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浅野 孝已(あさの たかみ、孝巳、孝己とも表記、1951年6月1日 - )は、日本の音楽家ロックバンドゴダイゴ』のギタリスト

浅野 孝已
生誕 (1951-06-01) 1951年6月1日(67歳)
出身地 日本の旗 日本東京都豊島区
ジャンル ロック
職業 ギタリスト
担当楽器 ギター
活動期間 1971年 -
共同作業者 ゴダイゴ
著名使用楽器
ポール・リード・スミス 305
グレコ・GO-III
モズライト

ゴダイゴでギターボーカルアルバムジャケットなどのビジュアル面を担当。ベンチャーズに影響を受ける。弟の浅野良治も一時期ゴダイゴのドラマーだった。

現在は東京を拠点に自らのソロ活動でのライブやセッションに加え、福岡で自ら発掘した若手ユニットGum2を率いて音楽活動を継続中。RKB毎日放送で放送される深夜の5分間情報番組「キャッチ」に出演中である。またその活動では楽器フェアでの講演やデモ演奏なども行っている。

目次

来歴編集

作品編集

プロデュース編集

ゲーム音楽編集

出演編集

TV編集

ラジオ編集

エピソード編集

  • 小学校5年生からギターを始めた。
  • 私立聖橋中学校に入学後、通学路で同じ聖橋学園の高等部である聖橋高校に通う萩原健一と知り合う。萩原健一が所属する「ザ・テンプターズ」のライブを見に行ったことがきっかけで、ザ・テンプターズで使わなくなった楽器をもらって大口広司らとともに「ジュニア・テンプターズ」が結成された。ザ・テンプターズがレギュラー出演していたディスコ等に出演するようになり、浅野は中学2年生にしてセミプロのギタリストとして活動を始めることとなった。
  • 1967年、大口広司がザ・テンプターズに加入したためにジュニア・テンプターズは解散。学校の先輩に「モップス」の星勝がいた関係で「ジュニア・モップス」を結成。浅野は高校を退めて毎夜ディスコに出演するようになり、16歳でプロのギタリストとなった。
  • ミッキー吉野は「ザ・ゴールデン・カップス」時代から「エム」に在籍していた浅野に一目置いており、米国留学から帰国してすぐに浅野をバンドに誘った。浅野はチャコとヘルス・エンジェルに在籍中で、契約期間が2年であったため契約が切れるまで待って欲しいと答え、契約満了後にミッキー吉野グループに合流することとなった。
  • 浅野合流前からミッキー吉野グループはタケカワユキヒデのソロコンサートのバックバンドを務めていた。当初は浅野とは別のギタリストを擁していたが、渋谷公会堂で開催されたツアーの最終日に突如浅野が参加することとなった。浅野はたった1日で20曲を超える演目をすべて習得した。
  • ギターシンセサイザー日本で最初にレコーディングに使用した。グレコなどとのギターなどの開発に参加。ゴダイゴ時代は開発に深く関わったGO-IIIという機種(本人所有のものは市販と仕様が異なるPrototype品)を好んで使っていた。唐草インレイが指板に入っており非常に美しい。ガンダーラなどでは12弦のWネックを使うこともあった。市販されていたGO-IIIは最上位モデルで15万円ほどだったが、大ヒットモデルとなった。現在では製造されていない。自身が持っているGO-IIIの状態がよくないため、程度の良いGO-IIIを探していることを自身のホームページで語っている。また、最近ではPaul Reed Smithの305を所有している。

外部リンク編集