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浅田 均(あさだ ひとし、1950年昭和25年)12月29日 - )は、日本政治家日本維新の会所属の参議院議員(1期)、日本維新の会政務調査会長・国会議員団政務調査会長[1][2][3][4][5][6][7]

浅田 均
あさだ ひとし
生年月日 (1950-12-29) 1950年12月29日(68歳)
出生地 日本の旗 日本 大阪府大阪市城東区
出身校 京都大学文学部哲学科
スタンフォード大学大学院修士課程
前職 日本放送協会職員
経済協力開発機構(OECD)日本政府代表部専門調査員
大阪府議会議長
大阪府議会議員
現職 参議院議員
日本維新の会政務調査会長
日本維新の会国会議員団政務調査会長
外交防衛委員会委員
予算委員会委員
憲法審査会幹事
所属政党自由民主党→)
大阪維新の会→)
(大阪維新の会/日本維新の会→)
(大阪維新の会/維新の党→)
(おおさか維新の会/大阪維新の会→)
日本維新の会/大阪維新の会
親族 父・浅田貢(元大阪府議会議員)
公式サイト 浅田 均 Online

選挙区 大阪府選挙区
当選回数 1回
在任期間 2016年7月 - 現職

選挙区 城東区選挙区
当選回数 5回
在任期間 1999年 - 2016年6月
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大阪府議会議員(5期)、大阪府議会議長(第107代)、大阪維新の会政調会長、(旧)日本維新の会政策調査会長などを歴任した。

目次

来歴編集

大阪府大阪市城東区生まれ。大阪市立今福小学校大阪市立放出中学校大阪府立大手前高等学校[7]京都大学文学部哲学科卒業。アメリカ合衆国スタンフォード大学大学院修士課程修了。その後NHK経済協力開発機構に勤務した[7]

1999年大阪府議会議員選挙城東区選挙区から立候補し、初当選を果たした。2004年大阪府議会警察常任委員長に就任。翌2005年、自由民主党大阪府議団政務調査会長に就任(2006年まで)。2007年大阪府議会議員選挙では、自民党府議団副幹事長の職にありながら、選挙公約に「地域政党(ローカルパーティ)の設立」を掲げた[8]2008年、自民党大阪府議団幹事長に就任(2009年まで)。

2009年10月、自民党大阪府議団を離脱し、大阪府議会に会派「自由民主党・ローカルパーティー」を結成。2010年4月、大阪維新の会府議団を結成し、代表に就任する。同月19日には、地域政党大阪維新の会」の結党に参加し、代表に橋下徹大阪府知事、幹事長に松井一郎大阪府議会議員、政調会長には浅田が就任した。この時に作成された「大阪再生マスタープラン」には、「(大阪)府市統合」「広域行政の一元化」等、従来から浅田が主張してきた政策が盛り込まれている[8]

2011年5月、第107代大阪府議会議長に選出された[9]。同時に大阪市議会では大阪維新の会所属の大内啓治が、堺市議会では大阪維新の会所属の馬場伸幸が議長に選出され、大阪府大阪市堺市の各議会の議長を大阪維新の会所属の議員が独占した。2012年4月、維新政治塾が発足し、同塾の運営を担当[4]

2012年4月、維新政治塾が始動する。浅田はこの政治塾の運営を任されている[4]

2012年5月、大阪府議会議長に再任。なお、従来は議長は1年で交代する慣例が存在し、副議長の横倉廉幸(自民党)はこの慣例に従い、退任した[9]

2012年8月、浅田の起草による維新八策[4]が、日本維新の会の党綱領に採択された[10][11]

大阪府議会議長を3期3年務めていたが、大阪府市法定協議会会長の職務に専念するとして2014年5月に議長を退任(後任議長は岡沢健二)。

2014年9月21日、所属する日本維新の会結いの党と合流し、維新の党となったことに伴う新たな党役員人事の結果、浅田は同党の政調会長代行に就任することとなった(会長は柿沢未途[12][13][14]

2015年維新の党の分裂によりおおさか維新の会に参加。同党政調会長に就任した。2016年7月の第24回参議院議員通常選挙大阪府選挙区より立候補し[15]、大阪維新の会の大阪府議(堺市南区選出の府議を除く)と大阪市城東区選出の市議が選挙対策本部として支え[16]、同党の第2位で当選した。2019年1月より同党国会議員団政調会長を兼務[17]

政策・主張編集

ローカル・パーティ編集

2008年2月、大阪府知事に当選して間もない橋下徹は、大阪府議選における浅田の選挙公約にあった「ローカル・パーティ」に目を留め、この言葉の意味を尋ねた。橋下の質問に対し、浅田は「自民であれ、民主であれ、既存政党は何事も東京の本部で決めて地方はそれに従う構造になっている。地方の意向が反映されない党運営をしている。国の分権化には政党の分権化も必要だ。そのためにはローカル・パーティという形がいい」と述べ、橋下も強い関心を示した[8]

浅田が地域政党(ローカル・パーティ)の構想を発案したきっかけは1999年大阪市長選挙及び2000年大阪府知事選挙に遡る。当時大阪市長選に立候補した元大阪市助役の磯村隆文、大阪府知事選に立候補した元通産官僚太田房江は、いずれも自由民主党の推薦を受けていたが、それにも関わらず相反する政策を掲げていた。大阪では当時から府市あわせという言葉に象徴されるような二重行政が課題とされていたが、これへの対応策として太田は府が大阪市を吸収する「大阪新都構想」を、磯村氏は大阪市が府から独立する「スーパー政令市制度」を主張し、両者の掲げる政策は相容れないものであった[8]。この状況を見かねた浅田は「対立する両者を自民党本部が同時に推薦するのはおかしい」と主張したが、党本部は「地域で決めてもらうより仕方がない」と回答しはしたものの、結局は推薦決定権を党本部が持ったままで地方の側(大阪府連)はそれに口出しができないままであった[8]。これを受け、浅田は「地域課題については地方が独自に決められるようにすべきだ。中央と地方の関係は、本部と支部という関係ではなく、それぞれの地域で独立している支部の連合体に再構成する必要がある」と考えるようになり、それがやがて「地域政党」の構想へ発展した[8]

大阪都構想への対応編集

大阪維新の会と日本維新の会の看板政策のひとつが大阪都構想である。兵庫県伊丹市長選挙と同県宝塚市長選挙にあたって浅田は、大阪都構想が実現した後には、さらに兵庫県南東部(伊丹市・尼崎市・芦屋市・西宮市・宝塚市・神戸市など)までも大阪都に合併してその特別区とし、「東京に対決する強烈な自治体」としての「グレーター大阪」をつくるべきだとする構想を表明した[18]。この構想に対しては、兵庫県知事井戸敏三と神戸市長矢田立郎が激しく批判するとともに、対立候補からの「伊丹を大阪の植民地にしてはいけない」「宝塚を大阪の一部にしない」という反発をまきおこした。選挙の結果は日本維新の会に反対する現職の圧勝であり、日本維新の会の候補者は惨敗した。

その他編集

人物編集

  • 父・浅田貢も元大阪府議会議員で、父の地盤を引き継いだ二世議員である。そのため「圧倒的に頭はいいが、指導力に欠ける」という評価もある[4]
  • 公明党白浜一良副代表兼党関西方面議長との太いパイプがある[7]。これは白浜が京都大学文学部哲学科で、浅田の3年先輩に当たり、政治談義のみならず、文学の趣味や哲学感でも話が合うからであると言われている[7]。また、このことから日本維新の会公明党の太い絆を紡いでいるのは、浅田であると見る向きもある[7]
  • スタンフォード大学大学院への留学や経済協力開発機構に勤務していた経験から、英語ドイツ語フランス語の3ヶ国語が堪能[7][4]。ただし、通常のパーティー等でのスピーチでも英語やフランス語を用いて「空気が読めていない」「自意識過剰の学者タイプで、政治家じゃない」等、辛辣な評価を受ける一面もある[4]
  • 2012年時点で大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長が「スターで発信力の橋下」、幹事長の松井一郎大阪府知事が「武闘派で度胸の松井」「政局の松井」と評されるのに対し、浅田は「頭脳の浅田」「政策の浅田」と評された[7]
  • 日本維新の会結党前には、浅田はしばしば永田町で各党の事務所をまわり、大阪維新の会の方針を的確に説明してまわっていた。この時の説明の仕方が理路整然としたものであったと言われており、この事が、維新の知恵袋頭脳の浅田といった異名を与えるほど、頭脳派のイメージを見せつけたとされている[4][7]

関連項目編集

脚註編集

  1. ^ 日本維新幹事長が“活” 「新人よ浮かれるな」静岡新聞 2012年12月18日22:51配信 2013年2月7日閲覧)
  2. ^ 維新・みんな:民主に距離 選挙協力の呼びかけ拒否 (毎日.jp 2013年2月8日20:00配信 配信日に閲覧)
  3. ^ 【キーパーソンに聞く党の理念と政策①】日本維新の会・浅田均政調会長「日本の統治機構をつくり直し既得権益と闘う成長戦略を推し進める」 週刊ダイヤモンド 2012年12月3日配信 2013年2月11日閲覧
  4. ^ a b c d e f g h 「船中八策」の起草者 大阪維新の会 浅田均って何者? 『週刊現代』2012年3月10日号 2013年2月11日閲覧
  5. ^ 維新&みんな「共闘」へ始動! 政治塾を設立 ZAKZAK 2012年1月4日配信 2013年2月13日閲覧
  6. ^ 民主、維新に接近 孤立恐れ…3野党政調会長会談呼びかけ ZAKZAK 2012年2月4日配信 2013年2月13日閲覧
  7. ^ a b c d e f g h i 【橋下維新の参謀】“橋下新党の頭脳”浅田均氏は元NHK ZAKZAK 2012年8月29日配信 2013年2月13日閲覧
  8. ^ a b c d e f 上山信一の「続・自治体改革の突破口」第124回 地域政党「大阪維新の会」とは何か(配信元:日経BP 著者:上山信一 配信:2012年10月2日 閲覧日:2013年2月11日)
  9. ^ a b 大阪府議会 維新議長続投、公明副議長就任へ 衆院選にらみ関係深まる 産経ニュースwest 2012年5月15日19:07配信 配信日に閲覧
  10. ^ “橋下氏「維新八策は公約ではない」 党綱領と位置付け”. 日本経済新聞. (2012年9月10日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1000Q_Q2A910C1EB2000/ 2012年12月25日閲覧。 
  11. ^ “「維新八策」衆院定数半減を明記 最終案まとまる”. 日本経済新聞. (2012年8月31日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS3102X_R30C12A8MM8000/ 2012年12月25日閲覧。 
  12. ^ 維新の党 執行役員 維新の党公式HP 2014年9月23日閲覧
  13. ^ “維新の党結党大会 「野党再編進める」”. NHKニュース. (2014年9月21日). http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140921/t10014767531000.html 2014年9月21日閲覧。 
  14. ^ 維新の党、結党時から国家観などで距離感… 再編に水差す各党“お家事情” MSN産経ニュース2014年9月22日 12:42配信 2014年9月23日閲覧
  15. ^ 浅田均府議を参院大阪選挙区に擁立へ おおさか維新の会朝日新聞12月5日
  16. ^ 〝美人市議の乱〟「レクサス」で沈む? 維新2人目に元政敵擁立で不協和音…自民は「裏切り者に負けられない」 産経新聞 2016年6月15日
  17. ^ 維新、国会議員団副代表に下地幹郎氏”. 産経新聞 (2019年2月1日). 2019年2月6日閲覧。
  18. ^ “維新が新構想、「兵庫の東部」も大阪都に 神戸市民は猛反発「一緒になるなんて嫌!」”. J-CASTニュース. (2013年4月5日). http://www.j-cast.com/2013/04/05172462.html?p=all 2013年4月5日閲覧。 
  19. ^ a b c d e f 2017年衆院選 毎日新聞候補者アンケート
  20. ^ 朝日新聞2016年参院選候補者アンケート(朝日・東大谷口研究室共同調査)、(2016年6月23日閲覧)

外部リンク編集

議会
先代:
長田義明
  大阪府議会議長
第107代:2011年 - 2014年
次代:
岡沢健二
党職
先代:
名称変更
日本維新の会政務調査会長
第2代:2016年 -
次代:
現職
先代:
吉村洋文
おおさか維新の会政務調査会長
第2代:2015年 - 2016年
次代:
日本維新の会
先代:
結成
日本維新の会政策調査会長
初代:2012年 - 2014年
次代:
維新の党
先代:
結成
大阪維新の会政務調査会長
初代:2010年 - 2015年
次代:
吉村洋文