清水 英二(しみず えいじ、1895年 - 1964年)は、日本の建築家。

経歴 編集

1895年兵庫県に生まれる。1918年東京帝国大学工学部建築科を卒業。複数の建築会社を経て1921年より神戸市役所に勤務。この時期に「癸亥社」という設計事務所を自宅に開設した。1926年長田セメント事件の責任問題が絡んで辞職。以後、清水設計事務所として活動する。1964年に死去した[1]

主な建築作品   編集

 
旧鳥羽小学校校舎(登録有形文化財

住宅会社との関係 編集

清水は建築事務所を拠転とした設計活動に加えて、住宅会社の建築顧問を兼任するなど複数の活動を行っていた[4]1931年に中学時代の友人と小住宅を建築、販売する大神住宅株式会社を設立し、専務取締役となった。また、日本電話建物株式会社(日本電建)では戦争末期まで顧問をしていた。

理念 編集

清水の建築理念が示されたものに「小住宅対策提唱」[5]があり、彼の理想は民衆のために建築を行うことだった。具体的には、中産階級以下の人にも良い住宅を建設することであった。当時の建築家は高級な邸宅を建設することがほとんどで、中産階級以下の小住宅は対象から外れており、この状況を問題視していた。

脚注 編集

  1. ^ 川島智生(2001)「建築家清水栄二の経歴と建築活動について」 日本建築学会計画系論文集に収録
  2. ^ 帝国信栄株式会社 会社概要
  3. ^ 『旧鳥羽小学校校舎保存活用計画』鳥羽市教育委員会、2015年3月、2頁。 
  4. ^ 1と同書
  5. ^ 清水栄二(1933)「小住宅対策提倡」 『建築と社会』に収録