浦上 誠宗(うらがみ なりむね/あきむね)は、播磨国戦国大名浦上政宗の三男。

 
浦上誠宗
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永禄10年5月18日1567年6月24日
別名 清宗、忠宗、景宗、通称:三郎九郎
氏族 浦上氏
父母 父:浦上政宗
兄弟 忠宗清宗誠宗
黒田職隆
久松丸
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父・浦上政宗と兄・清宗の死後、家臣である江見河原源五郎らに室津城主に擁立される。また兄の室になるはずだった黒田職隆の娘[1]を娶り、久松丸を儲けた。

しかし、播磨国内での勢力拡大を恐れた、叔父・浦上宗景の意を奉じた江見河原によって暗殺され、これにより室津の浦上家は没落した。

脚注 編集

  1. ^ 『備前軍記』によると、黒田孝高の娘とするが、年齢が合わないため職隆の娘あるいは養女と推測されている。(橋本政次『姫路城史』)

関連項目 編集