涌井秀章

日本のプロ野球選手

涌井 秀章(わくい ひであき、1986年6月21日 - )は、千葉県松戸市出身のプロ野球選手投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。

涌井 秀章
東北楽天ゴールデンイーグルス #16
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基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県松戸市
生年月日 (1986-06-21) 1986年6月21日(34歳)
身長
体重
185 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 ドラフト1巡目
初出場 2005年3月29日
年俸 1億6,000万円(2021年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2008年
WBC 2009年2013年
獲得メダル
日本の旗 日本
ワールド・ベースボール・クラシック
2009 野球
2013 野球

NPB史上唯一の3球団での最多勝利受賞者。

妻はモデルの押切もえ[2]

経歴編集

プロ入り前編集

松戸市立寒風台小学校時代はソフトボールをしており(寒風台ソフトボールチームに所属)、野球は松戸市立第六中学校に進学後のシニアリーグ(松戸シニア)で始めた。その後横浜高等学校に進学。

高校入学時から松坂大輔二世と呼ばれていた。高校2年春に第75回選抜高等学校野球大会に1学年上のエース成瀬善久らと共に出場。準決勝までは成瀬の中継ぎとして登板。決勝戦では先発したが、広陵高等学校の打線につかまり3-15と大敗した。

高校2年夏の第85回全国高等学校野球選手権大会神奈川大会では3回戦の港北高等学校戦で成瀬に代わり先発を務めたが、ノーシード高相手にリードを許す展開となり成瀬の休養に失敗[3]。9回逆転で辛くも勝ち上がる。チームは決勝進出を果たし、3年生エース給前信吾、2年生の田澤純一を擁する横浜商科大学高等学校と対戦するが、肩を痛めていた成瀬が1回で降板し、2番手として登板したものの失点を重ね、打線も奮わず敗れ春夏連続出場を逃した。

高校3年夏には第86回全国高等学校野球選手権大会に出場。大会屈指の好投手として注目を集めた。1回戦の報徳学園高等学校戦では9回2失点の完投勝利。打撃でも片山博視から本塁打を放つなど、2安打を記録した[4]。2回戦の京都外大西高等学校戦では延長戦にもつれ込んだが完封勝利した[5]。3回戦の明徳義塾戦は5点を失うも完投勝利(自責点4)[6]。準々決勝の駒大苫小牧戦では7回6失点(自責点5)を喫しチームも1-6で敗れた[7]

第59回国民体育大会決勝戦では東北高等学校相手に14奪三振を記録し完投勝利した[8]

2004年ドラフト西武ライオンズから、単独で1巡目指名を受けた。背番号16

西武時代編集

2005年は開幕一軍入りを果たす。3月29日の北海道日本ハムファイターズ戦でプロ初登板初先発を果たしたが、髙橋信二に満塁本塁打を打たれるなど、2回1/3を7失点とKOされた。6月18日、セ・パ交流戦最終戦の対ヤクルトスワローズ戦でプロ初勝利をマークしたが、勝ち星はこの1勝のみに終わる。同年、ファームの優秀選手賞を受賞した。

2006年は、先発ローテーションに定着し、高卒ルーキーの炭谷銀仁朗と共に10代でバッテリーを組み「10代バッテリー」としてマスコミの間で話題となった[9]。3月26日のオリックス・バファローズ戦にて炭谷とのコンビで勝利投手となり、また4月23日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では同じく炭谷とのバッテリーで自身初の完投および完封勝利を記録した。10代バッテリーでの勝利は1989年横浜大洋ホエールズ石井忠徳谷繁元信以来17年ぶりだった。6月はリーグ1位の防御率、3勝1敗で初の月間MVPを受賞。監督推薦でオールスターゲーム初出場。8月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、「西武ライオンズ発足以来パ・リーグ公式戦通算2000勝目」の勝利投手となった。これは当初西武球団広報や通信社の記者にも気付かれておらず、インターネットのBBSに投稿されたファンの情報によって初めて明らかになったことが文化放送ライオンズナイター中川充四郎公式サイトで公表された[要出典]。この年のオフには怪我で辞退した福留孝介に替わり日米野球に選出。1イニングの登板ながら好投を見せ、ジャーメイン・ダイからは「いずれメジャーで通用する素晴らしい投手だった」とコメントされた。

 
西武時代(2006年)

2007年はデビュー時の速球中心の投球から打たせて取る投球にモデルチェンジしたことで勝ち星を積み重ねた。4月3日の対ソフトバンク戦の5回表には、プロ野球史上12人目となる1イニング4奪三振を達成。最終的に17勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得し、両リーグ最多の213投球回と199被安打を記録。完投数11はリーグ2位だった。12月の北京五輪出場をかけたアジア予選決勝リーグ日本代表メンバーに、ダルビッシュ有と並び最年少で選出され、初戦の先発を任され、フィリピンを相手に6回1安打無失点の好投を見せた。この試合の先発を告げるため監督の星野仙一の部屋に呼ばれた際、涌井本人はてっきり代表落選の知らせだと思いこみ「行きたくありません」と駄々をこねたという[10]。シーズンオフの契約更改の際、球団側から背番号18への変更を打診されるも固辞。「投手のタイトルを全て獲るくらいでないと変えられない」という背番号18の重さと「西武になってから16番を付けたのは3人(松沼雅之潮崎哲也・涌井)だけ」と西武投手陣の一角を担った背番号16の先輩に対する敬意を理由に挙げている[11]

2008年は、3月20日の対オリックス戦にて初の開幕投手を務めた。シーズン序盤は防御率1点台と比較的好調でチームは勝利していたが自身は勝利に恵まれず、開幕から4試合目の4月10日のロッテ戦まで勝ちがつかなかった。この試合で決勝打を打った細川亨は「今日は涌井のためだけに打った」とそれまで中々勝ちがつかなかった涌井を労った。前年に最多勝を獲得したが、技巧的なピッチングが「若々しくない」と評されることがあり球速を上げるため春から調整法を変えていた。夏場までに球速アップを達成するのがめどであったが、効果が表れたのはポストシーズン以降であり、中盤以降はやや低調な成績が続いた。8月には北京オリンピック野球日本代表に選出され、台湾戦と中国戦の先発を任されて2勝を挙げた。韓国戦の中継ぎとしても登板し、この大会の日本代表投手の中で最多イニング登板となった。なお韓国戦で涌井がリリーフ登板した場面は、当初の順番ではダルビッシュが中継ぎとして登板する予定で、涌井は一度肩をつくっていたが休んでいた。急遽予定が変更されたがブルペンの電話が故障していてベンチの指令が伝わらず、涌井は準備不足の状態でマウンドにあがることになったと後に大野豊が明かした[12]。帰国後は国際球とNPB球との違いに苦しむなど与四死球率は前年の2.45から3.07と悪化。11敗を喫したが、3年連続となる2桁勝利を達成し、チームはリーグ優勝を飾った。

クライマックスシリーズ第2ステージでは第1戦と第5戦に先発、計15回を投げ1失点、2勝を挙げた。第5戦は7回二死まで走者を許さず、最終的には3安打無四球完封勝利で胴上げ投手となり、シリーズのMVPに輝く。当初はシーズン後半不調であった涌井を1戦目に起用することには賛否両論あったが、「大舞台に強い」という理由で監督の渡辺久信が登板を決断し、期待に応える形となった[13]読売ジャイアンツとの日本シリーズでは第1戦と第5戦に先発。第1戦では8回を投げ1安打1失点に抑え巨人先発の上原浩治に投げ勝ちチームに勝利を呼び込んだ。第5戦も上原との投げ合いになり上原は3回2失点で降板したが、涌井は6回まで1失点に抑えるも7回に突如乱れ4失点しこの回途中で降板し、チームも敗れ日本一に王手をかけられる。しかし、第7戦に5回から3番手として中継ぎで登板すると2イニングをパーフェクトに抑え第5戦のリベンジに成功する。8回にチームが逆転しそのまま日本一を達成。この試合で西武は先発西口文也以外の投手は涌井も含めて1人の走者も出さなかった。アジアシリーズでは決勝の統一ライオンズ戦に先発し6回2/3を無失点に抑え優勝に貢献した。この年もシーズンオフに球団から背番号18を打診され、悩みぬいた末に背番号を変更を決意。それまでの背番号16は石井一久に受け継がれた。これは当時2009年を最後に石井が引退するという噂があったため「最後にカズさんに16をつけて欲しかった」と週刊現代[いつ?]のインタビューで語っている。

2009年開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表に選出された。同大会では3試合に登板し防御率2.70を記録した[14]。シーズンでは4月3日の開幕戦で2年連続2回目の開幕投手をつとめる。開幕投手はアメリカ遠征中に渡辺久信から直接電話を受け打診された。このため3月26日夜にWBCから帰国し、翌27日のデーゲームのオープン戦に先発して調整するというハードスケジュールであった。開幕から安定した投球を続け、7月には4試合4勝0敗防御率1.64の成績で月間MVPに選出された。前年からの球速アップへの取り組みや筋力トレーニングを積極的に取り入れたこともあり球威が上がって奪三振数が増え、これまでの技巧派のイメージから一転して伸びのあるストレート主体の投球に切り替わった。しかし、抑えの切り札であったアレックス・グラマンが5月に左肩関節炎で離脱し、チームの中継ぎ陣が不安定になり、先発した試合では完投を余儀なくされるようになる。さらに8月には主砲の中村剛也が怪我で一時的に離脱してチームの得点力が低下し、8月から9月にかけては5試合連続9回まで投げたが2回しか勝ちがつかずうち2度は同点だったため完投も記録されなかった。球数が非常に多くなり、160球以上投げた試合が3試合、1試合あたりの球数が132球、1イニングあたり16.8球を投げた。年間で3555球を投げ、2007年の3385球に続いて両リーグトップだった。最終的に16勝6敗で2年ぶりの最多勝を獲得し、4年連続の2桁勝利を達成した。また投球回は12球団でただ1人200イニングを超え、完投11は両リーグ単独最多、完封4は両リーグ最多タイであった。防御率2.30、奪三振数199はリーグ2位といずれも自己最高であり、両リーグで唯1人、全ての選考基準を満たしたことで、2009年度の沢村賞を受賞した。オフに出身地である松戸市の市民栄誉賞を受賞し、通算勝利数に応じて市に寄付をすることが発表された。

2010年は、3年連続3回目の開幕投手を務める。この試合は千葉ロッテマリーンズの横浜高校時代の先輩、成瀬善久との投げ合いになり競り勝った。しかしその後は不安定な投球が続き、さらに4月9日の対ロッテ戦の前日の練習中に味方打者の打球が後頭部に直撃し病院で検査を受けるというアクシデントに見舞われた。それでも5月以降は調子を持ち直し、交流戦では4勝を挙げる。この年ソフトバンクの和田毅に継ぐ交流戦通算17勝を挙げた。5月15日の横浜ベイスターズ戦では4打数3安打4打点の活躍を見せ、プロ入り後及びパ・リーグの投手として交流戦史上初の猛打賞を獲得した[15]。その後は石井一久岸孝之が相次いで負傷離脱したため、中継ぎ温存のために毎試合完投することを前提に投げることを余儀なくされた。しかし、この夏の記録的な猛暑で登板中に脱水症状を起こし脚をつって降板するなど体力を消耗し、途中までは好投しても試合後半に突発的に打ち込まれて大量失点するケースが目立った。それでも前半戦の活躍によりシーズン14勝を挙げた。シーズンオフには、契約更改が難航した。涌井と球団双方が、2011年1月12日日本プロ野球組織年俸調停を申請した[16]。球団提示額は現状維持の2億2,000万円、涌井の希望額は5,000万円増の2億7,000万円であり、2011年1月28日に出された調停結果は2億5,300万円と概ね涌井の主張が認められる形となった[16]。調停書では、球団側の現状維持主張が「合理性がない」と判断され、エースとしての活躍、とりわけ前半の好成績が評価された[16]

2011年は、4年連続4度目の開幕投手を務める。日本ハムのダルビッシュを相手に勝ち星を挙げる上々の滑り出しで6月半ばまでは防御率1点台で一時はリーグトップに立っていたが、開幕前から肘痛に悩まされ、5月には登録を抹消される。2年目でローテーション入りしてから、日程の都合以外で抹消されたのは初めてのことであった。復帰後も解消しない肘痛と6月の巨人戦で打球を当てた事による足痛で大幅にフォームを崩し、7月以降成績を落とし5年続いていた2桁勝利が途絶えた(9勝12敗)。シーズン終了後、5月の抹消時に右肘に遊離軟骨が見つかっていたことが発表され、一時は手術も検討したが保存療法で回復を目指すことを選択した。

 
西武時代(2012年)

2012年は、5年連続5度目の開幕投手を務めたが、開幕から3連敗を喫して4月16日に登録抹消となった。その後、抑えを務めていたエンリケ・ゴンザレスの不調により、プロ入り初の抑えで起用[17] され5月4日に復帰、同日の対ロッテ戦(西武ドーム)で1点リードされた9回に登板して打者3人を3者凡退に抑え[18]、5月13日の対日本ハム戦で1イニングを打者5人、1安打1四球ながら無失点に抑えてプロ入り初セーブをあげた[19]。ところが、5月18日発売の写真週刊誌『フライデー』において女性問題が発覚。24歳のホステスがベッド上のツーショット写真も公開し、肉体関係を告白。翌日「ファンの皆さんに心配をおかけし、申し訳ないです」と謝罪したが、22日に球団は品格を問題視して、涌井の出場選手登録を無期限で抹消とすることを発表した[20]。飯田則昭専務はこの件について「一度、考える時間と場所を取ってもらう。プロ野球選手としてどう振る舞っていくべきか」と異例の降格理由を説明した。6月16日に球団が厳重注意の上、処分解除を発表した。同月22日に一軍復帰。それ以降はシーズン終了まで抑えとして活躍し、リーグ2位の30セーブを挙げた。オフの11月6日に「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表に選出された[21]。12月4日に第3回WBC日本代表候補選手34人に選出された[22]

2013年開幕前の2月20日に第3回WBC日本代表に選出され[23]、2大会連続2度目の選出となった。しかし、WBC宮崎合宿中にも関わらず、2月20日に宮崎市内の繁華街で飲み歩いた末、女性をタクシーで“お持ち帰り”する様子が写真週刊誌に掲載されれたのだった。独身の涌井にとって特段咎められるような行動ではないとの声もあったが、去年掲載されたばかりにコンプライアンスを重んじる親会社の意向もあり厳しく注意を受けるべきとの声もあった。この件で、球団から厳重注意を受けた[24]。シーズンでは、開幕から前年の抑えから先発に復帰したが精彩を欠き、シーズン途中から中継ぎと先発復帰を繰り返すことになる。シーズン中盤以降は前年に続き中継ぎに専念し、終盤には抑えに定着。9月25日の対楽天戦から10試合連続登板し、稲尾和久の持つ球団記録を塗り替えた。10月1日からは6日連続でセーブを記録し、クライマックスシリーズ進出に貢献した[25]。CSファーストステージ第3戦では1点ビハインドの8回表に登板するが、角中勝也にダメ押しとなる2点適時三塁打を浴びるなど一死も取れず降板した。結果的にチームはファーストステージで敗退し、これが西武での最後の登板となった。シーズンオフに国内FA権を行使した。

ロッテ時代編集

 
ロッテ時代(2014年)

2013年11月19日に千葉ロッテマリーンズと初交渉し、12月18日に球団は契約合意したと発表した[26]。12月25日に入団会見を行い、背番号は西武入団時と同じ16と発表された[27]。監督の伊東勤(西武時代の監督でもある)は「前年の西武では中途半端な起用させていたからロッテに来れば再生できると思って球団に獲得をお願いした。」と後に明かしている[28]

2014年、4月15日の対埼玉西武ライオンズ3回戦(埼玉県営大宮公園野球場)に今季3度目となる先発登板で、7回2失点の好投をみせ、勝利投手となり、移籍後初勝利をあげた。また、古巣である西武からのこの勝利で、史上13人目となる全球団勝利を達成。2005年に交流戦が開始されて以降にこの記録を達成した10人のうち、所属球団が最小の2球団で達成したのは、久保康友石井一久杉内俊哉に次ぐ史上4人目。一方のリーグだけに所属して達成したのは、涌井が史上初となる[29]。前半は中々勝つことができない試合が続き、二軍落ちもあったが後半に巻き返し、最終的には8勝12敗と負け越すも、3年ぶりに規定投球回に到達した。

2015年、開幕戦(福岡ソフトバンクホークス戦)に先発し、6回無失点で勝利投手となる[30]。初回から再三ピンチを迎えるが、内川聖一を2度併殺に打ち取るなど要所を締めた。4月4日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦ではともに2年ぶり、ロッテ移籍後初となる完投勝利(9回1失点)、無四死球完投を記録した[31]。涌井は比較的球数が多くなる傾向にあるが、この試合の投球数は僅かに105球であった。7月24日の楽天戦では、7回2失点の好投でプロ通算100勝目の白星を手にした。その後も順調に勝ち星を重ねていき、8月14日のオリックス・バファローズ戦(ほっともっとフィールド神戸)で7回2失点の好投で2010年以来5年ぶりの2桁勝利を挙げた[32]。シーズン最終戦となった10月6日の楽天イーグルス戦では自ら志願して登板し、延長10回・137球を投げて勝利投手となり、日本ハム大谷翔平とともに西武時代の2009年以来、6年ぶり自身3度目、ロッテ移籍後初の最多勝を獲得した[33]。また、チームの2015年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ出場に大きく貢献した。CSファーストステージ第3戦で先発投手を任され、6回1/3を投げて1失点、143球の熱投で勝利投手となった。初回、日本ハムの4番中田翔に先制打を許す苦しい展開。3回にも無死満塁という絶体絶命の大ピンチを迎えるが、近藤健介を投ゴロ、レアードを空振り三振、矢野謙次をニ飛に抑えた。その後も得点を許さず、チームのクライマックスシリーズ・ファイナルステージ進出にも貢献することとなった。レギュラーシーズン成績は、28試合に先発登板し、15勝9敗、防御率3.39、QS(クオリティスタート)率は75.0%だった。この年日本一のソフトバンクとの対戦成績は5勝3敗、防御率2.60であり、ホークスキラーぶりを存分に発揮した。また自身にとって、5年ぶり3回目のゴールデングラブ賞も獲得した。

2016年は、2年連続7度目の開幕投手を務めた。北海道日本ハムファイターズ戦に登板、7回無失点の好投で大谷翔平に投げ勝ち、開幕戦を白星で飾った。1回表のピンチでは、日本ハムの主砲中田翔を146km/hのストレートで見逃し三振に仕留めるなど、直球に力があった。この勝利で、開幕戦通算5勝2敗となり、現役投手では最多の開幕戦勝利数となった。シーズン序盤は好調で、4月終了時点で5勝を挙げた。6月17日の巨人戦では菅野智之と投げ合い、9回1失点の投球内容で完投勝利を収めた。2回に先制点を奪われたが、その後は巨人打線を寄せ付けなかった。7月24日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦でも、9回2失点で完投勝利を挙げた。2回に5連打を浴びるなど、9回までに11本の安打を打たれたものの、粘り強い投球を披露。ロッテ打線は相手エースの則本昂大の力強い投球に終盤まで手こずったが、7回に主砲アルフレド・デスパイネ鈴木大地のソロホームラン2本で逆転。3-2で辛くも逃げ切った。この年は打線の援護があまりなく、5月には2試合連続完投負け (埼玉西武ライオンズ戦9回2失点、ソフトバンク戦9回1失点) を記録した。8月以後は1勝止まりに終わるも、最終的に2年連続の2桁勝利(10勝7敗)に到達し、防御率は3.01(リーグ7位)へと改善させた。QS率は73.1%と前年に比べてやや下がったが、2年連続で70%を超えた。特に完投数5はリーグ1位であり、ゴールデングラブ賞も2年連続で獲得した。また、3・4月の月間MVPも獲得した。この涌井の活躍などもあり、チームは2年連続でクライマックスシリーズに進出した。涌井は、CSファーストステージ第1戦に先発登板した。ソフトバンク相手に7回を投げて、被安打6、失点2と好投。エースとしての役割を十分に果たした。しかし、後続の投手が打たれ、ロッテはその試合で敗れた。シーズン終了後の11月2日、モデルの押切もえとの結婚を発表した[2]

2017年はキャンプイン直前の1月25日に、この年から3年間の契約延長(2019年シーズンまで。推定年俸2億5000万円)を発表[34][注 1]。契約延長に際して、本人は「長いことロッテでやって欲しいと言われ、自分でもロッテでやりたい(と思った)」などと述べており、球団側は「体が頑丈で、ローテーションを外れたことがない。これだけ頼りになる人はいない。長く(ロッテで)やってほしいというのは一致している」とコメントしている[34]。キャリアハイを上回る「18勝以上」を目標に掲げて、エース級として期待される状況でキャンプインした[35] が、ローテーションは守ったものの5勝11敗に終わった。オフの11月8日にメジャー移籍を条件に[36]、FA権を行使した[37]

2018年に入っても獲得球団はなく、1月29日にメジャーを断念しロッテに残留することを表明した[38]。22試合に登板したが、7勝9敗と2年連続で負け越した。

2019年から自ら球団に志願し、背番号を18に変更した[39]。4月16日の対ソフトバンク戦で2010年7月16日以来の無四球完封勝利を収めた[40]。5月8日の対西武戦で3勝目をあげるが、本人の投球内容の不調に加え、味方打線の援護に恵まれない試合が続き、以降は1勝もできずにシーズンを終えた[41]。ロッテ移籍後では初めて規定投球回に到達できず、3勝7敗と3年連続で負け越した。

楽天時代編集

2019年12月19日に金銭トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍した[42]。背番号は16で、12月23日に公示された。

2020年も開幕から先発ローテーション入り。シーズン当初から前年とは打って変わって打線の援護にも恵まれ、6・7月度は6試合に登板して5勝0敗、防御率2.89、奪三振率9.88と好成績を収め[41][43]、4年ぶりに月間MVPに選出された[44]。パ・リーグ3球団での受賞は涌井が初[45]。8月5日の対ソフトバンク戦では9回1アウトまで無安打無得点の快投を披露。川島慶三にセンター前ヒットを打たれてノーヒットノーランは逃したが、その1安打のみで移籍後初の完封勝利をあげ、自身初の開幕6連勝を記録した[46]。同月26日の対ロッテ戦で7回3安打2失点で敗戦投手になるまで[47]開幕からの連勝を8まで伸ばし、これは球団では2013年の田中将大(24連勝)以来2人目の快挙だった[48]。この試合以降はやや成績を落としながらも、1年間を通してローテーションを守り抜き、11勝4敗、防御率3.60でシーズンを終え、千賀滉大石川柊太と並んで2015年以来の最多勝利のタイトルを獲得。3球団での最多勝利獲得はNPB史上初である[49]

2021年は10度目となる開幕投手を務め、7回4安打無失点で勝利。史上初となる3球団での開幕戦先発勝利投手となった[50]

選手としての特徴編集

投球フォームはスリークォーター。球持ちが良くバランスの取れたフォームからキレの良い速球と多彩な変化球を投げる本格派右腕[51]。豊富な走り込み量によって培われた強靭な足腰を持ち、9回でも140km/hを越える球速を計測できるスタミナを備える[52]江夏豊は「フォームのバランスの良さでは涌井は今の日本球界において3指に入るだろう。他の投手と比べても、打者寄りでボールを離しているように見える。(中略)下半身の粘りがなければあれだけ長くボールを持った投球というのは難しいものだ」と述べている[53]

ストレートの最速は151km/h[54]。1試合での平均は142km/h程[55]。2012年にクローザーとして起用された際の平均球速は145km/hを記録した[56]

松沼雅之によると「涌井投手のフォームの特徴は、ロスがなく全ての力を一点に、つまりボールに伝えて投げていること。そのため実際のボールのスピードよりバッターには速く見える」という[57]

西武時代の投手コーチだった潮崎哲也は「先発して初回から普通に投げている時は(中略)力の入れ具合という部分で余裕を持って投げている。その代わりここ一番という所では全力で勝負できます」と証言している[58]

変化球は縦横のスライダー、120km/h前後のカーブ、100km/h前後のスローカーブ、フォークチェンジアップシュートカットボールを投げ[59]、潮崎からは「どの球種でもストライクが取れ、勝負できるため、バッターからは絞り辛い」と評されているが、反面「空振りを取れる球がない」とも指摘されている[58]。2010年は前年に被打率.115を記録していた[59] フォークが変化しなくなったことに苦しみ、渡辺久信は「2007年まで決め球だったフォークの復活が今後の課題」と述べた[60]。また、楽天に移籍した2020年からは、投手コーチ・小山伸一郎から教わって新たにシンカーを習得しており[61]、「こやシン」という通称をつけている[62][63]

潮崎は特徴のひとつとして試合中の修正力、アレンジ力に優れていることを挙げている[58]。江夏も「その日の調子を早い段階で読み取り、投球の軸に調子の良い球を据える。それを自分の判断で出来るというか勝負のポイントで使っている涌井の姿をよく見る、感心するほどだ」と評している[53]

フィールディングも上手く[64]、バントの打球を素早く処理し、一塁走者を二塁で封殺することも多い[64]牽制の技術にも秀でており、2011年には両リーグ最多の5度の牽制アウトを記録した[65]。2018年現在、ゴールデングラブ賞を4回受賞している。

人物編集

毎年、独自練習のメニューを作成している大迫幸一は「フィジカル面で彼(涌井)の陰の努力は半端ではない」と舌を巻く。特に走り込み量の多さは球界有数で、下半身が大きくなり、オフに買ったジーンズの膝が座ったと同時に破けたこともある。潮崎哲也も「野球に対する取り組みは真剣で真面目、自分の置かれている立場を理解して、周りにも良い影響を与えている」と高く評価している[58]

落合博満は涌井の印象を「ポーカーフェイスでマウンドに立ち、1人で投げきった。ストライクをボールと判定されても顔には出さず、自分の中にしまい込んでいた。最近は喜怒哀楽を表に出す選手が多い。その中で、まだこういう選手がいたのかと、ちょっと嬉しかった」と書いている[66]。プレー中だけでなく写真撮影で笑顔になることも苦手で、雑誌の取材は苦労するという[67]。しかしとても涙もろい一面があり、石井貴の引退試合、赤田将吾のトレード発表の際には、人目もはばからず号泣する姿が報道された[68]

漫画やゲームが大好きで、帆足和幸と「ONE PIECE」を結成[69] し、『ONE PIECE』好きが高じて『漫道コバヤシ』「映画ONE PIECE FILM Z公開記念特番」(2012年12月14日)にも出演した。さらに西武時代には、チームで流行していた『ボンバーマン』は一番の腕前であった。炭谷銀仁朗は「涌井さんが一番強いんで、みんなチームを組みたがるんです」と語っている。銀仁朗とゲームで親交を深めた結果、最優秀バッテリー賞を受賞した[70]。苦手な取材も、終わると笑顔になるという[67]。試合中と普段のギャップの激しさから、文化放送ライオンズナイターでは「ピッチングは大人、言動は子供」と評され、潮崎からも「まだまだ、おこちゃまなところがある」と言われる。チームメートは涌井を「不思議ちゃん」と評し[71]、雑誌では「ツンデレ系」とも評された[67]

「エース」と呼ばれることに違和感を持っており「(エースと呼ばれることに)拘りはありません。二番手・三番手とか順番を付けるのもいらないと思います。マウンドにあがった投手全員で勝ちにいくのが、強いチームだと思う」という持論を持っている[72]

幼少時は偏食だったが現在は野菜中心の食生活を心がける。キャンプ中に鳩サブレーばかり食べていたことを帆足から暴露された[58]

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































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I
P
2005 西武 13 13 0 0 0 1 6 0 0 .143 253 55.1 62 11 23 0 4 57 2 0 45 45 7.32 1.54
2006 26 26 8 1 2 12 8 0 0 .600 734 178.0 161 16 53 0 8 136 7 1 79 64 3.24 1.20
2007 28 28 11 1 3 17 10 0 0 .630 877 213.0 199 14 50 3 8 141 7 0 71 66 2.79 1.17
2008 25 25 5 0 1 10 11 0 0 .476 738 173.0 173 16 51 4 8 122 11 0 80 75 3.90 1.29
2009 27 27 11 4 0 16 6 0 0 .727 863 211.2 162 12 76 2 9 199 5 0 57 54 2.30 1.12
2010 27 27 6 2 1 14 8 0 0 .636 828 196.1 191 21 54 4 9 154 6 0 85 80 3.67 1.25
2011 26 26 5 1 2 9 12 0 0 .429 744 178.1 184 9 41 0 8 108 7 0 71 58 2.93 1.26
2012 55 3 0 0 0 1 5 30 3 .167 271 63.0 66 1 22 1 2 40 1 0 27 26 3.71 1.40
2013 45 11 1 0 1 5 7 7 13 .417 398 92.1 89 4 29 1 8 79 5 0 51 40 3.90 1.28
2014 ロッテ 26 26 1 0 0 8 12 0 0 .400 708 164.2 158 9 63 1 10 116 7 1 81 77 4.21 1.34
2015 28 28 1 0 1 15 9 0 0 .625 786 188.2 178 11 57 0 8 117 6 0 79 71 3.39 1.25
2016 26 26 5 0 1 10 7 0 0 .588 793 188.2 195 15 48 0 4 118 1 0 73 63 3.01 1.29
2017 25 25 1 1 0 5 11 0 0 .313 675 158.0 156 20 53 0 7 115 6 0 74 70 3.99 1.32
2018 22 22 1 1 0 7 9 0 0 .438 629 150.2 155 16 43 4 2 99 3 0 65 62 3.70 1.31
2019 18 17 2 1 1 3 7 0 0 .300 462 104.0 121 14 27 1 6 87 3 0 58 52 4.50 1.42
2020 楽天 20 20 1 1 0 11 4 0 0 .733 529 130.0 110 17 38 1 3 110 3 0 53 52 3.60 1.14
通算:16年 437 350 59 13 13 144 132 37 16 .522 10288 2445.2 2360 206 728 22 104 1798 80 2 1049 955 3.51 1.26
  • 2020年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別投手(先発)成績所属リーグ内順位編集





















2005 19 パ・リーグ - - - - - - -
2006 20 3位 5位 5位 6位 4位 6位 -
2007 21 2位 4位 1位 6位 1位 6位 8位
2008 22 5位 - 7位 - 5位 8位 -
2009 23 1位 1位 1位 2位 1位 2位 2位
2010 24 4位 3位 3位 7位 4位 6位 10位
2011 25 5位 4位 - - 5位 - -
2012 26 - - - - - - -
2013 27 - - - - - - -
2014 28 6位 - - - 5位 - -
2015 29 - - 1位 3位 2位 10位 8位
2016 30 1位 - 5位 - 2位 9位 7位
2017 31 - 3位 - - 8位 - -
2018 32 10位 4位 5位 3位 8位 10位 7位
2019 33 1位 2位 - - - - -
2020 34 4位 1位 1位 2位 3位 4位 4位
  • -は10位未満

年度別守備成績編集



投手












2005 西武 13 1 8 0 0 1.000
2006 26 10 30 3 2 .930
2007 28 12 36 4 3 .923
2008 25 13 41 2 3 .964
2009 27 12 34 3 4 .939
2010 27 12 33 0 4 1.000
2011 26 10 48 4 2 .935
2012 55 2 9 0 0 1.000
2013 45 5 26 3 2 .912
2014 ロッテ 26 12 31 2 1 .956
2015 28 13 27 1 1 .976
2016 26 9 44 1 3 .981
2017 25 9 33 0 1 1.000
2018 22 8 30 1 3 .974
2019 18 2 14 0 1 1.000
2020 楽天 20 8 21 1 1 .967
通算 437 138 465 25 31 .960

タイトル編集

  • 最多勝利:4回(2007年、2009年、2015年、2020年)※パ・リーグタイ記録(他は稲尾和久野茂英雄)。3球団(西武、ロッテ、楽天)、3つの年代(2000年代、2010年代、2020年代)での受賞は史上初。

表彰編集

記録編集

投手記録
打撃記録
節目の記録
その他の記録
  • 1イニング4奪三振:2007年4月3日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(グッドウィルドーム)、6回表に山崎勝己本間満(振り逃げ)・城所龍磨多村仁から ※史上12人目(13度目)
  • 開幕投手:10回(2008年 - 2012年、2015年 - 2018年、2021年)
  • 全員奪三振:2009年4月24日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(西武ドーム) ※史上4人目(毎回奪三振と合わせての達成は史上初)
  • 10試合連続登板:2013年9月25日 - 10月6日 ※西武球団記録
  • 全球団勝利:2014年4月15日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(埼玉県営大宮公園野球場)、7回2失点 ※史上13人目
  • 3球団での最多勝(07,09年西武、15年ロッテ、20年楽天) ※プロ野球史上初
  • 開幕戦勝利数:6 ※NPB歴代3位タイ[50]
  • 1試合6被本塁打:2017年5月12日、対北海道日本ハムファイターズ7回戦(東京ドーム) ※パ・リーグ記録[76]
  • オールスターゲーム出場:6回(2006年、2007年、2009年、2010年、2015年、2016年)
  • 開幕4戦4勝:3回(2007年、2016年、2020年)[77] ※プロ野球史上初
  • 3球団での開幕戦先発勝利投手[50] ※プロ野球史上初

背番号編集

  • 16 (2005年 - 2008年、2014年 - 2018年、2020年 - )
  • 18 (2009年 - 2013年、2019年)

登場曲編集

代表歴編集

関連情報編集

出演編集

テレビ番組

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ この年のオフに自身2回目のFA権の取得が見込まれていたことから、前年のオフから契約延長の成立の可能性が注目されていた。
  2. ^ 相方の銀仁朗の21歳で開幕を迎えたシーズンの受賞は1999年22歳で開幕を迎えたシーズンに受賞の城島健司をしのぎ捕手として最年少記録。自身は22歳で開幕を迎えバッテリー平均年齢21.5歳も1995年19歳で開幕を迎えた平井正史及び26歳で開幕を迎えた中嶋聡の平均年齢22.5歳をしのぎ最年少記録。

出典編集

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  16. ^ a b c 2011年1月29日の朝日新聞朝刊23面
  17. ^ レギュラーシーズン公式戦ではリリーフでの登板はないが、2008年の日本シリーズ第7戦でリリーフ登板したことがある。
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関連項目編集

外部リンク編集