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清水仁

清水 仁(しみず ひとし、本名同じ、1950年11月25日 - )は、日本ミュージシャンオフコースの元メンバー(ベースボーカルコーラスペダルシンセサイザー担当)。身長178cm

清水 仁
生誕 (1950-11-25) 1950年11月25日(68歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府大阪市西成区
ジャンル J-POP
職業 歌手
ベーシスト
担当楽器
ベース
ペダルシンセサイザー
共同作業者 ザ・バッド・ボーイズ
オフコース
Acoustic Beatles Club
公式サイト Acoustic Beatles Club
著名使用楽器
スタインバーガー
リッケンバッカー

目次

来歴・人物編集

大阪市西成区生まれ。血液型O型。兄弟姉妹はすべて女性(姉2人、妹1人)。音楽に興味を持ち始めたのは中学生の頃、姉が持っていたアンディ・ウィリアムスの「ムーンリバー」が最初という。やはり姉の持っていたレコードの影響でビートルズに興味を持ち始め、楽器に興味を持ったのも姉が持っていたギターであるなど、姉が清水に与えた影響は極めて大きい。

高校生の時にリッキー(廣田龍人)と知り合い、2人が中心になりロックバンド“ザ・バッド・ボーイズ”を結成。リッキーとは同じ中学校の同級生だったが、お互いにそのことは知らなかったという(ベースを持つようになったのもこの頃)。大阪のディスコで演奏活動をしているところをサブミュージックのマネージャーだった上野博にスカウトされプロデビュー。バッドボーイズは業界内ではその実力を高く評価されていたが、興行的には成功できず、1975年サブミュージック脱退、1年後に解散。なお、バッドボーイズはビートルズのコピーバンドとして知られているが、清水・リッキーともそう言われるのはビートルズしか出来ないようなイメージが伴い嫌だったという。

バッドボーイズ解散と前後してオフコースのサポートを始める(なお、上野は後にオフコースカンパニーのマネージャーになるが、それは清水加入後のことであり、清水のオフコース参加に上野は関わっていない)。最初は難しい音楽理論の話をする小田和正鈴木康博を見て「こりゃついていけん。レベルが違う」と毎日辞めることばかり考えていたという。だが、実力的に未熟な清水を小田、鈴木は辛抱強く見守った。これによって清水は徐々にオフコースに溶け込んでいった。ライブ演奏を手伝うようになってからもバッドボーイズの契約上の問題でレコーディングには加われず、1976年リリースされた『SONG IS LOVE』も演奏では参加していない[1]。レコーディング初参加は「こころは気紛れ」だが、本当にオフコースの一員として参加したと感じたのは「秋の気配」。この曲は途中でベースのアドリブが入るが、これは小田に「仁、この8小節、なんかやれよ」と投げられ、決まったフレーズを弾くことしかなかった清水が戸惑いつつも必死にフレーズを考えた結果生まれたものだという。1979年8月1日、オフコースの正式メンバーとなる。以後、オフコースの一員として一時代を築く。

1986年にシングル「上を向いて歩こう」でソロデビュー。1987年リリースのアルバム『as close as possible』では初めて作曲(クレジット上は松尾との共作)とリードボーカルを担当。次作『Still a long way to go』では初の単独自作曲「逢いたい」を提供するに至るものの1989年、オフコース解散。

その後、吉田拓郎のバックなどを経て1993年よりソロ活動再開。主に東京のライブハウス中心にライブ活動を展開している。

1999年3月に元オフコースの大間ジロー、松尾一彦とともに“Acoustic Beatles Club”(A.B.C)を結成。自らの音楽の原点であるビートルズをアコースティックにやってみようというコンセプトで活動している。オフコースではほとんどベースの担当だったが、A.B.Cではギター中心。

オフコース解散時はかなり感情的な軋轢もあったらしく、しばらくはオフコースのことを考えるのも嫌だったという。しかし、A.B.Cでの活動を始めた頃からはオフコースの話も抵抗なくするようになっている。また、今なおオフコースのファンが数多くいることを好意的に受け止めており、ファンとともにオフコースの曲を演奏したことも数回ある。2005年のライブでは、「最近のお気に入り」と紹介して「生まれ来る子供たちのために」を歌った。

2007年には元ザ・タイガース森本太郎率いる森本タローとスーパースターに加入。銀座のライブハウスで月に一度ライブを行っているほか、年に数度関西などへも遠征している。同バンドではタイガースを代表とするグループ・サウンズやオフコースのカバー曲をはじめ、洋楽のカバーやオリジナルの新曲等も披露している。

小岩ジョニーエンジェルなどで「清水仁とフォークジャンボリー」に毎月レギュラー出演中。

エピソード編集

  • 普段の声が低いためボーカルは低音と思われがちだが、意外と高音も力のある声を出せる。また、ファルセットが美しく、オフコースのライブでは清水がファルセットを担当することも多かった。
  • NHK教育で放映された「若い広場〜オフコースの世界」で『尊敬する人は“自分”』と紹介されたり、山際淳司著「Give up-オフコースストーリー」にて大間ジローに「(小田、鈴木の調子の良し悪しがよく分かるのに比べて)仁さんはほとんど変わらない。あの人は大人物なところがあるから」と評価されるなど、物事に動じない図太い神経というイメージが先行するが、実際にはオフコースの最後のツアーでストレスのあまり胃腸を悪くしたり(東京ドーム公演が決まる前、最後のコンサートと思っていた)、1989年日本武道館公演で感極まって歌えなくなるなど、繊細な一面もある。
  • 写真は玄人跣の腕前。ただし、オフコース解散後はご無沙汰という。
  • 実は、ロックよりジャズが好きでオフコース加入以前には、ジャズの楽団に出入りしていた時期もあったという。

音楽作品編集

バッドボーイズ、オフコース時代の作品はオフコースの項を参照。

シングル編集

アルバム編集

脚注編集

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  1. ^ 同時期に加わった大間ジロー、後に加わった松尾一彦は参加

外部リンク編集