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概要編集

広義にはさいたま市の南部の旧浦和市域(浦和区南区緑区桜区)を指した地域名である。狭義には1889年明治22年)の町村制施行当時の浦和町の地域(浦和宿地区と岸町)を指す。その他、特に浦和区に限定する場合、浦和駅武蔵浦和駅南浦和駅周辺を結んだ周辺を指す場合、本拠地を置く浦和レッドダイヤモンズを指す場合などがある。

地区人口編集

浦和地区(旧浦和市域70.67平方キロメートル)の人口は57万658人(2018年現在)となっている。もっとも人口の多いのは南区の18万8514人で、浦和区、緑区、桜区と続く。なお、さいたま市を構成する旧大宮市域(89.37平方キロメートル)の人口は51万6281人(2018年現在)である。隣接する川口市鳩ヶ谷市(約6万人)を編入した影響もあり、60万3093人(2018年現在)である。

歴史編集

江戸時代に浦和は天領となり、当時の浦和宿の中心地であった常盤町に浦和御殿が設けられた。江戸から三番目の宿場である中山道浦和宿は宿場町として栄えていたが、江戸から近すぎたため市街地はあまり広がらず、もっぱら街道沿いの高台に集住していた。その後明治時代には廃藩置県により浦和に埼玉県庁が置かれ、1883年に埼玉県最古となる浦和駅が開業し、県都の町としてさらなる発展を続けた。1923年関東大震災で東京や横浜は壊滅的被害を受け、多くが浦和に転居し人口が急激に増加した。とくに罹災した文化人の多くが環境の良い鎌倉や浦和へ転居し、「鎌倉文士浦和画家」として有名になった。浦和駅からは出版業界の多く立地する都心へ利便が良く、定住者は多かった。現在も画家は多く居住する。木崎地区、谷田地区を合併し市域を拡大した1934年、市制施行を行った。浦和市になってからも尾間木、三室、六辻、土合、大久保、美園と合併し市域を東西に広げ、人口は五十万人に迫った。埼京線埼玉高速鉄道開業後には武蔵浦和駅浦和美園駅周辺で大規模開発が始まり、現在も市街地を広げている。 2001年4月、大宮市与野市と合併しさいたま市となり、2003年には政令指定都市移行により旧浦和市域からは四つの行政区が誕生する。

浦和の行政上の区分編集

旧浦和市は大宮市与野市岩槻市と合併しさいたま市となり、旧市域は四つの区に分割された。

主な地域特色編集

合併前の旧浦和市から合併後の旧浦和市域を通して様々な面から浦和の特徴を述べる。住宅地の歴史に関しては浦和区#住宅地としてを参照。

世帯所得編集

浦和地区の中でも中心となる浦和区や南区には明治時代より東京都内へ通勤する医師や官僚、社長などが多く居住した。浦和区の年間収入1000万円以上の世帯が占める割合は15.3%[1]で、国内市区町村中13位となっている。

また、浦和区の世帯平均年収は2014年時点で693万円となっており、首都圏では世田谷区などを上回り、港区(759万円)や中央区(705万円)に次ぐ水準となっている[要出典]。市内の住宅地公示地価の上位1位から5位を浦和区内で占めており、1位の高砂は東京23区内を除いて国内で最も住宅地地価の高い地点となっている。

学校編集

 
浦和明の星高等学校

文教都市と謳われる浦和のゆえんとして、伝統ある学校の存在が大きい。 1921年に国内20番目の官立高等学校として旧制 浦和高等学校が設立され、文科・理科よりなる修業年限3年の高等科が設置された。東京帝国大学(東京大学)への進学率は旧制 第一高等学校についで二位の位置を占め、全国各地から優秀な生徒が浦和に集まった。その後旧制高校は新制大学に昇格吸収されて埼玉大学となったが、旧制浦和中学校を前身とした新制埼玉県立浦和高等学校は公立高校で東京大学合格者数が全国1位なることもあった。

以下は地区内にある大学・高等学校・国立中学校の一覧と特色。

スポーツ編集

 
埼玉スタジアム2002

現在のさいたま市役所付近に置かれた埼玉県師範学校(現・埼玉大学教育学部)が1937年の全国中等学校蹴球大会(現・全国高等学校サッカー選手権大会)で初優勝し、初めて優勝旗が箱根の山を越て以来、1950年代から1970年代にかけて浦和高校・浦和西高校・浦和市立高校・浦和南高校が次々と全国制覇し、静岡県や広島県と共にサッカー御三家と称された。1992年には浦和に本拠地を置くプロサッカークラブ浦和レッドダイヤモンズが誕生し、2007年,2017年AFCチャンピオンズリーグで優勝するなどサッカーの街としての地位を守り続けている。本拠地である埼玉スタジアム2002は緑区にあり、日本国内最大の63,700人を収容できるスタジアムで、2002 FIFAワールドカップでは日本代表の初戦や準決勝戦などが行われた。2020年夏季オリンピックではサッカー種目の会場となっている。

野球では浦和学院高等学校の甲子園出場回数は23回(夏13回、春10回)で春夏ともに埼玉県内最多であり、2013年選抜高校野球大会では優勝した。また、日本通運硬式野球部都市対抗野球大会に40回出場しており、優勝経験もある。

その他プロバスケットボールでは桜区のさいたま市記念総合体育館埼玉ブロンコスのホームアリーナとなっている。

浦和の駅編集

 
浦和駅東口

東西を結ぶ路線、南北を結ぶ路線が充実しており、荒川周辺や芝川周辺などの例外を除けば、まんべんなく市街地が広がっている。

道路編集

複数の都市計画道路が完成しており、東西・南北に幹線道路が走る。

南北をつなぐ道路
東西をつなぐ道路

食文化編集

浦和地区は現在も残る別所沼藤右衛門川付近の上谷沼など、沼地や河川が多く、ウナギが多く獲れた。そのため浦和宿周辺ではウナギを蒲焼にしてふるまう店ができ、蒲焼発祥の地となった。現在も江戸時代から中山道にある創業170年以上の老舗である山崎屋、150年の老舗の小島屋など創業100年を超える多くの老舗ウナギ店が軒を連ねている。また、浦和うなこちゃんというゆるキャラやなせたかしによって作成され、さいたま市観光大使に任命されるなど、さいたま市主導でウナギ料理のPRも行っている。浦和駅前や別所沼公園には、うなこちゃんの石像が設置され、待ち合わせスポットにもなっている。手に持つ団扇は季節により取り替えられている。毎年5月には浦和のうなぎをPRする浦和うなぎまつりと称される祭典(イベント)も開催される。

施設・史跡編集

浦和地区にある主な施設を挙げる。学校施設などは上記やさいたま市を参照。 とくに浦和区は埼玉県の行政機関の中枢となっており、様々なインフラ設備の本部、政党本部、文化施設、メディアが密集している。2000年以上の歴史を持つ調神社や、関東地方の真言宗寺院の中核となっていた平安時代建立の玉蔵院など多数の史跡もある。商業施設としては浦和駅西口に伊勢丹浦和店があり、伊勢丹新宿店に次ぐ二番目の売上となっている。東口には浦和パルコがあり、単体ビルではパルコ最大の規模である。今後も浦和駅の駅ビルである浦和アトレや、西口再開発地区の超高層マンションの低層階に商業施設の建設が予定されている。 南区では武蔵浦和周辺の再開発事業で超高層マンションの建設が続き、今後は未開発のケーズデンキ跡地や聖みどり病院周辺の再開発が検討される。桜区では、温浴施設を備えたごみ処理センターである桜環境センター2015年に開業した。緑区では浦和美園駅前に図書館や支所を含む複合施設が完成しており、2020年を目途に順天堂大学付属病院が開院する予定となっている。

浦和区編集

官公庁・行政機関
政党本部
文化施設
病院
銀行
放送局
商工会議所
インフラ
史跡・公園・スポーツ施設
ホテル・商業施設

南区編集

桜区編集

浦和西警察署は中央区にある。

緑区編集

浦和にゆかりのある著名人編集

浦和市#浦和市出身の著名人埼玉県立浦和高等学校の人物一覧も参照。

出身者

居住・一時居住など

浦和が登場する作品編集

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ 2013年(平成25年)住宅・土地統計調査による。分母からは収入階層不明の世帯を除く。

参考文献編集

  • 浦和の歴史と文化を知る本(1982年)
  • さいたま市の歴史と文化を知る本(2014年)
  • 浦和市史 第4巻 〔2〕近代 (1979年)