浄橋女王(きよはしじょおう/きよはしのおおきみ、生年不詳 - 延暦9年閏3月1日(790年4月19日))は、奈良時代の皇族。系譜は不詳だが、光仁天皇の姪で、志貴皇子の孫。位階は従四位上。清橋女王とも表記される。
光仁朝の宝亀元年(770年)11月、光仁天皇の即位に伴う詔により、春日宮御宇天皇(志貴皇子)の皇孫として二世王待遇となり、無位から従四位下に直叙される[1]。桓武朝の天応元年(781年)11月、従四位上に昇叙される[2]。延暦9年(790年)閏3月、卒[3]。
『続日本紀』による
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