the United States (PDF)” (英語). デューク大学ロースクール. 2018年12月5日閲覧。
  2. ^ a b c Jones 1969, p. 43.
  3. ^ Elliott 2008, p. 249.
  4. ^ a b Jones 1969, p. 45.
  5. ^ a b Jones 1969, p. 44.
  6. ^ Cooley 1958, p. 307.
  7. ^ Attorney General's Office 2007, p. 4.
  8. ^ Jones 1969, p. 46.
  9. ^ a b c Jones 1969, p. 48.
  10. ^ [2004] UKHL 56.
  11. ^ Hogg, Douglas McGarel, first Viscount Hailsham (1872–1950), lawyer and politician” (英語). Oxford Dictionary of National Biography. オックスフォード大学出版局 (2004年). 2009年8月29日閲覧。
  12. ^ a b c d Jones 1969, p. 47.
  13. ^ Jones 1969, p. 49.
  14. ^ a b The Attorney General: who, what, why?” (英語). Lawyer 2B. 2015年12月8日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年3月10日閲覧。
  15. ^ The Protocol between the Attorney General and the Prosecuting Departments, July 2009 (PDF)” (英語). 法務長官府. 2011年7月25日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年4月4日閲覧。
  16. ^ Jones 1969, p. 50.
  17. ^ Attorney General's Office for England and Wales” (英語). 法務長官府. 2009年8月29日閲覧。
  18. ^ a b The Constitutional Role of the Attorney General (PDF)” (英語). 英国下院憲法問題委員会. 2014年7月29日閲覧。
  19. ^ About Us” (英語). 法務長官府. 2010年7月9日閲覧。
  20. ^ a b c d e The Chronological Historian:Volume 2. p. 55 
  21. ^ a b c d e f g h The Chronological Historian:Volume 1. p. 59 
  22. ^ Latest updates on ministerial appointments: February 2020” (英語). GOV.UK. 2020年2月14日閲覧。

参考文献編集

  • Attorney General's Office (2007) (英語). The governance of Britain: a consultation on the role of the Attorney General. 英国出版局英語版. ISBN 9780101719223. http://www.official-documents.gov.uk/document/cm71/7192/7192.asp. 
  • Carroll, Alex (2007) (英語). Constitutional and Administrative Law (4th ed.). ピアソン・ロングマン. ISBN 9781405812313 
  • Cooley, Rita (1958). “Predecessors of the Federal Attorney General: The Attorney General in England and the American Colonies” (英語). The American Journal of Legal History (テンプル大学) 2 (4). ISSN 0002-9319. 
  • Dickens, Bernard (1972). “The Attorney-General's Consent to Prosecutions” (英語). The Modern Law Review (ブラックウェル・パブリッシング) 35 (4). 
  • Elliott, Catherine; Quinn, Francis (2008) (英語). English Legal System (9th ed.). ピアソン・ロングマン. ISBN 9781405859417 
  • Jones, Elwyn (1969). “The Office of Attorney-General” (英語). The Cambridge Law Journal (ケンブリッジ大学出版局) 27 (1). ISSN 0008-1973. 

関連項目編集

外部リンク編集