渡辺辰五郎
渡辺 辰五郎 (渡邉 辰五郎、わたなべ たつごろう、天保15年(1844年)8月 - 明治40年(1907年)5月26日)は千葉県長生郡長南町生まれの教育家。和洋裁縫伝習所(現・東京家政大学)創立者。
経歴編集
江戸の一流の仕立屋で奉公し、和洋服についての知識と裁縫技術を習得する。明治元年(1868年)、9年間の年季奉公を終えて郷里に帰り、仕立屋をしながら地域の子女に裁縫を教える。30歳の時、故郷の長南小学校で裁縫の授業を担当する。その後、千葉女子師範学校(現・千葉大学)、東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)などで裁縫を教授し、文部省御用掛を拝命される。
明治17年(1884年)以降、私塾の和洋裁縫伝習所(現・東京家政大学)[1]を創設し、また共立女子職業学校(現、共立女子大学)創設にも関与するなど、日本の女子職業学校の先駆者となった。
「雛形尺」「袖形」「褄形」など多数の画期的な裁縫技術を考案する[2]。日本で最初の裁縫教科書を執筆編集し、「渡辺式」といわれる新しい裁縫技術を広め、生涯にわたり裁縫教育と服装文化に貢献した。
脚注編集
- ^ 東京家政大学では、2011年度、創立130周年を記念して渡邉辰五郎賞が創設された。これは、社会での長年の活躍が評価され、貴重な貢献をした卒業生を称えるもので、社会での活躍が著しく、今後の活躍が期待され、同大学の栄誉を担う卒業生を称えるものとして「渡邉辰五郎奨励賞」も設けられている。(“渡邉辰五郎賞 実施要綱”. 東京家政大学. 2018年1月29日閲覧。)
- ^ “東京家政大学 渡辺辰五郎と裁縫技術”. 日本私立大学協会. 2018年1月29日閲覧。