清内 雄行(きようち の おゆき)は、平安時代前期の貴族氏姓凡河内忌寸のち清内宿禰官位従五位下丹波介

経歴編集

河内国志紀郡出身の渡来系官人皇太子時代の文徳天皇孝経を侍講したことから[1]儒者であったと思われる。

音博士を経て、清和朝貞観6年(864年従五位下に昇叙される。貞観8年(866年大学頭潔世王と共に高山祭のために吉野に派遣される[2]。貞観11年(869年内位の従五位下に叙せられる。のち、陽成朝にて丹波介を務めるが、元慶6年(882年)6月10日卒去。享年73。最終官位は従五位下行丹波介。

官歴編集

日本三代実録』による。

脚注編集

  1. ^ 『日本三代実録』元慶7年6月10日条
  2. ^ 『日本三代実録』貞観8年7月1日条

参考文献編集