洗面(せんめん)とは、や湯、石けん洗顔料などを使って洗うことをいう。起床したあとや、入浴の際にする人が多いと思われる。

洗面する男性

歴史 編集

道元が著わした『正法眼蔵』(1231-1253年)に第50巻「洗面」があり、日本では鎌倉時代以降に洗面の習慣がから広まったと推定できる。

道元は、こう書いている。「インドや中国では皆が洗面をするが、歯磨きをしない。日本では皆が歯磨きをするが、洗面をしない。」

天竺國、震旦國者、國王王子、大臣百官、在家出家、朝野男女、百姓萬民、みな洗面す。家宅の調度にも面桶あり、あるいは銀、あるいは鑞なり。天祠神廟にも、毎朝に洗面を供ず。佛祖の搭頭にも洗面をたてまつる。(中略)いまは農夫田夫、漁樵翁までも洗面わするることなし、しかあれども嚼楊枝なし。日本國は、國王大臣、老少朝野、在家出家の貴賤、ともに嚼楊枝、漱口の法をわすれず、しかあれども洗面せず。一得一失なり。いま洗面、嚼楊枝、ともに護持せん、(後略)
道元、延應元年己亥十月二十三日在雍州觀音導利興聖寶林寺示衆、「洗面」巻末、『正法眼蔵』第50巻

道元は、洗面の習慣がインドから中国に伝わったと述べている。

洗面は西天竺國よりつたはれて、東震旦國に流布せり。
道元、「洗面」『正法眼蔵』第50巻

道元は、洗面の方法についても詳しく記し、耳の裏と瞼の裏も洗えと述べている。

つぎにまさしく洗面す。兩手に面桶の湯を掬して、額より兩眉毛、兩目、鼻孔、耳中、顱頬、あまねくあらふ。まづよくよく湯をすくひかけて、しかうしてのち摩沐すべし。涕唾鼻涕を面桶の湯におとしいるることなかれ。かくのごとくあらふとき、湯を無度につひやして、面桶のほかにもらしおとしちらして、はやくうしなふことなかれ。あかおち、あぶらのぞこほりぬるまであらふなり。耳裏あらふべし、著水不得なるがゆゑに。眼裏あらふべし、著沙不得なるがゆゑに。あるいは頭髪頂までもあらふ、すなはち威儀なり。洗面をはりて、面桶の湯をすててのちも、三彈指すべし。
道元、「洗面」『正法眼蔵』第50巻

洗面所 編集

 
駅ホームの洗面所(松本駅

洗面を行う場所を洗面所という。ただし、住宅旅館以外の洗面所はトイレのことを指す場合が多い。

かつては、大きなプラットホームには洗面所がつきものであった。蒸気機関車煤煙を洗い落とす必要があったからである。

参考文献 編集

  • 道元著、水野弥穂子校注『正法眼蔵』3、岩波文庫、1991。 

関連項目 編集