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清水門

東京都千代田区北の丸公園内にある江戸城の門

旧江戸城 清水門
(2010年4月5日撮影)

清水門(しみずもん)は、東京都千代田区北の丸公園内、江戸城[1](現・皇居)に造られた。東面する高麗門と南側に直行する渡櫓門からなる桝形門である。1961年(昭和36年)に「旧江戸城清水門」として国の重要文化財(建造物)に指定されている。

概要編集

清水門は、創建年代は明らかではないが、1607年(慶長12年)に、北の丸普請が行われていたことから、この時期に建てられたものと考えられている。現在の清水門が建っている辺りは、中世には清水寺があったといわれ、江戸時代には江戸城の一画に取り込まれ、北の丸への出入口として利用された。北の丸は、武家地として利用され、江戸時代中期以降は、御三卿のうち田安家(田安徳川家)・清水家(清水徳川家)の屋敷と蔵地に利用された。門を潜り進むと北の丸公園があり、当時、北の丸公園の東側は一帯は清水家が所有し、西側一帯は田安家が所有していた。1624年(寛永元年)に、安芸広島藩浅野長晟によって改築され、1657年(明暦3年)の大火で焼失したため、翌、1658年(万治元年)に再修築された。明治時代から戦前までは、近衛歩兵連隊駐屯地となった。「江戸城跡」として国の特別史跡に指定されている。また、江戸城の門には桜田門田安門があり、重要文化財(建築物)に指定されている[2]

門名の由来

中世の頃に、現在の清水門の建っている辺りに、清水寺があったことから名付けられた。

沿革編集

  • 1457年(長禄元年) - 太田道灌によって江戸城が創られた。
  • 1590年(天正18年) - 徳川家康の居城となる。
  • 1592年(文禄元年) - 江戸城の大規模な改修が行われた。
  • 1607年(慶長12年) - 天守閣が建てられる、清水門が建てられたと考えられている。
  • 1624年(寛永元年) - 安芸広島藩主・浅野長晟によって改築された。
  • 1657年(明暦3年) - 江戸城が大火に見舞われた。
  • 1658年(万治元年) - 清水門が再修築された。総構が完成し、大城郭としての形がととのえられた。
  • 1730年(享保15年) - 北の丸公園は、当時、田安門から南にわたる東側一帯は清水家が所有し、西側一帯は田安家が所有していた。
  • 年代不詳(明治 - 戦前) - 近衛歩兵連隊の駐屯地として使用された[2]

文化財編集

重要文化財(建造物)
旧江戸城清水門
清水門(しみずもん)
登録年月日:1961年(昭和36年)6月7日、時代:江戸前期、種別:城郭、所有者:国(文部科学省)
1658年(万治元年)建築高麗門、本瓦葺
江戸城遺構のうち、宮内庁所管以外のものである。髙麗門と櫓門からなる桝形を形づくっている[3]
櫓門(やぐらもん)
登録年月日:1961年(昭和36年)6月7日、時代:江戸前期、種別:城郭、所有者:国(文部科学省)
1658年頃(万治元年頃)建築、脇戸付櫓門、入母屋造、本瓦葺
江戸城遺構のうち、宮内庁所管以外のものである。髙麗門と櫓門からなる桝形を形づくっている。櫓門の上部は復元による[4]

交通編集

ギャラリー編集

脚注編集

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  1. ^ 「江戸城は、1457年(長禄元年)に太田資長(道灌)によって創られたとされる。1590年(天正18年)、徳川家康の居城となり、1592年(文禄元年)から大規模な改修が行われ、1607年(慶長12年)に天守閣が、1636年(寛永13年)に総構が完成し、大城郭としての形がととのえられた。その後、1657年(明暦3年)をはじめ、幾度かの大火に見舞われたが、城郭の規模は幕末まで維持された」
  2. ^ a b 千代田区観光協会 清水門 - [1]
  3. ^ 旧江戸城清水門 清水門) - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. ^ 旧江戸城清水門 櫓門) - 国指定文化財等データベース(文化庁

関連文献編集

  • 文化財保護委員会『重要文化財旧江戸城田安門 同清水門修理工事報告書』文化財保護委員会、1967年、国立国会図書館蔵書
  • 文化庁『国宝・重要文化財(建造物)実測図集』文化庁、1978年3月、国立国会図書館蔵書
  • 『日本の文化遺産 写真資料』日本図書センター、2008年10月、国立国会図書館蔵書
  • 『京都女子大学大学院文学研究科研究紀要』京都女子大学大学院文学研究科国文学専攻博士後期課程編 高橋小百合著「〈叛徒〉像の変遷--清水門弥編『前原一誠伝』を中心に」2008年、国立国会図書館蔵書

関連項目編集

外部リンク編集