渡辺 正人(わたなべ まさと、1979年4月3日 - )は、大阪府大阪市城東区出身の元プロ野球選手内野手、右投右打)・コーチ

渡辺 正人
SSGランダース 2軍守備コーチ #80
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市城東区
生年月日 (1979-04-03) 1979年4月3日(45歳)
身長
体重
183 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1997年 ドラフト1位
初出場 NPB / 2001年6月18日
最終出場 NPB / 2012年4月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

経歴 編集

プロ入り前 編集

上宮高等学校では、2年次の夏の大阪府大会に1番打者として出場。前川克彦を擁するPL学園に決勝で敗れた。3年春の第69回選抜高等学校野球大会では、同級生の山田真介三木仁らとともにベスト4に進む。1997年のドラフト会議千葉ロッテマリーンズから1位指名を受け入団。当時マスコミからは「二世」と呼ばれ、いきなり背番号3を与えられるなど、入団時の期待は高かった。

ロッテ時代 編集

2000年までの3年間はほぼ二軍暮らしだったが、2001年に一軍初出場・初安打を記録。

2002年小坂誠の故障でチャンスをつかみ、9番・遊撃手に定着する。6月に小坂が復帰して以降はスタメン機会は減ったが、その後も一軍に定着し続け、セカンドやサードの守備固めとして起用されて初の100試合出場を達成した。

2003年もベテランの堀幸一や守備に不安のあるホセ・フェルナンデスの守備固めとして重要な働きをしただけでなく、打撃面でも7本塁打と意外なパンチ力を見せ、「守備は良いが、打撃がいまいち」という評価を覆す活躍を見せた。シーズン終盤には肘に故障を抱えていた堀が指名打者に回ったことでおもに9番・二塁手としてのスタメン出場を続けた。

2004年シーズン序盤にヘッドスライディングで左手を骨折すると、同じ内野手の西岡剛今江敏晃のブレイクで出場機会を減らす。

2005年は西岡と今江がレギュラーに定着したことでわずか20試合の出場に留まったが、日本シリーズ(対阪神タイガース)で小坂、堀の故障により出番がめぐり、第1戦で9番・二塁手で先発出場。同点に追いつかれた5回表二死二塁の場面、赤星憲広のバウンドの難しいセカンドゴロを前へ突っ込んで刺すファインプレーを見せると、裏の先頭打者として井川慶からチェンジアップを打って左前安打で出塁。ロッテはこの回3点を奪い勝ち越しに成功し、勝利した。その後は選手層が厚いこともあり、1打席しか出番がなかった(第2戦の8回、結果は二ゴロ)が、江夏豊に「ちょっとでもボールを握り直したら、赤星の足を考えれば間違いなくセーフだったろうし、最高の技術と勇気が必要なプレーだった」「渡辺の二つのプレーはこのシリーズで最も光っていた」と絶賛された[1]。また、アジアシリーズの決勝戦(対三星ライオンズ)では、負傷の今江に代わり途中出場。3-1の4回裏、二死一塁から本塁打を打つなど、大舞台に強いところを見せた。

2006年は小坂の移籍で守備要員としての地位を上げ、久々に出場機会を増やしたが、打率1割台でレギュラー定着には程遠い成績に終わった。

2007年も打率1割台に終わった。

2008年は、28試合の出場に留まるも打率.306を記録。5年ぶりの本塁打を放つなど、少ない出場機会の中で好成績を残した。しかし、2009年2010年は2年連続で1桁の試合出場に終わるなど、出場機会を減らしていく。

2011年は遊撃手の荻野貴司の故障もあり、出場機会を増やす。7月7日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、ダルビッシュ有からプロ入り初のランニング本塁打を放った[2]

2012年根元俊一が遊撃手に定着したこともあり、自己最少の2試合の出場にとどまった。10月7日に戦力外通告を受けた[3]

独立リーグ時代 編集

 
信濃グランセローズ時代
(2013年4月20日)

2013年長野県を本拠地とするBCリーグ信濃グランセローズに守備・走塁コーチ兼任選手として入団[4]

現役引退後 編集

2014年6月24日に選手契約を解除し、コーチ専任になることが球団から発表された[5]。シーズン終了後、退団した[6]

2015年石川県を本拠地とするBCリーグ・石川ミリオンスターズにヘッドコーチとして入団[7]2016年からは監督に就任した[8]。監督初年度は、リーグ西地区で前後期を連覇した[9]。就任にあたり、前年リーグワーストを記録した守備の立て直しに努めるとともに、選手の健康管理を見直し、故障者をほとんど発生させなかったと報じられた[10]2017年シーズン終了後契約満了で退任[11]

2018年、1月1日付でオリックス・バファローズ球団本部管理部スコアラーグループ入り[12]

2024年1月11日、韓国プロ野球SSGランダースで、2軍守備コーチに就任することが発表された[13]

プレースタイル 編集

内野はどこでも守れる堅実な守備が持ち味。長らく控えとして二塁を中心に守ってきたが、本人は遊撃手としての強いプライドを持っており、守備練習の時には遊撃手の練習を重点的に行っている[14]

前述の通り打力は乏しく、通算打率は2割を辛うじて超える程度である。長打力はあるが三振が多い。なお、入団以来規定打席到達と2割5分以上打ったことはなかったが、2008年に40打席ながら打率.306を記録し、初めて2割5分を超えたが、規定打席到達は最後までならなかった。

人物 編集

2005年のオフシーズンに、TBSSASUKEに当時チームメイトの早坂圭介とともに出たことがあるが、両者とも1stSTAGEでリタイアしている。

ロッテ時代に使用された応援歌は、2009年まで使用されたものと2010年以降に使用されたものの2つ存在し、2009年までの物は韓国の男性アイドルグループUNの「一生」が原曲で、2010年以降の応援歌の原曲は加藤紀子の「小さな幸せ」。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
2001 ロッテ 21 38 31 3 7 0 0 0 7 3 0 1 4 0 3 0 0 8 0 .226 .294 .226 .520
2002 106 159 141 16 28 4 2 2 42 11 2 3 7 0 11 0 0 41 3 .199 .257 .298 .554
2003 104 191 160 20 35 7 3 7 69 26 2 0 18 2 9 0 2 51 2 .219 .266 .431 .697
2004 43 64 58 4 14 4 0 0 18 9 0 2 4 0 2 0 0 19 1 .241 .267 .310 .577
2005 20 14 13 2 3 2 0 0 5 4 0 0 0 0 1 0 0 3 1 .231 .286 .385 .670
2006 68 80 72 8 14 1 1 0 17 2 0 0 3 0 3 0 2 23 0 .194 .247 .236 .483
2007 34 59 52 7 9 2 0 0 11 3 0 0 2 0 4 0 1 16 0 .173 .246 .212 .457
2008 28 40 36 4 11 2 0 1 16 3 0 0 2 0 2 0 0 13 0 .306 .342 .444 .787
2009 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2010 9 8 6 0 1 1 0 0 2 0 0 0 1 0 1 0 0 3 0 .167 .286 .333 .619
2011 54 120 105 10 18 3 1 1 26 10 0 0 6 0 5 0 4 30 0 .171 .237 .248 .484
2012 2 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:12年 492 776 677 74 140 26 7 11 213 71 4 6 47 2 41 0 9 208 7 .207 .261 .315 .575

年度別守備成績 編集


一塁 二塁 三塁 遊撃
















































2001 - 5 9 14 0 3 1.000 15 9 14 3 2 .885 1 1 2 0 0 1.000
2002 - 24 27 38 2 3 .970 42 9 15 1 4 .960 43 58 119 4 25 .978
2003 - 54 81 107 2 24 .989 59 6 16 1 2 .957 7 18 17 3 3 .921
2004 - 6 2 9 0 3 1.000 26 18 24 0 1 1.000 12 10 11 1 4 .955
2005 1 1 0 0 0 1.000 5 3 3 0 2 1.000 6 0 3 0 0 1.000 9 1 10 0 1 1.000
2006 - 42 20 32 0 6 1.000 8 5 11 1 0 .941 23 23 64 2 14 .978
2007 - 15 19 26 1 3 .978 2 0 0 0 0 - 17 12 31 3 8 .935
2008 1 2 0 0 0 1.000 4 3 3 0 0 1.000 9 1 4 0 0 1.000 16 12 27 2 10 .951
2009 - 2 0 1 0 0 1.000 1 0 0 0 0 - -
2010 - 3 0 2 0 0 1.000 2 2 3 0 0 1.000 -
2011 2 0 0 0 0 .000 - 8 5 9 0 1 1.000 42 48 81 4 12 .970
2012 1 0 0 0 0 1.000 - - 1 3 1 0 0 1.000
通算 5 3 0 0 0 1.000 160 164 235 5 44 .988 178 55 99 6 10 .963 171 186 363 19 77 .967

記録 編集

NPB

独立リーグでの打撃成績 編集











































O
P
S
2013 信濃 57 204 34 57 15 1 3 102 20 4 0 1 25 2 46 14 .279 .362 .500 .862
2014 26 84 14 21 3 0 0 27 7 1 1 0 13 3 22 3 .250 .370 .321 .691
通算:2年 83 288 48 78 18 1 3 129 27 5 0 1 38 5 68 17 .271 .364 .448 .812

背番号 編集

  • 3(1998年 - 1999年)
  • 40(2000年 - 2012年)
  • 6(2013年 - 2014年)
  • 2(2015年 - 2017年)
  • 80(2024年 - )

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ 『Number』640号、P31
  2. ^ ロッテ・渡辺正がダルからランニング本塁打 デイリースポーツオンライン、2011年7月7日
  3. ^ 戦力外通告のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2012年10月7日
  4. ^ 初優勝へ「全力」誓う 3コーチが就任会見”. 信濃毎日新聞 (2012年12月13日). 2012年12月14日閲覧。
  5. ^ 辰野町出身の涼賢を選手登録”. 信濃毎日新聞 (2014年6月25日). 2014年6月25日閲覧。
  6. ^ 渡辺正人コーチ退団のお知らせ”. 信濃グランセローズ・オフィシャルサイト (2014年11月21日). 2014年12月12日閲覧。
  7. ^ 監督・ヘッドコーチ就任決定 及び、就任記者会見のお知らせ”. 石川ミリオンスターズ 公式ページ (2015年2月8日). 2015年2月8日閲覧。
  8. ^ “【BCリーグ】石川、フランコ監督後任に渡辺ヘッド「熱い背中を見せたい」”. スポーツ報知. (2015年10月26日). オリジナルの2015年10月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151029211127/http://www.hochi.co.jp/baseball/etc/20151026-OHT1T50061.html 2015年10月26日閲覧。 
  9. ^ “石川ミリスタが後期もV BCリーグ西地区”. 北國新聞. (2016年9月5日). オリジナルの2016年9月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160917212248/http://www.hokkoku.co.jp/subpage/LS20160905601.htm 2016年9月10日閲覧。 
  10. ^ “BC石川、最終戦で西地区前期V…元ロッテ渡辺監督が宙舞った!”. スポーツ報知. (2016年6月19日). オリジナルの2016年8月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160824173859/http://www.hochi.co.jp/baseball/etc/20160619-OHT1T50270.html 2016年9月10日閲覧。 
  11. ^ 監督 渡辺正人 退任のお知らせ”. 石川ミリオンスターズ 公式ページ (2017年11月9日). 2017年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月9日閲覧。
  12. ^ オリックス、古屋英夫氏が編成部副部長で入団日刊スポーツ2017年12月28日配信
  13. ^ https://x.com/muroi_m/status/1745326314184392851?s=46&t=eZP8Q-G79vEQv5eJbip1Jg
  14. ^ 【野球好きコラム】 大型ショートJ SPORTS、2011年7月20日

関連項目 編集

外部リンク 編集