浅井得一
経歴 編集
東京生まれ。1936年京都帝国大学文学部地理学専攻卒。小牧実繁らの大東亜地理学派の一人。戦時下の1942年12月、南方軍情報官としてビルマに赴任、陸軍司政官となる。1944年4月25日、南方軍ビルマ方面軍・磯村武亮参謀副長の示唆を受け、ビルマ国国家主席・バー・モウの暗殺を企てるが、ビルマ兵の警戒により失敗[2]、逮捕されるも日本へ帰される。逃亡中、長く豚小屋に潜んでいたため豚コレラに感染。終生、右腕が不自由で、黒板の板書は利き腕ではない左手で書くので板書には苦労した。
その後、京都大学人文科学研究所嘱託研究員、1960年、「日本の都市の人口地理学的研究」で、日本大学より文学博士の学位を取得。日本大学助教授、明治大学教授、玉川大学講師、国士舘大学教授、日本地理教育学会会長を歴任する。
著書 編集
- 『世界地理政治大系 印度』白揚社 1942
- 『印度洋』朝日新聞社・朝日時局新輯 1942
- 『ラングーン・カルカッタ』目黒書店・新世界叢書 1943
- 『首都東京』筑摩書房・中学生全集 1953
- 『日本の国土と生活』岩崎書店・社会科全集 1954
- 『日本地理ものがたり』筑摩書房・小学生全集 1957
- 『世界風俗めぐり』偕成社・絵とき百科 1958
- 『世界の産業 自然を利用する人間』大日本図書・ワールド・ブック 1970
- 『人間の地理学』玉川大学出版部 1972
- 『世界ふしぎ探検』全6巻 小峰書店 1973-1974
- 『たべものの地理』玉川大学出版部 1975
- 『資源の地理』玉川大学出版部 1978 玉川選書
- 『東京地名風土記』産業能率短期大学出版部 1978
- 『ビルマ戦線風土記』玉川大学出版部 1980 玉川選書
- 『わたしたちの日本』全16巻 小峰書店、1984-1985
編著 編集
脚注 編集
- ^ 柴田陽一「アジア・太平洋戦争期の戦略研究における地理学者の役割 -綜合地理研究会と陸軍参謀本部-」
- ^ 『ビルマの夜明け - バー・モウ(元国家元首)独立運動回想録』p.373
参考 編集
- 『ビルマ戦線風土記』
- 柴田陽一「小牧実繁の「日本地政学」とその思想的確立-個人史的側面に注目して-」『人文地理』2006