淀屋橋

土佐堀川に架かる橋
国道25号標識

淀屋橋(よどやばし)は、大阪府大阪市を流れる土佐堀川に架かる、御堂筋国道25号)の。または、橋梁及び淀屋橋駅周辺のの地域名。なお、「淀屋橋」という行政上の正式な地名は存在せず、一般的には橋の架かる北区中之島中央区北浜付近の地域を指しており、周辺は大阪の代表的なビジネス街金融街中心業務地区、CBD)となっている。

淀屋橋 (川上から)

橋梁は大阪市北区中之島1丁目と中央区北浜3丁目を結び、国の重要文化財に指定されている。

橋梁編集

橋の南西に居を構えていた江戸時代の豪商・淀屋が米市の利便のために架橋したのが最初で、橋名もこれに由来する。米市は橋の南詰の路上で行われていたが、1697年元禄10年)に堂島へ移った(後の堂島米市場)。1911年に幅員12の鋼鈑桁橋に架け替えられ、1912年大阪市電堺筋線が開通した。

現在の橋は都市計画学者の關一第7代大阪市長による御堂筋拡幅工事の一環として、1935年に完成した鉄筋コンクリート造りの3径間のアーチ橋[1][2]、橋長53.5メートル、幅員36.5メートル(20間)。淀屋橋と対になる、堂島川に架かる御堂筋の橋である大江橋も同年完成で、両橋のデザインは1924年の大阪市第一次都市計画事業で公募されたものである。

パリセーヌ川を参考に景観に配慮したデザインは、一部補修された以外は懸架された当時のままで、市の第一次都市計画事業の目指すところを後世に伝えている。2008年には、「大江橋及び淀屋橋」として、コンクリート橋としては珍しく重要文化財に指定された。

橋の近くには「淀屋橋港」があり、水上バスアクアライナー」が就航している。

 
淀屋橋から見た淀屋橋港

地域名編集

土佐堀川の北(北区)には中之島、南(中央区)には北浜及び地域名の船場が位置している。元々大阪市電淀屋橋停留場の開業後も、淀屋橋が船場北西部および中之島東部の地域名になるようなことはなく、顕著になったのは地下鉄御堂筋線淀屋橋駅の開業、さらには1963年京阪本線延伸による同駅のターミナル化以降である。

北区の中之島側には大阪市役所日本銀行大阪支店朝日新聞大阪本社中之島フェスティバルタワー)があるほか、他にも日本生命本社や大阪市の関係機関などのビルが立ち並び、今日のように梅田が大規模なビジネス街として発展する以前からの大阪の伝統的なオフィス街である。また、船場側には住友ビルディングを中心に住友グループ系のビルが立ち並ぶエリアがあり、通称「住友村」と呼ばれる。橋の南側に位置する淀屋橋交差点に面した土地は、大阪市の中でも非常に高水準の地価となっている(右上側写真の右側、みずほ銀行の入る日土地ビルが建っている場所)。

周辺情報編集

土佐堀川に架かるアーチ型の淀屋橋をはじめ、日本銀行、大阪府立中之島図書館大阪市中央公会堂の建物など、戦前からの歴史的建造物が立ち並び、景観についても条例などによって規制され維持されている。また、2000年代現在は緩和(50メートル→60 - 70メートル)されているが、南側の船場方面の御堂筋沿いのビルの高さは、かつては31メートルに制限されていたため、建物の高さが綺麗に揃ったビル群を見ることができる。その後、大阪市が高さ規制のさらなる緩和を表明。それを受け、淀屋橋交差点南東および南西の区画に超高層ツインビルを建設する計画があったが、着工には至っていない[3]

地下鉄淀屋橋駅周辺では、ミズノ旧本店ビル(1927年完成、後にミズノ淀屋橋店(2021年6月閉店予定))が解体され、2025年までに28階建ての高層ビルが建設されるなど再開発が進んでいる[4]

ギャラリー編集

地図編集

脚注編集

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  1. ^ 「関一氏の思想 現代に 」大阪日日新聞2015年3月18日
  2. ^ 「(14)御堂筋 偉大な“大阪の父”市長・関一、“未来都市”へ大改造」MSN産経ニュース2011.10.3 10:00
  3. ^ 「御堂筋はさみツインビル、淀屋橋に2011年めど」 - 日本経済新聞(2007年3月7日)
  4. ^ ミズノ、旧本社ビル解体へ 再開発で94年の歴史に幕 東京新聞、2021年5月20日閲覧。

外部リンク編集

座標: 北緯34度41分34.7秒 東経135度30分3.5秒 / 北緯34.692972度 東経135.500972度 / 34.692972; 135.500972 (淀屋橋)