渡辺如山

江戸時代後期の南画家

渡辺 如山(わたなべ じょざん、1816年4月13日文化13年3月16日) - 1837年8月12日天保8年7月12日))は、江戸時代後期の南画家渡辺崋山の実弟。

名は定保、は叔保、通称は五郎。は如山・華亭など。

略歴 編集

渡辺崋山の末弟として江戸田原藩藩邸に生まれる。学問・弁舌に優れた。14歳のとき、崋山の弟子であり親友の椿椿山の画塾・琢華堂に入門し、花鳥草木図の画を中心に教えを受けた。21歳のときには画業によって身を立てていたらしい[1]。周囲から将来を嘱望されたが22歳で夭折し、渡辺家の菩提寺小石川善雄寺に葬られる。法名は「一如院定説季保信士」。

崋山の「辛巳画稿」にある五郎像は、如山6歳時の肖像である[2]

作品 編集

画帖 編集

  • 『画帖』1831年(天保2年)
  • 『展観録』1832年(天保3年)
  • 『客坐縮臨』1832年(天保3年)
  • 『渡辺如山縮本』天保年間

脚註 編集

  1. ^ 『広益諸家人名録』、1836年(天保7年)
  2. ^ 金原宏行「解説」(菅沼貞三編『定本渡辺崋山』郷土出版社 1991年)

参考文献 編集