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淀
艦級概観
艦種 通報艦
艦名 河川名
前級 千早
次級 なし
艦歴
計画: 1904年度計画
起工: 1906年1月6日
進水: 1907年11月19日
就役: 1908年4月8日
除籍: 1940年4月1日
性能諸元
排水量: 常備:1,450t
全長: 垂線間長:85.34m
全幅: 9.73m
吃水: 3.35m
機関: レシプロ蒸気機関2基2軸、宮原式重油石炭混燃缶4基
6,000馬力
燃料: 石炭339t, 重油76t
最大速: 22.0kt
兵員: 166名
兵装: 12cm砲2基
8cm砲4基
魚雷発射管2門
絵葉書

(よど)は、日本海軍通報艦淀型通報艦英語版の1番艦である。艦名は大阪湾に注ぐ「淀川」にちなんで名づけられた。同型艦は最上

目次

艦歴編集

1906年に神戸川崎造船所で起工、1908年に竣工し通報艦に類別された。

1911年11月から翌月にかけて、シャム国王戴冠式に参列する伏見宮博恭王の御召艦としてバンコックを訪れた。1912年8月28日、一等砲艦に類別を変更した。

第一次世界大戦では、青島攻略戦に参加、さらに南シナ海方面の警備等に従事した。

1927年9月から翌年にかけて、呉工廠で測量艦への改造工事を行った。1931年6月1日に類別の変更により、等級が廃止され砲艦となった。

満州事変では、中国北部沿岸警備、測量に従事、日中戦争時の1937年には、中部から北部中国沿岸の警備とともに測量作業に従事した。

1940年4月1日、除籍となり廃艦第13号と仮称。戦時中は岩国に所在し、敗戦時にに曳航され、その後解体された。

同型艦の最上と異なり、クリッパー型艦首を採用している。

艦長編集

※脚注無き限り『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。

  • 森義臣 中佐:1908年4月11日 - 1908年9月25日
  • 水町元 中佐:1908年9月25日 - 1908年12月10日
  • 磯部謙 中佐:1908年12月10日 - 1909年12月1日
  • 奥田貞吉 中佐:1909年12月1日 - 1911年4月1日
  • (兼)奥田貞吉 中佐:1911年4月1日 - 1911年5月9日 (本職:明石艦長)
  • (兼)吉島重太郎 大佐:1911年5月9日 - 1911年5月22日 (本職:生駒艦長)
  • (兼)大島正毅 大佐:1911年5月22日 - 1911年7月15日 (本職:明石艦長)
  • 山口鋭 中佐:1911年7月15日 - 12月27日
  • 菅野勇七 中佐:1911年12月27日 - 1912年12月1日
  • 田代愛次郎 中佐:1912年12月1日 - 1913年2月8日
  • 保坂彦太郎 中佐:1913年2月8日 - 1913年9月20日
  • (兼)奥田貞吉 大佐:1913年9月20日 - 1913年12月1日 (本職:春日艦長)
  • 川上親幸 中佐:1913年12月1日 -
  • 土師勘四郎 中佐:1914年8月23日 - 11月16日
  • 田尻唯二 中佐:1914年12月1日 - 1915年12月13日
  • 鈴木豊吉 中佐:1915年12月13日 - 1916年12月1日[1]
  • 黒瀬清一 中佐:1916年12月1日 - 1917年12月1日
  • 武富咸一 中佐:1917年12月1日 - 1918年6月19日
  • 森初次 中佐:1918年6月19日 - 1918年12月1日
  • 森脇栄枝 中佐:1918年12月1日[2] - 1919年12月1日[3]
  • 副島慶一 中佐:1919年12月1日[3] - 1920年11月15日[4]
  • 中山友次郎 中佐:1920年11月15日[4] - 1921年3月5日[5]
  • 常盤盛衛 中佐:1921年3月5日 - 1921年11月1日
  • 岩崎猛 中佐:1921年11月1日[6] - 1922年11月20日[7]
  • 松尾勘九郎 中佐:1922年11月20日[7] - 1923年11月10日[8]
  • 柴山司馬 中佐:1923年11月10日 - 1924年11月10日
  • 北川清 中佐:1924年11月10日 - 1925年4月15日
  • 野原伸治 中佐:1927年12月1日[9] - 1928年12月4日[10]
  • 大宅由耿 中佐:1928年12月4日[10] - 1929年7月1日[11]
  • 湯野川忠一 大佐:1929年7月1日[11] - 1929年11月30日[12]
  • 石原戒造 中佐:1929年11月30日[12] - 1930年1月6日[13]
  • 沢野源四郎 中佐:1930年1月6日[13] - 1930年12月1日[14]
  • 栗林今朝吉 中佐:1930年12月1日[14] - 1931年12月1日[15]
  • 茂泉慎一 大佐:1931年12月1日 - 1932年12月1日
  • 小熊文雄 中佐:1932年12月1日[16] - 1933年11月15日[17]
  • 後藤権造 大佐:1933年11月15日[17] - 1934年11月1日[18]
  • 松原寛三 中佐:1934年11月1日[18] - 1936年12月1日[19]
  • 近藤為次郎 中佐:1936年12月1日[19] - 1938年2月10日[20]
  • (兼)村山清六 中佐:1938年2月10日[20] - 1938年2月20日[21] (本職:第十四駆逐隊司令)、以後艦長の発令は無い。

同型艦編集

脚注編集

  1. ^ 『官報』第1301号、大正5年12月2日。
  2. ^ 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
  3. ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  4. ^ a b 『官報』第2488号、大正9年11月16日。
  5. ^ 『官報』第2576号、大正10年3月7日。
  6. ^ 『官報』第2776号、大正10年11月2日。
  7. ^ a b 『官報』第3093号、大正11年11月21日。
  8. ^ 『官報』第3367号、大正12年11月12日。
  9. ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
  10. ^ a b 『官報』第581号、昭和3年12月4日。
  11. ^ a b 『官報』第751号、昭和4年7月2日。
  12. ^ a b 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  13. ^ a b 『官報』第904号、昭和5年1月7日。
  14. ^ a b 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
  15. ^ 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
  16. ^ 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
  17. ^ a b 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。
  18. ^ a b 『官報』第2353号、昭和9年11月2日。
  19. ^ a b 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  20. ^ a b 昭和13年2月10日付 海軍辞令公報 号外 第136号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072073400 
  21. ^ 昭和13年2月21日付 海軍辞令公報 号外 第140号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072073400 

参考資料編集

  • 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報

関連項目編集