法政大学第二中学校・高等学校
法政大学第二中学校・高等学校(ほうせいだいがくだいにちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、神奈川県川崎市中原区木月大町に所在し、中高一貫教育を提供する男女共学の私立中学校・高等学校。
法政大学第二中学校・高等学校 | |
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過去の名称 | 法政大学第二中学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人法政大学 |
設立年月日 | 昭和14年 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型(外部混合有) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 14540J |
所在地 | 〒211-0031 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
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高等学校において、中学校から入学した内部進学生徒と高等学校から入学した外部進学生徒との間では、高等学校第1学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校[1]。設置者は学校法人法政大学。略称は、「二中」「二高」(中高を併せて「法政二中高」)「法政二」などである。創立以来男子校であったが、2016年度より共学化が始まり、2018年度に全面共学化が完了した。
概要編集
中高一貫制の共学校で、法政大学の附属校。中学から大学までの「10年一貫教育」を掲げ、それに合わせた学習カリキュラムが実施されている[2]。中高共に平成19年度より週5日制から週6日制に変わり、新カリキュラムによる教育が行われている。また、クラブ活動が活発であり、テニス、ラグビー、ハンドボール、フェンシング、陸上競技、アメリカンフットボール、バレーボール、バスケットボール、放送部、吹奏楽部、合唱部、物理部など、多くのクラブが毎年全国大会や地方大会で活躍している。特に硬式野球部は過去9回夏の甲子園に出場し、優勝2回、準優勝1回の実績がある。また2017年にはハンドボール部が全国選抜大会とインターハイ、国民体育大会の全ての全国大会で優勝し、三冠を達成した。さらに合唱部は2017年の第60回神奈川県合唱コンクールにて銀賞を受賞した。
学習面において、高校では入学時に美術クラスと音楽クラスに分けられるため、2年間の大半の行動が同じ芸術クラスとなる。また、3年次になると進学別にクラス分けがあり、「理系クラス」「文系クラス」に分類される[3]。平成18年度より「ゼロ時限目」と呼ばれる20分間の英語学習が実施されているほか、TOEIC Bridgeを年2回受験する[4]。中学では3年次に広島に[5]4泊5日で研修に行く。広島では原爆を通じて平和を学んだり、サイクリングやSUPを通じて、仲間と協力することの大切さを学ぶ。
進路では、高校において進学要件を満たせば法政大学への被推薦権を保持したまま学部に関係なく他の私立大学や国公立大学を受験することができる。
教育理念編集
教育理念(学則第1条):
- 「本校における教育は、人格の完成をめざして国民的共通教養の基礎を築き、平和的で民主的な国家および社会の形成者を育成することを目的とする。」
教育目標:
- 人類および民族のあらゆる分野における歴史的・文化的遺産を体系的に学びとり、自然と社会・人間に対する認識を深める。
- 獲得した認識を総合し、自然との共生・諸民族の共同など、人類社会のもつ諸課題と向き合う視野を培う。
- 学ぶことの意味と喜びを知り、常に学問的好奇心を発揮し、生涯にわたって成長を遂げることのできる土台を獲得する。
- 自己を客観化し、社会の中でどのように生きるかを考えることにより、一人一人が個性を獲得し、自分の生き方を自分で決める能力をつける。
- 自ら諸課題の解決・現状の変革を担おうとする自主的精神と互いを尊重し共同での取り組みができる自治的な能力を獲得する。
- 高い品性と社会性を身につけ、不正・腐敗を許さず、社会正義を確立する自律の力を獲得する。
沿革編集
- 1939年 - 法政大学第二中学校設立(初代校長は井本健作)。
- 1945年 - 戦災により一部校舎(時計塔校舎など)を除き、ほぼ全焼。終戦後に占領軍が二中校地を一部接収[6](1948年返還)。
- 1948年 - 学制改革により、法政大学第二高等学校となる。他の私立校のように新制中学校を併設しなかった。
- 1952年 - 硬式野球部、甲子園に初出場。
- 1960年 - 硬式野球部、夏の甲子園で優勝。
- 1961年 - 硬式野球部、春の甲子園で優勝。
- 1968年 - 『かがやく法政二高』が出版される。
- 1969年 - 『法政二高教育の三十年史』が出版される。
- 1971年 - 映画「法政二高」が制作される。
- 1976年 - 法政大学工業高等学校を合併。
- 1984年 - バレーボール部、インターハイにて優勝
- 1986年 - 法政大学第二中学校を設置。
- 1988年 - アメリカンフットボール部、クリスマスボウル(横浜スタジアム)にて優勝。
- 1989年 - アメリカンフットボール部、クリスマスボウル(東京ドーム)にて連覇。『法政二高五〇年史』が出版される。
- 1997年 - バスケットボール部、ウィンターカップに初出場。
- 1999年 - ラグビー部、冬の花園に初出場。
- 2002年 - 社会科学研究部、全国高等学校総合文化祭社会科学部門において『川崎の中の沖縄~豊かな暮らしを求めた人々~』が最優秀賞を受賞。
- 2004年 - 演劇部、全国高等学校総合文化祭演劇部門において『ロック』を演じ、優秀賞を受賞。
- 2006年 - 高校において「ゼロ時限目」開始。ハンドボール部、国民体育大会で優勝。
- 2013年 - バスケットボール部、ウィンターカップに再出場。
- 2014年 - 新時計塔竣工。物理部、小型衛星模型の開発コンペ「缶サット甲子園」全国大会優勝。
- 2015年 - 陸上競技部。県高校駅伝で初優勝し全国高等学校駅伝競走大会に出場。
- 2016年 - 男女共学化[7]
- 2017年-「缶サット甲子園」全国大会優勝。ハンドボール部が全国高等学校ハンドボール選抜大会全国高等学校総合体育大会ハンドボール競技大会国民体育大会ハンドボール競技の全国三冠を達成。陸上競技部が2回目の全国高等学校駅伝競走大会に出場し、13位。
共学化編集
2016年度入学生より中学、高校同時に共学化された。これまで「違いを認め合う」ことを教育の中で重視してきたが、男女共同参画社会といわれる時代の流れを見据え、「男女の違い」を認め合う教育を組入れることで教育の幅が広がることを目指している[8]。共学化を軸とした改革のコンセプトは「武蔵小杉からの新たなステージ 付属校であることの可能性」とし、伝統と蓄積と土台とした「共学化」を打ち出している[9]。学校名、校章、校歌などは変更せず、以前との継承性を意識したものとなっている[9]。
設置課程編集
- 普通科全日制
- 週6日制34単位
- 高等学校1・2年次は入学時に分けられる芸術選択クラス(美術クラス・音楽クラス)に分かれる。
- 高等学校3年次より生徒の進路選択により1・2年次の芸術選択クラスから文系クラス、理系クラスに分かれる。
- 高校3年3学期には決定した大学の学部別授業が行われる[10]。
生徒会活動編集
中高共に生徒会活動が盛んであり、体育祭や、学園祭である二高祭・二中文化祭の運営の中心となるばかりでなく、日常の学校生活においても主軸をなしている[11]。特に高校生徒会は中央委員会を中心として様々な活動を行っており、それら活動は年度末に生徒会機関誌『法政二高』としてまとめられている[12]。中央委員会は年二回開催される代議員大会を通じて生徒側の要求を討議した上で学校側に伝える役割も担っており、こうした活動は全て「方針」と「総括」によって目標の明確化とその見直しが毎年度行われている[13]。
二高祭・二中文化祭編集
毎年12,000人程度が来校し、国内でも有数の規模の来校者数を誇る[13]。クラスが主体になって行うクラス企画や、体育連盟や文化連盟の企画する催しが行われている。体育連盟は大体が公開練習や招待試合をしている。また、クラス企画は、毎年のテーマに従った審査基準による来校者と学内関係者の投票によって企画賞が各学年3クラスずつ選出される。また、2014年からは来校者のみの投票で選出する特別賞が設定された[14]。
地域との関わり編集
武蔵小杉駅からの通学路には法政通り商店街があり、学校側と商店街との定期的な懇談会が行われている。また吹奏楽部が元住吉・ブレーメン商店街のイベントで演奏するなど様々な交流が試みられている。
校舎編集
旧時計塔校舎は、昭和11年に法政大学予科校舎として建設され、戦後も二中高のシンボル的な存在となっていた[15]。近隣地区においては慶應義塾高等学校の校舎と並ぶ歴史的な近代建築物であり、これを保存・存続しようという動きがあった[16]。しかし、2016年度の男女共学化に向けて校舎を全面改築することが発表され、老朽化が進む時計塔校舎は取り壊され、新しい時計塔校舎の使用が2014年度より開始された[17]。
新校舎の建設は、現在の敷地内でほぼ全面的に建て替える計画で、平成25年1月から実施された。仮設校舎を造らず、建物ができ次第、順次供用を開始する形で建設を進める。平成29年3月、中学グラウンドの竣工をもって新校舎への建て替えが完了した。新校舎の設計は、類設計室[18]。2017年3月には校舎及び施設の建て替え工事がすべて完了した[19]。
入試編集
著名な出身者編集
政治・経済編集
- 青木貴博 - Radiko社長
- 赤坂優 - エウレカ創業者、エンジェル投資家
- 中谷康夫 - 日立物流社長
- 西川清 - パーク24創業者
- 安田秀一 - 株式会社ドーム創業者
- 吉野英樹 - 元GABA会長(中等部)
- 上川あや - 世田谷区議会議員
- 今瀧健登- 僕と私と株式会社社長
作家・ジャーナリスト編集
芸能編集
- 池田駿介
- 成川哲夫
- 西岡徳馬 - 中退
- 寺尾聰 - 中退
- 長沢純
- 田辺誠一
- 東根作寿英
- 井上倫宏
- 猪野広樹
- 一色洋平
- 小林博
- Micro (Def Tech)
- 秦基博
- 片寄明人 (GREAT3)
- 山方隆士
- 田邊博崇
- 杉山良一
- 間宮祥太朗 - 中学のみ
アナウンサー編集
スポーツ編集
- 斎田忠利
- 小坂佳隆
- 小川博
- 河東真
- 柴田勲
- 是久幸彦
- 五明公男 - 体育学者、アマチュア野球指導者、元法政二同窓会長
- 村上雅則 - 中退
- 矢崎健治 - 中退
- 村越稔
- 高田誠
- 呉俊宏
- 大島公一
- 伊達昌司 - 現都立高等学校教員、アマチュア野球指導者
- 福本誠
- 下山学
- 幕田正力
- 山本泰
- 岩下健吾 - 審判員
- その他
その他編集
- 山岸勝榮 - 英語学者、明海大学名誉教授
- 佐伯有清 - 歴史学者
- 安藤至大 - 経済学者、日本大学教授
- 八木誠 - 音楽評論家、ディスクジョッキー
- 関根久雄 - 文化人類学者、筑波大学教授
- 岩合光昭 - 動物写真家
- 落合賢 - 映画監督(中等部)
- 一龍齋貞鳳 - 講談師
- 大坪力基 - 行政書士
- 原昌宏 - 工学技術者(QRコードを開発)
- 西田幸介 - 法学者、法政大学法学部教授
- 西山俊太郎 - 実業家、ヤナセ元代表取締役社長
- 青木大和 - パラアルペンスキー選手、実業家、元政治活動家
- 大見幸司 - フルート奏者
- DJ CELORY - 音楽プロデューサー
- 深澤岳大 - 元クイズ作家
- 永井浩介 - 元俳優、海老名市議会議員
- 石津谷治法 - 吹奏楽指導者
- 清水泰地 - ボディビルダー
- 龍口健太郎 - パフォーマー
交通アクセス編集
- 武蔵小杉駅西口から徒歩12分。
脚注および参照編集
- ^ 法政大学第二高校の学校情報 - 高校受験パスナビ(旺文社)の「ワンポイント情報」の冒頭には「●内部進学生とは1年次から混合クラス。」と掲載されている。
- ^ 法政二中高ホームページより
- ^ 『平成18年法政大学第二中・高等学校入学案内パンフレット』p.17
- ^ 前掲パンフレットp.16
- ^ 2020年度までは長崎、ニュージーランド、北海道、広島から選択。
- ^ 法政大学 『法政大学百年史』 882-883頁
- ^ 2012年5月28日神奈川新聞
- ^ 法政二中高・学校改革特設サイト(2012年6月21日)
- ^ a b “武蔵小杉からの新たなステージ 付属校であることの可能性”. 2020年6月27日閲覧。
- ^ 法政二中高HPより
- ^ 前掲パンフレットpp.8-9、pp.18-19
- ^ 『法政二高』第74号p.242
- ^ a b 法政二高同窓会ホームページより
- ^ 『平成26年度二高祭パンフレット』p.61
- ^ 4:学校の誘致と住宅の開発 ~ 武蔵小杉|このまちアーカイブス 2020年3月26日閲覧。
- ^ 2012年2月5日 東京新聞
- ^ 2012年5月29日付け朝日新聞川崎版より
- ^ 類設計室 HP より
- ^ “新校舎完成記念式典が行われました| TOPICS| 法政大学第二中・高等学校”. 2020年6月26日閲覧。
関連項目編集
- 法政大学
- 法政大学短期大学部:かつてキャンパスに隣接されていた
- 法政大学中学校・高等学校
- 法政大学国際高等学校
- 神奈川県中学校一覧
- 神奈川県高等学校一覧
- 法政通り商店街