淡道国造(あわじのくにのみやつこ・あわじこくぞう)は、淡道国を支配した国造

概要編集

祖先編集

  • 先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、仁徳天皇の御世に、神皇産霊尊の9世孫の矢口足尼を国造に定められたとされる。
  • 「波多門部造」の系図には移受牟受比命の13世孫の矢口宿祢が仁徳天皇の御代に国造へ定められたとされる[1]

氏族編集

波多門部氏(はたのかどべうじ、)。久米氏出身で、同族に大伯国造天草国造久味国造吉備中県国造阿武国造がある。『新撰姓氏録』右京神別にも「神魂十三世孫意冨支閇公」が波多門部造の祖と見える。

本拠編集

支配領域編集

国造の支配領域は当時淡道国と呼ばれた地域、後の令制国淡路国、現在の兵庫県淡路島に相当する。 淡路島は神代国産み神話で最初に生まれたとされ、地名の由来は、『日本書紀』では伊弉諾命が島の誕生を不快として胞とし「淡路洲」と名付けたとあり、『釈日本紀』は、思いのほか小島だったため胞として児の数に入れず、深く恥じた故に「吾恥」としたと解している。本居宣長は『古事記伝』では、阿波へ渡る海原にある島だからとしているが国生みの順番も、淡路島の地勢も無視している。また、淡路は古くからヤマト王権との結びつきが強く、伝承では食物を献ずる御食国であったとされる。

脚注編集

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  1. ^ 「波多門部造」『諸系譜』第二冊。

参考文献編集