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浅羽 佐喜太郎(あさば さきたろう、1867年慶応3年3月[1] - 1910年明治43年)9月25日)は、日本医師篤志家ベトナム東遊運動の指導者だったファン・ボイ・チャウを支援した事で有名である。

目次

人物・生涯編集

1867年(慶応3年3月)、遠江国磐田郡東浅羽村(現在の静岡県袋井市梅山[1])にて生まれた。佐喜太郎の父・義樹は神社神職だったが、戊辰戦争官軍に加わった事をきっかけに軍人に転向した人物だった。佐喜太郎は東京帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)卒業後、神奈川県小田原市国府津町と故郷の東浅羽村にて医院を開業した。

生来、困っている人を見ると助けずにはいられない性分で、貧しい患者から決して金銭を取ろうとせず、むしろ金銭を施した程であったと伝わっている。慈善活動にも熱心で、神奈川県立第二中学校(現・神奈川県立小田原高等学校)や前羽村(神奈川県足柄下郡にあった村。現在の小田原市)の消防団設立に当たって多大な寄付をした他、前羽村や国府津町の小学校校医を務め、前羽村小学校に風琴(オルガン)を贈呈するなど地域発展にも力を尽くした。

1907年明治40年)、故郷・東浅羽村に帰っていた浅羽は、道端で行き倒れになっていた、フランス領インドシナの民主主義運動家だった阮泰抜(Nguyễn Thái Bạt)を助けた。そして阮に対して東京同文書院(後の東亜同文書院大学)への入学手続きや学費まで支払い、金銭的な援助をした。これが同じフランス領インドシナの民主主義運動家、ファン・ボイ・チャウの耳に入り、2人の交流が始まった。

ファンは1905年(明治38年)に来日し、犬養毅の支援を通じて、ベトナムの青年を大日本帝国に留学させる東遊運動(ドンズー運動)を興していたが、この頃になると金銭的に苦しくなっていた。浅羽はそんなファンに対し、1,700円もの大金[2]を提供してファンを助けた。2人の交流は、日仏協約の締結によるベトナム人留学生の国外退去命令が出された1909年(明治42年)3月まで続いた。ファンの退去時にも浅羽は歓待し、2人で互いに再開を約束し、フランスの外圧による国外退去命令を推進した、大隈重信や犬養毅を酷評したと言われている。

浅羽は病弱であり、当時不治の病だった結核を長年患っていた(このため医科大学卒業後、ドイツ留学を希望していたが断念せざるを得なかった)。加えて1910年(明治43年)8月に東浅羽村を大洪水が襲い、被災者への心労が加わった事も、病状を悪化させた[3]。洪水の翌月(ファンとの別れから1年半後)の1910年9月25日、東浅羽村の自宅で死去。43歳没。

中国で浅羽の訃報を知ったファンは、1917年大正6年)5月に、偽名を使って大日本帝国密入国した。翌1918年(大正7年)に3度目の訪日をし、東浅羽村(後の浅羽町)の村長・村民による金銭的援助もあって、浅羽佐喜太郎への記念碑を常林寺(現在の静岡県袋井市)に建立した。碑は高さ2.7m、幅0.87mの大掛かりな石碑で、以下の文言が漢文で刻まれた。下記を現代仮名遣いに置き換えて紹介する。

 我らは国難のため扶桑(日本)に亡命した。公は我らの志を憐れんで無償で援助して下さった。思うに古今に類なき義侠のお方である。ああ今や公はいない。蒼茫たる天を仰ぎ海を見つめて、我らの気持ちを、どの様に、誰に、訴えたらいいのか。此処にその情を石に刻む。
 豪空タリ古今、義ハ中外ヲ蓋ウ。公ハ施スコト天ノ如ク、我ハ受クルコト海ノ如シ。我ガ志イマダ成ラズ、公ハ我ヲ待タズ。悠々タル哉公ノ心ハ、ソレ億万年。

— 大正七年三月、越南光復会同人

日越国交樹立40周年となった2013年平成25年)に放送された日越合作ドラマ『The Partner 〜愛しき百年の友へ〜』(明治編)で浅羽とのファンの交流が描かれた。

評価編集

ベトナム社会主義共和国トゥアティエン=フエ省フエファン・ボイ・チャウ記念館には、浅羽の没後100年を祈念した日本とベトナムの「友好の碑」がある[4]。浅羽の出身地の静岡県袋井市とベトナムは友好関係を築いて交流している[5]

テレビ編集

著作物編集

日本語訳書編集

  • 潘佩珠 『ヴェトナム亡国史ベトナム語版、獄中記、天か帝か、海外血書』 長岡新次郎川本邦衛編・解説、平凡社〈平凡社東洋文庫〉、1966年。ISBN 4582800734

参考・関連文献編集

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ a b 2人の英雄の物語:日越国交40年を前に/中 短い生涯、浅羽佐喜太郎/静岡毎日jp、2012年11月3日記事
  2. ^ 参考までに、東浅羽村小学校の校長の月給が当時18円だった。
  3. ^ 死後の1912年(明治45年)に、佐喜太郎の遺族が被災者に対して義捐金を送っている。
  4. ^ [1]
  5. ^ [2]「両陛下、ベトナム独立指導者の記念館訪問 日越交流の礎」

外部リンク編集