浦添城
日本・沖縄県のグスク
概要編集
土台は隆起珊瑚礁が長さ約400メートル続いている断崖の上に築かれた。舜天王の時代に創建され、12世紀-15世紀初頭にかけて舜天、英祖、察度の3王朝10代にわたって居城した所との伝承をもつが史実かどうかについては確証を欠いている。規模は、東西約380メートル、南北約60ないし80メートルで、北は急崖をなしているが、南は緩斜面となっている。
歴史編集
城内の建物は再三にわたり改築されているが、最後のものは1609年、薩摩軍の侵攻に遭い焼失した。[要検証 ]
その防衛に適した地形から沖縄戦では首里周辺の重要拠点として重視された。日本軍は防衛拠点に位置づけ死守に拘ったため、米軍との間で前後11回にわたる激しい争奪戦、攻防戦が約3週間の間繰り広げられた。陣地攻略を指揮していた米軍第24軍団長のホッジ少将は「(この砦を)一寸刻みに爆破していく以外に、日本軍を追い出す方法は無いと思う」と述べたとされる。
参考文献編集
『観光と旅47 郷土資料事典 沖縄県』人文社